11月2日に開催された、『江戸時代の身体づくり講座』の感想文を頂きました。
コレぞ体幹トレーニング!という内容を体感して頂きました。
江戸のカラダづくりをしていくと、主観的(感覚的)に自分自身が大きくなったように感じる人もいれば、小さくなったように感じる人もいます。
大きくなったように感じる人は、今まで自分を小さく小さく押し殺して、身を屈めてガンバって来た人です。
逆に小さくなったように感じる人は、実際の自分よりも自分自身を大きく見せようと背伸びをしてガンバって来た人です。
いずれにせよ、どちらの人もガンバっているのです。
江戸のカラダづくりを行うと、ありのままの、等身大の自分自身に戻ります。
等身大の自分自身を受け容れ、認めることができるようになってきます。
それが江戸の身体なのです。
自分以外の何者かになる必要もないし、つねに未来や過去に囚われる必要もありません。
実際に私たちは、自分以外の何者かにはなれないし、今を生きることしかできないのです。
今ココを、あるがままの自分で歩く。
ありのままの自分が、今ココを歩く。
そんな感覚を取り戻すのが、江戸の身体づくりと言えるでしょう。
そしてコレこそが、『ゆるむ』ということに他なりません。
私たちは、身を屈めて卑屈になって、実際よりも小さく生きる必要はないし、ムリに背伸びをして実際よりも大きく生きようとする必要もありません。
そんなことをして、背負わなくていい肩の荷を背負っているのが、現代人かも知れません。
ありのままの、現実の自分を見つめようとしないで、ありのままの自分を好きにならないで、自分の本当の使命や役割が見えることはないでしょう。
今を生きることから遠ざかる努力をしなくていい。
今の自分を否定するような努力をしなくていい。
そんな肩の荷は下ろしていい。
自分が自分であることを認めないで、社会において責任を持って生きていくことはできません。
すでに荷物を背負っていては、これ以上肩の荷を背負うことはできません。
荷物を下ろしていいのです。
あなたが背負ってる肩の荷は、本当の肩の荷ですか?
背負わなくていい肩の荷を、背負っていませんか?
自分を認めたくないがために、背負わなくていい肩の荷を、背負っていませんか?
あなたがもし、苦しいのだとしたら、考え直してみて下さい。
あなたが背負わなくてもいい肩の荷を下ろせば、自分の生きる『役割』が、イキイキとコダマすることでしょう。
つまり、あなたが本当に背負うべき肩の荷を、本当に背負いたい肩の荷を、背負うことができるでしょう。
江戸人は、人を上か下か(タテ)で見ることなく、ヨコの関係でとらえ、ただ自分自身の『役割』を全うすることに心血を注ぎました。
お互い、持ちつ持たれつの関係で、『みんな』で生きる以上は、お互いに肩の荷を背負いあったのです。
ありのままの自分を受け容れ、そこに真の役割を見出し背負う肩の荷は、健全なる肩の荷と言えるでしょう。
これこそが、自立した社会と言えるのかも知れません。
江戸人は、「自分」を大切にしました。
だから「みんな」を大切にしました。
『みんなの中の自分』を、大切にしました。
現代人は、「自分」と言うとき、「みんな」を忘れることが多い。
「みんな」と言うとき、「自分」を忘れることが多い。
あなたの言う「みんな」には、「自分自身」が含まれていますか?
「みんな」と「自分」が、切り離されていませんか?
「みんなが幸せであればいい」。
「みんな」とは誰ですか?
そのときの「みんな」には、「あなた自身」が含まれていますか?
「世界が平和でありますように」。
その「世界」には、「あなた」が含まれていますか?
あなたは「幸せ」ですか?
あなたは「平和」ですか?
今の自分より強くなろうとすることよりも、本当は、今の自分を受け容れることのほうが、勇氣がいるのかも知れません。
ありのままの自分を受け容れることが、一番強いのかも知れません。
今の自分を受け容れることは、自分の弱さも含め、すべてを認めることです。
しかし、これこそが、人を救うのです。
人は、自分の弱さを受け容れるからこそ、他者の強みを見出すことができます。
つまり、お互いに、自分が自分の弱さを認めることが、そのまま他人の役に立つのです。
これが助け合いです。
まるでパズルのピースを埋め合うがごとく、各人が自分の弱点を自覚し、そこを補い合い、埋め合うところに、「人間(人の間)」というものがあるのだと思います。
これを、各人が自分の弱さを認めないで、頑なに張るところに、タテの関係から生じる〝争い〟が勃発します。
お互いが、背負わなくていい肩の荷を背負うと、タテの関係が生まれます。
タテの関係のあるところには、必ず比較が生まれ、比較があるところには争いが生まれ、争いがあるところには、幸福は生まれません。
自分の弱さを受け容れることが、強いのです。
とは言え、いちいち「強い・弱い」で考える必要はありません。
自分を弱いか強いかで考えること自体、誰かと比べているのであり、人間関係をタテ(上・下)で見ている証です。
人間に強いも弱いもありません。
「自分の弱さ」ではなく、それが個性であり、役割です。
あなたが劣等感を持っていることは、誰かの役に立つのです。
潔く、役に立たせてあげることです。
そのために、今の自分をまるごと受け容れる。
私たちは、上に昇ろうとしなくていい。
ただ、前に進めばいいんです。
成長と言うと、上に昇っていくイメージを持つ人が多いでしょう。
人生、上に昇るか、下に落ちるか、ではありません。
ただ前に進めばいいだけです。
ここでも、上・下(タテ/垂直)ではなく、ヨコ(水平)なのです。
江戸のカラダづくりは、ありのままの自分を取り戻し、今ここを水平に生きる感覚を取り戻します。
ムリに背伸びをして等身大の自分より自分を大きく見せて来た人は、江戸のカラダづくりをすれば、主観的には自分が小さくなったように感じるかもしれません。
でもそのとき、あなたは本当のあなたを取り戻し、客観的に見たら、一番あなたがあなたとして大きく輝いて見えるのです。
背負わなくていい肩の荷を背負って生きているあなた。
そんな肩の荷は背負い投げして、本当に背負うべきものを背負い、今ココを水平に歩んで行きましょう。
立甲 健一郎