沖縄放蕩記 -19ページ目

沖縄放蕩記

東京でのスロプ生活に飽きて、2010年から沖縄に移住。

日々の生活を、酒を片手に、徒然と。

前の日記の続き。

 

5月15日日曜。6時半発のバスに乗る為に、早朝に起きて準備。バスは駅前から出るので、親に駅まで送って貰う。ではまた、そのうち来るよ、今度は避難命令が解除された後、元の実家に、かな。

 

たまにしか来ないこの南相馬だが、これでも震災前よりはだいぶ来ている方だ。以前は親も平穏無事に暮らしていたから、特に心配することもなかったし、ほとんど来なかった。

 

あまり縁の無かったこの地だが、震災の御蔭と言うと語弊はあるが、来る機会も多くなって、少し、地元、という意識も芽生えては来た。復興しよう、と言うことで、何か新しい力を感じられるのもその要因の一つか。

 

困難な状況から立ち上がろうとする姿は美しいものだ。そんな状況にならないのが一番であることは言うまでもないが、人間そう上手くも行くまい。何らかの壁には当たる。

 

この過疎地が、その壁にぶち当たって、それを乗り越えよう、と言うのは実に素晴らしい。最近、小高の町ではラーメン屋が営業を再開したらしい。実は小高には有名なラーメン屋が2軒ある。

 

山川食堂双葉食堂。後者は、今までは市内の鹿島区の仮設店舗で営業していたが、小高に戻って来た。俺も一応地元、2店舗とも食ったことはある。田舎らしい、素朴な味の、昔ながらの中華そば、だ。

 

ゆっくりと少しずつ、復興を目指して。俺も、何か出来ることがあれば、とは考えている。まあ、その前に沖縄で目途を付けてから、だな。

 

原ノ町駅前のバス停から乗り込んで、福島駅に向かう。バスはそこそこの客。と言っても、二人掛けを一人で座れるレベルだが。バスでビールを飲んで、山道の景色を楽しみながら行く。

 

山側には解除されていない地域も多い。飯館村も大半が居住制限区域で、帰還の目途が立っていない。山道を抜けると川俣町。ここは大半の地域が原発の影響を受けずに済んだ。町としてもそこそこ栄えている。

 

ここの道の駅で一回休憩の為に停車。再び山道をしばらく行くと、一気に景色が開けて、市街地が見渡せる。これが福島市。原ノ町駅から1時間半程度で着いた。料金は片道1200円ぐらい。

 

ここからは新幹線。今の新幹線は、妙に長い鼻を持った奇妙な形をしているんだな。騒音防止の為らしい。で、乗って寝てたら上野に到着。地下鉄で稲荷町まで行って、ホテルにチェックイン。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

南相馬に戻って来て、ネクタイを買いに。明日出席する披露宴用の白いネクタイを買いたい。こんな稼業ゆえ、そんなネクタイなぞ持っていない。上手く結ぶことも出来ないので、結ばないで済む奴が良い。

 

以前あった青山は閉店してしまったようなので、代わりコナカへ。目当ての物は買えたけど、5000円もした。シルクの良いものだったらしい。でも、結ばないで済む(ピンで挟んで留めるだけ)奴はこれしかなかったから、仕方あるまい。

 

道の駅で、沖縄に持ち帰る土産を買う。相馬あられ、野馬追クッキー、浪江焼そば、那珂うどん。何もない田舎だと思っていたけど、こうしてみると結構土産の種類は豊富だな。漬け物もいろいろあった。

 

豆腐の味噌漬けとクリームチーズの味噌漬けは、要冷蔵なので沖縄までは持ち帰れない為、この日の晩に自分で食ったが、非常に旨かった。ここで通販で買えるので、興味のある方はどうぞ。

 

その後、やることを済ませて、親と買い物へ。スーパー、随分と混んでいるな。この町にこんなに人がいたっけ?親に聞いてみると、随分と人口は増えているそうだ。

 

一つの要因は避難者。周辺の帰還出来ない区域からこちらに避難して来ている。もう一つの要因は、復興の出稼ぎ労働者。原発やら、周辺自治体の瓦礫撤去や除染やらで、たくさんの人が出稼ぎに来ている。

 

親がアパートに入居した3年前、ほとんど空き家だったが、今は全て埋まっている。車のナンバーを見ても、日本各地ばらばら。現在建設中のアパートもかなり多い。被災者用の大規模な団地も完成間近だった。

 

