沖縄放蕩記 -18ページ目

沖縄放蕩記

東京でのスロプ生活に飽きて、2010年から沖縄に移住。

日々の生活を、酒を片手に、徒然と。

前の日記の続き。

 

話を元に。この日は1軒目の「たる松」で軽く。エシャレットがあったので食う。これは、ヨーロッパの「エシャロット」とは別物で、生食用に軟白栽培した早獲り辣韭(らっきょう)。

 

種別としては普通の辣韭と同じだが、日陰で育てている分、柔らかい。味も辣韭特有の辛みが薄い感じがする。まあ、これはこれで食いやすくて良いと思うが、島辣韭のような独特なパンチのある味わいは無いね。

 

2軒目、ふらふら上野を散歩しながら、御徒町の蕎麦屋に行くも、大人気で入れず。系列のもう一軒も満席らしい。仕方ないので、近くの蕎麦屋を探したら、入れた。「心洗庵」。

 

店内の名刺を見たら、さっき入れなかったのと同じ系列。この周辺に、新橋が本店の「本陣房」系列の蕎麦屋が4軒あって、その内の1軒。

 

「本陣房」系列の「吉仙」は昔からあって、三色蕎麦、田舎蕎麦で結構太かった様な、を食った覚えがあるが、この界隈に系列店、随分と増えたものだ。

 

系列なんだったら、さっきの店でこちらを紹介してくれたら良かったのに、こんなにすんなり入れたんだから。なんて感じで店の姉ちゃんと話していたが、笑ってばかりであしらわれる。

 

が、今調べたら、ここは「本陣房」のOBで、系列とは一線を画しているようだ。店の名刺には他の系列も紹介されているから、仲は悪くはないのだろうけど、一応独立して、蕎麦も別、と考えた方が良さそうだ。

 

日本酒を堪能して、蕎麦。旨かった。さすがに東京の蕎麦、人気の店だけあって、味は一流。沖縄ではこのレベルは食えないから、有り難い。

 

沖縄でも蕎麦屋は増えつつあって、少しずつレベルも上がってはいるけど、まだまだ。大宜味村や宮古島で蕎麦は作ってはいるから、地元の蕎麦と言うことで売りには出来る筈なんだが。蕎麦自体より、打つ技術が足りていない気がする。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

17時から、上野で成田と飲み。藪蕎麦が定休日だったんで、近くで適当に居酒屋、1軒目「たる松」。ここは昔来たことがあるな。2階の座敷が良いらしいが、そちらは18時から、と言う事だ。1階のカウンターで飲む。

 

講師時代の後輩。家が方角的に一緒だったのもあって、高田馬場で良く飲んだ。実に久々だな、で、今、何してんのよ?ふーん、文学の道は挫折して引き篭もりか。でも、新たに、英語の道が開けた様で、それはそれで良かったな。

 

まあ、勝手なことを言うと、俺もライター業をやった感じ、文を書くと言うのは経験だけが物を言うね。樋口一葉みたいな、若くして亡くなって、その作品が評価されている様なのもいるけど、こんなのはレアケース。

 

一般的に、文学と言うのは、大器晩成と言われる。人生経験を積まないと良い文は書けない。そりゃそうだよね、出来るだけ多くの人の共感を得られる文が名文と呼ばれるんだから。

 

若造が書いた文なんて、年を食った俺が今読めば、「青臭い」の一言で、数ページで投げてしまうだろう。「糞餓鬼が、人生が分かってねえ、そんな奴の文なぞ読めるか」、と感じてしまうから。

 

現代の人口構成を見れば、むしろ、多数派である老人に受けるような物を書くべき。となると、彼等が納得出来るぐらいの、深い人生経験を元にした文が必要になる訳で、それはまだまだ俺等には無理。

 

芥川賞を若造が取ったりするが、あれは話題性ありき。現代では文学もコマーシャルが必要だからな、活字文化自体が廃れつつあるのだから。文学界の必死のアピール。「天才出現!」みたいな。

 

