藤原道長ってどんな人?! / 名古屋市の学習塾・予備校・個別指導塾・青藍義塾 | 青藍義塾|名古屋市の個別指導学習塾 千種・車道校の公式ブログ

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「平安時代の権力ナンバー1」と言えば・・

そう!!

誰もが御存じ、藤原道長です

彼は、なんとも策略家でやり手な男でした。

康保3年(966年)、父・藤原兼家、母・藤原時姫の四男として誕生。

四男坊であった道長は、
本来であればそこそこの地位を持ったフツーウの貴族で終わるはずでした。

その道長がどうやって「平安時代の権力ナンバー1」を手に入れたのか!?

気になりますよね~??
教えちゃいましょう!!

道長策略その①
自分の娘を天皇の后にして、天皇の親戚になる。

その時道長が呼んだ歌がこれ!!

「この世をばわが世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
⇒「この世は私のものと思える。なぜなら、私の力は満月のようにまったく欠けたとこがないのだから」という意味

自信に満ち溢れたこの歌!!!!!

つまり、こんな自信満々になってしまうぐらい、
この天皇と娘の結婚で道長は大きな権力を手に入れたのです。
しか~し!!道長の策略はこれでは終わりません!!
念には念をということですね。

道長策略その②
天皇と娘のあいだに男の子が生まれると、自分の孫を次の天皇にしちゃいます。

道長の策略その③
こうして天皇のおじいちゃんになった道長は、幼い天皇(自分の孫)に代わって政治を行う。
いわゆる「摂政」として力をふるいました。
※摂政・・天皇が幼少または病弱、女性などの場合に天皇に変わって政治を行うこと

道長の策略その④
その後、道長は後見人となって、息子に摂政の座を譲る。
天皇(孫)が成人すると、道長の息子は「摂政」から「関白」になり、天皇の補佐を続けます。
※関白・・成人した天皇を助け、政治を行うこと

これが教科書によく出てくる「摂関政治」ですね!!

その結果・・

道長⇒天皇の後見人、道長息子⇒関白、道長孫⇒天皇

となり、天皇と親戚関係になることによって
藤原一族を重要な役職につけることに大成功!!

こうして道長は、平安時代最大の栄華を極めていきました。

なんともやり手な藤原道長!!

平安時代最大の栄華の裏にはこんな策略が渦巻いていたのです!!