不幸中の幸いか、この南相馬市は、震災によって活気を取り戻したと言える。まあ、ここ数年でパチ屋が、1000台規模で1軒、600台近くが1軒、都合2軒も出来てしまったのは非常に喜ばしくないことだが。

 

この南相馬、遊べるところが少ないからね、休日はパチ、となってしまう輩が多い。東電からの賠償金や、出稼ぎで手当てがついて結構貰っている奴も多いから、こうなる。残念な話よ。

 

さて、スーパーで今晩の酒と肴を色々選ぶ。魚は、店員に言えば捌いてくれるんだな。鯣烏賊(するめいか)槍烏賊の2種類を買って、捌いて刺し身にして貰った。

 

後で食ってみたが、結構味は違う。鯣烏賊の方は雑味、と言うか、えぐ味、があって、槍烏賊の方が素直な味。後者の方が俺は好みだな。

 

酒は、ビールと日本酒を中心に色々と買う。で、帰って早い時間から親と飲む。一番搾りの仙台づくりは旨かった。日本酒も色々飲んだが、銘柄名を忘れた。明日の朝は早いから、早めに寝た。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

これは原発のせいではない。これだけ海に近い集落なので、被害は全て、津波。だから、もうここに集落は作れない。同じような地震があれば、再び全て流されてしまうのだから。

 

原発による避難が解除されても、もっと内陸部に集落を作るしかない。あの規模の地震が来ても津波が来ない位置にね。その面倒さを考えると、あの集落に住んでいた人のどれだけが帰って来ることやら。

 

しかも、馴染みのある土地ではない。思い入れもないだろう。となれば、このような不便な地を捨てて他で暮らそう、と考えるのも当然だ。

 

あの日から既に5年以上が経つ。もともと過疎高齢化が急速に進む集落。俺の爺さん婆さんも避難先で死んだ。他の家々でも同様だろう。避難先の方に「地元」の意識が芽生えて来てもおかしくない時間が経った。

 

だから、あの日、津波は、この集落の家々を流しただけでなく、集落の人々の繋がり、コミュニティそのものを全て流し去ってしまった、と言える。もう二度と、元には戻らない。

 

どうしようもない話ではある。あんな海岸近くに集落を作る方が間違っていたのだろう。仕方ないと割り切るしかないのだが、人間、そうも単純ではない。

 

母ちゃんはまだこの光景を見ていないそうだ。生まれ育った家だけに、思い入れは俺より遥かにあるだろう。この現実を目の当たりにはしたくないのかも知れない。連れて来なくて良かったと思っている。

 

さて、いつまでも感慨に耽っていても仕方ない。ぼちぼち現実に、そして町に、戻るか。南相馬市内でやることをやろう。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

再び帰還困難区域を抜けて、浪江町に戻って来る。ここから国道6号を逸れて、母方の実家があった場所を見に行こう。この家は海岸から1kmも離れておらず、津波で流されたとは聞いている。現状はどんなもんか。

 

ちょっと脇道に入ったら、崩れ掛けた家が結構あった。震災後、最近まで立ち入りができなかった地域なので、地震の傷跡がまだ残っている。普通のこの時期ならば青々と広がっていた水田も、今じゃ雑草が生え放題。

 

実家の前にかかっていた橋は流されていて、少し上流側に新しい橋が架かっており、瓦礫を運ぶトラックが行き来していた。この集落で残されている家は、堤防の上にあった日常雑貨屋ぐらいで、それも1階部分は吹き抜けのよう。

 

それ以外は、一部の塀などが残されているだけ。母方の実家も勿論跡形もない。辛うじて、庭園の大きな石が転がっている。餓鬼の頃の記憶ではあるが、庭で見た覚えのある石だ。

 

集落の石碑も、土台を残して消えてしまっていた。堤防もかなり浸食が進んでいる。海の近くにあった公園は、現在瓦礫の処分場になっている。

 

変わっていないのは、家の目の前の鮭が帰って来る川と、そこにあった水門、先に見える波の荒い海。電信柱や標識は未だに倒れたまま放置、ガードレールもひん曲がったまま。国破れて山河在り、と言うところか。

 

この地の俺の思い出は、毎年盆前後に帰省する時の数週間だけだ。だが、虫捕り、魚獲り、海遊び、花火、畑仕事の手伝い、親戚周りに、墓参り、盆踊り、今でも鮮明に思い出せる。

 

自分で獲った、蜆(しじみ)に鯰(なまず)に川海老。収穫し立ての、胡瓜(きゅうり)にトマトに玉蜀黍(とうもろこし)。墓に供える甘い菓子に様々な種類の餅。こういう味覚もはっきりと覚えている。