俺自身、もう5年以上ここで書いているけど、昔の文を読み返すと、顔から火が出る。書く経験を積むほど文章力は上がるし、様々な実体験や知識の増加を無くして、文の説得力は増さない。今の俺から見て、昔の俺の文は恥ずかしい。

 

二本書いた作品、今、自分で見直してみ。多分、恥ずかしくて直視出来ないよ。別に、それで良いんだけどね。年を取れば、それ以上の物が書けるはずだから。だから、そっちの道に関しては、長い目で、のんびり、が良い。

 

文学は、すぐには結果は出ない。どころか、歴史を見返せば、死後にようやく評価される事も当たり前にある。だから、そっちの道は、おまけだな。趣味でやる、ぐらいが丁度良い。

 

何かの間違いで売れることがあったら嬉しいなあ、ぐらいの、宝籤的気分で。そうじゃないと、売れる為に世間に迎合して、自分が書きたくないことを書かなければならなくなるかも知れんし、もしそうなったら、「書く意義は何だ、自分の思うことを世に伝えたいからじゃないのか、それとは違うことを自分はやっている」、と言う話にもなって、本末転倒になるし、宜しくないと思うね。

 

むしろ、気が合う奴が読んでくれれば十分、と思って書くべき。見返りを期待しない文こそ本物の本音の文だし、もし少しでも、「売れたい」と言う邪念が入ってしまったならば、虚飾の文が生まれるだけ。そんな物は読むに堪えない。

 

飲んで書いているから、こんな適当なことが言えるんだけどね。大体、文なんて、ほろ酔いで書くのが一番良いんじゃないかな、とすら思っている。ま、酔っ払いの戯れ言、話半分で。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

5月18日水曜。この宿に日曜にチェックインしてから、一度も掃除をして貰っていない。毎日俺が昼過ぎまで寝ていたからね。タオルだけ替えて貰っていれば十分。まあ、今日は早起きしたし、やって貰うか。

 

その間に、洗濯。ホテル内にもあるのだが、乾燥機の性能が良くないと言うことで、近くのコインランドリーを勧められた。んじゃ、行ってくるか。洗剤はコンビニで買って、洗濯。が、ドラム式の洗濯乾燥一体型じゃないから、待ち時間が出来る。

 

洗濯中に新御徒町や合羽橋を散歩。合羽橋道具街、厨房器具や調理道具を中心とした日本一の道具街だが、これも何も変わっていなかったな。

 

戻って来て、乾燥機に入れ替えて、その待ち時間に、御徒町方面を散歩。ディスカウントショップの多慶屋は相変わらずの規模を誇っていた。このでかさ、ドンキなんて目じゃないね。この周辺のビルで10棟あるからな。

 

昨日上野を歩いた時に気付いたが、上野公園前にも多慶屋が出来ていた。かつて、パチンコ屋「上野みとや」があった場所。昔良くハイエナで使っていた店だが、見事に潰れた。ざまあねえな。

 

グリンピース上野も死んだ。出禁になった店なので、心底嬉しい。この調子で向かいのボッタクも、と思うが、前を通ってちょっと見た感じ、当面潰れそうにないな、残念。

 

でも、この界隈、相当パチ屋は減ったね。ピーワールドで見ると、上野、浅草がある台東区には現在25軒。俺がパチンコを始めた頃、50軒以上あったんだぜ。この業界も終焉間近だね。一刻も早く、頼む。

 

洗濯を終えて宿に戻って来るが、掃除が終わっていない。聞けば、16時まで掛かるそう。ええ?そんなんだったら掃除して貰わん方が良いな。結局、1週間泊まって、掃除して貰ったのはこの日限り。昼間はゆっくり寝たいからね。

 

俺が飲みに出掛けて部屋を空ける夕方から掃除してくれる様なシステムなら便利だが、まあ、どこのホテルもそんなことはやっていないから、仕方あるまい。

 

でも、これはビジネスチャンスだと思う。こういう選択肢があれば助かる人も多いはずだから。ホテル側も、こういうのは売りになるはずだ。

 

