正しい努力。 | 秋月せいらオフィシャルブログ「〜徒然なるままに〜」Powered by Ameba

おはようございます。

今日はお休みの方も多いことと存じます。素敵な朝をお迎えでしょうか?

私は有り難いことに、施術の御依頼を多数頂いておりまして本日は施術を進める日となりそうです。数件本日で完了しそうなので少しばかりプレッシャーからの解放?となるかもしれません。

 

さて今日は『正しい努力』というお題でお話をしたいと思います。

努力の”過程”が評価に値するのは学生時代までだと私個人の精神には日々言い聞かせています。

皆様 『こんなに頑張ったのに〜』と思うこと、ありませんか?

そう、皆何かの成功の為に日々頑張っているのです。しかしながらその結果が芳しくない場合、それが果たして本当に正しい努力だったのか見直す機会にして頂きたいです。とても厳しいことを申し上げれば努力をすること、というのは誰もがそれぞれのキャパシティの中で行っています。努力=結果ではなく努力というのはスタート地点に過ぎません。努力をしないことには”始まり”がないわけです。

努力という地点からスタートして、いかに効率的に懸命に邁進して良い結果を出すか…そのように考えていくと、やみくもに、がむしゃらにだけで進みゆくことは得策ではないように思います。

 

例えば野球少年が『僕は毎日自己流で素振りを500回やっています』といったところで、自己流でフォームもめちゃくちゃ、回数はこなしても一振り一振りのタイミングもめちゃくちゃ…それで野球部でしっかり基礎から努力をした人をみて、自分の方が頑張っているのに!と言った風なトンチンカンなことが発生してしまいます。

 

努力というのはやみくもにするものではありません。出来る限り効率的にそして結果から逆算した努力をする必要があるのです。そしてその中にがむしゃらな自分や、絶対にやり遂げるという信念を加えるのです。

不本意な結果に対して『こんなに頑張ったのに〜』という言葉が出る時というのは、大体が上記のように努力の過程にミスが生じているか、その努力が足りないかの何れかのケースが多くみられます。

 

勿論努力をしたから全てが叶うわけではありません。先程も申し上げたように『スタート地点』でしかないわけですから。しかしせっかく一生懸命何かを頑張るなら良い結果が欲しいものです。ならば効率良く結果から逆算した有意義な努力に邁進して頂きたいなとおもいます。

 

才能が云々などという話は、この努力の過程を効率的にこなしてある程度の結果は出たが、それでも背伸びしても届かないところにあるわけで、誰でもある程度の所までは余程の適正がない場合を除いてはなんとかなるものです。

 

人間には心があり感情がある分、なかなか日々をロジカルに生きていくというのは難しいものですが、論理的な自分の道筋を一度考えてみるのもまた一つ成長の糧となるのかもしれません。

 

そんな今日の一筆でした。

 

 

素敵な休日をお過ごし下さいね。

 

 

 

 

 

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