 

もう元には戻らないんだな、こう思うと、それなりに感慨深いものはある。諸行無常。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

とまあ、偉そうに書いているけど、これ、帰り道の際に調べた知識が大きい。実は、行きの時点ではあんまりわかっていなくて、「福一どこ?」と思いながら通り過ぎてしまった。だって、看板がねえんだよ。

 

福二の看板はあったけど、福一のはなかった。以前はあったはずなんだけどね。印象が悪いから撤去しやがったな、多分。「福一はこちら」ってあれば、極限まで近付くつもりだったのに。結局、どこだか正確にはわからなかった。

 

そのせいで、どんどん南に進んでしまって、富岡町楢葉町広野町を通り過ぎて、いわき市に入ったところでようやく気付いて引き返した。因みに、楢葉、広野では普通に農業をやっていた。米もばんばん出回っているだろう。

 

道の駅楢葉は、温泉施設も付いた大規模な道の駅だが、現在は双葉警察署の仮庁舎として使われていて、道の駅自体は休館中になっている。

 

道路を走っているのはほとんどトラック。道の両脇で営業している店は、ガソリンスタンド、コンビニ、原発関係労働者向きの宿、ぐらいで、閑散としている。工場地帯、と言うようなイメージだな。

 

まあ、過疎地なんで元からこんなものではあるが、路面店の大型スーパーや専門店は全然やっていなかった。広野や楢葉では既に避難命令は解除されているのだが、あまり人は戻って来ていないようだ。復興はまだ遠い。

 

時折観光バスが走っていた。原発観光ツアー?と思ったが、そうではなくて、これが福一を挟んで南北を結ぶ定期運行バスらしい。いくら何でもこの状態の原発を観光ツアーに組み込むのは不謹慎過ぎるし、客も普通は来ないわな。

 

いわきまで来てUターンして帰る。途中、「東電展望台」と言うのには非常に惹かれたが、気付いた時には通り過ぎてしまって、戻るのも面倒なんでやめておいた。福一のすぐ南側で、実際に入れるのかどうかは知らん。多分無理だろう。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

5月14日土曜、昼過ぎに起きて、親の車を借りて福一周辺ドライブに繰り出すことに。折角福島に来たんだから、観光名所は見に行くべきだろう。以前来た時よりも立ち入りできる範囲は広がっているので、是非見て来よう。

 

親のアクアを借りる。あれ、エンジンが掛からんぞ?掛かるけど、ギアが入らない?どうやら、ブレーキを踏みながら電源ボタンを押さないとならないようだ。

 

通常のオートマは、ブレーキを踏みながらでないとシフトを動かせないが、ハイブリッドの場合、電源ボタンの時にこれが必要なよう。最初、訳が分からんかったね。普通なら、エンジンキーを回す際にブレーキを踏む必要はないから。

 

他の操作系統は問題ない。アクアは後ろの視界が狭いのが怖いが。とりあえずこれで出発。適当に原発周辺まで、国道6号線を南下して行こうか。この路線、以前は途中通行止めだったが、現在は全線開通している。

 

俺の実家がある南相馬市小高区の南側、浪江町、ここは母親方の実家、は、まだ帰還準備区域に指定されていて、泊まることは出来ないが、出入りは割りと自由になっている。駅前通り入り口のところのコンビニも営業していた。

 

ここから南側、双葉町、大熊町は、福一の一番近くで、帰還困難区域に指定されている。四輪車の通行は可能だが、二輪車と歩行者の通行は制限されていて、この区域の出入り口には警官が待機している。

 

四輪ならば車体によって放射線を多少防げるが、二輪車と歩行者はもろに食らうから、と言うことなのだろう。警官は、恐らく、バイクの侵入を防ぐ為に配置されている。

 

ちょっと納得行かないけどね。そんなにやばい地域なら、大人しく全面通行禁止にしておけば良いのに。だってよ、車体に付いた放射性物質を他の地域に運ぶことにもなるだろうよ。迷惑千万。俺は今回、ここを往復してしまったけどね。

 

国道6号は経済的にも大動脈ではあるので、多少の放射能は大目に見ての今回の措置か。ちょっと適当だね、この辺が行政の「安全よりも経済」主義で、嫌になるところ。

 

この帰還困難区域である双葉町大熊町の国道6号沿線は、脇道には一切逸れられない様、バリケードで固められている。あちこちで警備員が常駐していて、一時帰宅の許可がある住民だけ入れるらしい。