チェックインやチェックアウトの時間も、もっと幅を持たせてくれると嬉しいね、利用者としては。朝に弱い俺としては、チェックアウトは昼過ぎにして欲しい。

 

現に、ラブホではこう言うサービスをやっているんだから、普通のホテルでも出来なくはねえんだよ。偉そうにしてねえで、ラブホを見習え、ってことだな。後、デリヘル禁止のビジネスホテルも、反省して、むしろ積極的に許可すべき。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

街並みを楽しみながら、千疋屋に到着。頼まれていた杏仁豆腐は、要冷蔵だった為、諦める。宿に冷蔵庫が無かったしね。代わりに、日本ではここが発祥らしい、フルーツポンチを。

 

後で食ったが、フルーツってより、砂糖の塊。甘過ぎる。要は、高級な缶詰って感じか。果物をシロップ漬けにした物で、昔は酒を使っていたらしいが、今はアルコールは入っていないようだ。

 

因みに、英語では「fruit punch」なので、「パンチ」の方が発音的には近い。実際、フルーツパンチと言う表記も見られるが、千疋屋が、名前の斬新さと、当時流行の風刺画「ポンチ絵」(歴史教科書で見た覚えがあるはず)を意識して、「フルーツポンチ」としたそうだ。

 

これを買って帰る。重いな、これ。まあいい、トレーニングと思って、これを持って、再び街並みを見ながら散歩。今度は、神田、秋葉原、末広町、上野広小路、上野、稲荷町、と歩く。

 

神田にも1年住んだことがある。稲荷町の後、2008年末から2009年末まで。雑多な街並みは今も変わっていなかった。再開発の計画があったはずだが、どうなっているのか。まあ、この汚さが俺は好きだけどね。

 

秋葉原はさほど変わっていないか。俺がいた時に既に再開発されて綺麗になっていたから。狂気の街と言う雰囲気は今もそのまま。店舗の看板の至る所にアニメ絵があり、メイドがちらしを配っている。こう言う趣味には付いて行けん。

 

上野広小路辺りは然程変化無し。上野パチンコ村、パチメーカーや関連雑誌の編集部が集まっているところ、も通ったけど、これも相変わらず。ここが消えて無くなることを切に願っている。

 

宿に帰って来て、風呂に入って寝て、上野の街に一人繰り出す。1軒目、駅前の「ヱビスバー」、サッポロビール直営のビアホール。

 

ヱビスビールってのはサッポロビールの一つのブランドで、ヱビスビールって言うメーカーがある訳じゃない。一応、サッポロビールがヱビスと合併したのではあるが、1906年の話。

 

この時、アサヒビールも一緒に合併している。戦後、1947年の過度経済力集中排除法、GHQの方針で財閥を解体する為の法律、だが、これによって、アサヒビールとサッポロビールに分かれた。

 

東京の恵比寿って地名自体が、ヱビスビールの出荷場があったことに由来する。恵比寿駅の発車メロディは、CMで耳にする、ヱビスビールの、あれ。一昨日に行った恵比寿ガーデンプレイスも、サッポロビールが所持していたりする。

 

で、この「ヱビスバー」はサッポロビールが経営しているので、有名なビアホール、「銀座ライオン」と、元は同じ。ビール自体は違うけどね。期間限定の、ホップが強いビールが良かったな。フィッシュアンドチップスも旨かった。

 

2軒目、丸井向かいのおでん屋「志んせい」。昔来たことはある。沖縄のおでんは独特だし、久々にこっちのおでんを食ってみるのも悪くないかな、と思って。ここは関西系の薄味だけどね。

 

その後、バーにでも行こうと思ったが、店の前でグループ客が大挙して入っていくのが見えたから、やめて帰る。こんなに一気に入ったら、酒もしばらく出て来ないだろうし、うるさそうだし。宿に戻って、だらだら飲みながら、寝る。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

宿に戻って寝る。後藤が、仕事の後飲める、と言うことなので、23時から上野で。飲み屋、キャバ、風俗が集まっている仲町通りを通ったが、雰囲気は全く変わっていないな。客引きが相変わらずうざい。

 