 

これだけ物々しい雰囲気は日本ではなかなかないだろう。戒厳令、俺は見たことがないけど、もしあるならばこんな光景なのかな、とは思った。富岡町の歩道橋に掲げられていた「富岡は負けん!」と言う垂れ幕が印象に残っている。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

現実的には、原発は核兵器の為に必要。現代の最強兵器である核、これに転用できる技術が原発なわけで、いざと言う時にいつでも核武装出来るように、日本も原発の技術は保持しておくべきだ。

 

オバマが広島に来たこの時に何を言っているという話ではあるが、奴は理想主義の甘ちゃんだしな。プラハで核廃絶を目指す演説をしてノーベル平和賞を貰っておきながら、結局、任期中にはろくに核兵器を減らせなかった、と言うね。

 

最近の歴代大統領の中では、在職中に減らした核兵器の数は最低らしい。つまり、口だけ、だったわけだ。上辺の政策方針と演説だけは良いけど、行動が伴わない、ではね。がっかりだ。

 

核兵器無き世界なぞ、まだまだ遠い儚い夢。こんな世界にあって、特に、周辺に核を持つ中国、ロシア、北朝鮮という仮想敵国がある日本が、原発を0にして核武装の可能性を自ら捨て去ることほど愚かなこともない。

 

トランプも日本に核武装しろって言っているしね。最近トーンダウンして、そんなことは言っていない、とか日和見始めているけど、アメリカ軍が撤退するなら日本は核武装せざるを得ない。

 

以上、原発は間違ってはいない。今回の事故も、俺は正直仕方ない、と思っている。人間、間違いは必ずある。だから、次につなげて行けば良いだけだ。

 

一応は事故の被災者である俺が言うのだから、無責任な意見ではないはず。全然関係ない、例えば、沖縄出身で外に出たこともない奴が言うなら、「外野からはいくらでも言える」と言う批判も当たるとは思うが、俺は一応福島県民、原発による被災は、幾許かは被ってはいるので。

 

ただ、俺がむかついているのは、事故そのものじゃない、ってだけ。事故の責任の所在が曖昧であることを咎めている。信賞必罰が当たり前なんだよ。そこから逃げ回る東電の経営陣の醜悪さよ。

 

会長や社長が偉そうにしていても構わないのは、経営の権利と責任を背負っているからだ。だから社員は頭が上がらない。が、いざと言う時に責任逃れをする、これは自分の人生の否定だと思うね。全てに対する背信行為だ。

 

全然、上に立つ資格がない人物だったな、東電の経営陣は。こういう大事故の時にこそ、自らが矢面に立って、指揮をし、非難を一身に受け、謝罪も賠償もして回る、これがトップの器だと思うけどねえ。

 

本当に残念な話。東電と言う、日本の一流企業でこれ。今回は無関係な企業でも、似たような奴らばっかりなんだろうなあ。こう考えると、就職とか阿呆らしいよね。なんでこんなゴミどもに頭を下げんとならんよ、と思うから。

 

と言うことで、俺が就職しない言い訳をし終えたところで、この話はやめておこうか。誰も読まないからな、こういう話。さっさと日記に戻ろう。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

原発反対なんざ、負け犬の思考だ。経済界の御偉方は皆賛成しているだろう?勝ち組は賛成する、ってことよ。その思考の根底は「失敗したなら、次はもっとうまくやってやる」だろうな。人生の勝敗は、この差なんだと思う。

 

俺が思うに、この際だから、福一周辺は原発と関連施設だらけにして、最終処分場すら引き受けて、その安全性を世界に誇れるまでになるべき。

 

こういうプラス思考で行こうぜ。これを目指さないでどうする?失敗したんだから、これを踏み台に、次へ、こうあるべきだろう?福島は原発の町にしてしまえば良いんだよ。世界中に「FUKUSHIMA」、名が売れたんだから。

 

今更こんなところで農業や漁業なんてやっても仕方無い。ニーズがないんだから、極端に安売りでもしないとならん。同じ値段で福島産を選ぼうという奴はいない。自分の子供に食わせられるか?俺はしないね。俺の地元だけど。

 

福島は、世界に誇る原発の街を目指そう。失敗したからこそ、こうあるべきだ。福島第三原発、この計画はかつてあって、俺の母親方の地元、浪江町で進んでいたのだが、中止になってしまったので、これをもう一度軌道に乗せ、第四、第五と、どんどん作るべき。

 

かつて、交通戦争と言われるまでに自動車事故が頻発したが、自動車開発を諦めたか?むしろ、安全対策をたくさん講じて、それが現在の自動車の安全に繋がっているんじゃねえのか?

 

今後の自動運転も、犠牲者は必ず出るだろう。最初から完璧に行く訳がない。だが、その事故を受けて、引こう、とはならないはずだ。それを糧に、改良を重ねて行く、これが正しい。 

 

御巣鷹山で墜落したから、空運を諦めたか?チャレンジャーが爆発したから、宇宙開発を諦めたか?ならば、原発は爆発したから、諦める、絶対に違う。

 

最先端の科学は、諦めない。人類は、科学の追及をやめない。人間の知は、常に前だけを見る。こういうもんだろ?ちょっと事故って、びびって立ち竦む、そんなのは敗者の思考だ。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

勘違いされそうだからもう一度言うけど、俺は反原発ではない。原発自体には賛成しているんだよ。反対している奴は現在でもそう多くはないと思うけどね。

 

反対派の声はマスコミででかく取り上げられる。現状に対して反対だからこそ、デモなどをやるわけで。そういうニュースが多く流れると、反対派が多数派のような錯覚に陥る。でも、実は違う。

 

賛成派は声を上げない。現状、原発はあるんだから、特に声を上げる必要もない。現在稼働が停止しているのも、そのうち動くだろう。だから、わざわざ「賛成」とデモをする必要がない。自らの希望通りに世の中が動いているから。

 

所謂、サイレントマジョリティ。震災後、基本的に原発維持を掲げる自民党がずっと支持されているのも、そういうことよ。反対派は一生懸命目立とうとしているだけで、実際には全然いない、ということだな。

 

そもそも、原発だって、民意で始まっている。そんなに反対が多かったなら、存在すらしていない。つまり、原発導入当時の世論は「原発賛成」だった訳だ。そして、事故が起きるまで、特に「反対」の論調はなかった。

 

それを、事故が起こった後に、「それ見たことか」みたいに、偉そうに騒ぎ出す。てめえにも責任はあるんだけどな、それはわかっているのか?政治ってのは国民の総意の下に動いているのだから。

 

「自分は反対していた」と言い張ったところで、その主張を掲げて他の人間を説得できず、多数派になれなかった、それはそいつの責任なんだ。福一の爆発は全国民に責任がある。

 

この理屈が分からない奴には民主主義とか、無理だと思うね。デモとかで叫びまわっている左翼の阿呆どもが一番民主主義を理解出来ていないのだと思う。実力行使で何とかしてやろうと言う、いわば、テロリストに近い。

 

政治はもっと静かに行うべき。デモとか逆効果。やっている奴は気違いにしか見えねえからな。逆に毛嫌いされるだけ。もっと地道に根回しして、選挙で勝てるよう努力すべきなんだよ。それが政治だと、気付け。

 

原発が、田舎を開発して金を落としてくれるのは、住民としては非常に助かる。福一周辺なんて、他に産業も無いし、仕方あるまい。原発反対ってのは無責任過ぎるね。なら、他に金になる産業を反対派が引っ張って来い。

 

ただただ、反対反対叫んでも、意味がない。反対派になることのメリットを過疎村の住民に説明出来ないと、誰も反対派に回ってくれんよ。反対派になることの経済的メリットを提示しろ、ということだ。要は金よ。それが資本主義だから。

 

(続)

 

今までメインで使っていたのは、もう10年ぐらい経つからな、さすがに買い替えようと思って。画面がでかい方が良いだろうということで、17.2インチの東芝のを。

 

このくらいの画面サイズのものとなるとメーカーが限られて来る。他にはデルぐらいしかなかった。性能が一番良さそうだった東芝のこれで、10万ちょいぐらい。

 

さすがに速いね。前のパソコンが10年前のXPなんで、それと比べれば当たり前ではあるが。ブラウザのもっさり感も消えて、快適、記事書きも捗るな、理論上は。後は俺のやる気の問題だが。

 

ただ、間のビスタ、7、8を経験していないので、この10、全然見た目が違うから、慣れるまでに時間が掛かりそうだ。頑張って使いこなして、色々とやりたいことを少しずつ、とは思っているが、隣にはビールが常駐している。

 

性能の良いパソコンを買って、宝の持ち腐れ、とならないようにせんとね。AVが大画面で見られるようになっただけ、では意味がねえからよ。

 

さて、放置している日記を書くか、酔い潰れる前に。