ここの外れにある店、「二代目圭」で。遅くまでやっていて、味も悪くはないけど、高い。近くにキャバが多いから、同伴アフターで使われる為だろう。この時はその合間、客は全然いなかった。

 

後藤とはそんなに久々ではない。奴はそこそこの頻度で沖縄に来ていて、その時に飲んでいるので。子育ては上手く行っているようだが、二人目は作れる環境に無いとのこと。

 

勿体無いね、経済的余裕はあるんだから、がんがん作れば良いのに。現代人において一番大事なのは、時間だ、とつくづく思う。俺はその時間を堪能はしているかな。酔っていると記憶も飛ぶし、時の流れは早いものだが。

 

この日はこれで解散。他に行こうとして、やっていなかっただけ、と言う話もある。この仲町通りの風俗も、営業時間などで、やっぱり昔より厳しくなっているのかな。宿に帰って寝る。

 

5月17日火曜。今日は特に予定は無し。今週は飲み食いしてばっかりになるから、動かないとやばいだろう。土産で千疋屋の物を頼まれていたので、歩いて買いに行くことにする。稲荷町から、日本橋に向かって、出発。

 

稲荷町には、2007年から2年半程住んでいたことがある。神田で稼働していた2008年末から1年程度、ダイエットも兼ねて、稲荷町神田間を徒歩で通っていた。

 

なので、それなりに馴染みがある土地だから、今回、変化を見てみようと思って。千疋屋があるのは神田のちょい先なので、かつて通った街並みを歩いて行く。

 

そんなに変わっていないかな。飲食店も、昔からある店が結構残っていた。岩本町の問屋街はちょっと寂れて来た感じはしたか。高層マンションとかに変わりつつある様だ。繊維問屋街だからな、中国製品に押されているのだろう。

 

新しく目につくのは、家系ラーメン。家系なんて昔からあるのに、何故今頃、こんな爆発的に増えたのだろう。観光客受けが良いのかな。沖縄でも、豚骨ラーメンの「暖暮」に中国人が並んでいるし。

 

蕎麦屋も増えたな、と言う印象。これも観光客目当てか。まあ、ラーメンも蕎麦も日本独自の食い物と言えるし、売りにはした方が良いとは思う。

 

うどん屋はそんなに無かった様な。まあ、東京では蕎麦が強いから仕方あるまい。それに、蕎麦は、老舗の高級店と安い立ち食い蕎麦と言う住み分けがあるから、味を売りにして単価を上げることは可能。だから、個人経営店も多い。

 

だけど、うどんって、基本的には安さが売りになる。高級うどんなんて物はほとんど無い。だから、はなまるとか丸亀の様なチェーンが強い。チェーンは規模のメリットで安売り出来るからな。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

この後、思い出横丁、これは全然昔と変わらない汚らしさ、を眺めたりして、歌舞伎町を散歩。テレクラとか覗き部屋とか、未だにあるんだね、どこにそんな需要が、って感じ。

 

昔からある駅前ソープは残っていたが、それ以外の風俗、ヘルスなんかは、だいぶ減った。メインの広場はやたら綺麗になっていた。と言うか、何もなくなった感じで、閑散としていた。

 

昔はここが、野球の早慶戦やラグビーの早明戦の時の乱闘会場になっていたのだが、今ではそんな雰囲気ではない。木に登って旗を振るのがどちらの大学生か、と言うことで戦いになっていたのだが、その木も無くなっていたような。

 

石原、本当に余計なことをしてくれたもんだ、歌舞伎町の魅力は半減したね。昔は、「今日は傾きに行くか!」と言って歌舞伎町の風俗街へ、その自らを「傾奇者」と称して誇っていたものだが。今は戦国から江戸か、つまらん。

 

多分、アンダーグラウンドの風俗はたくさんあるんだろうけど、今の歌舞伎町になってからの初心者の俺には、見つからなかった。

 

有名らしい「ロボットレストラン」と言う、ショーをやる店があって、入ろうかと思ったが、思いの外高くて、やめ。適当に4軒目「ハブ」に入る。沖縄にはこのチェーン店「ハブ」は無いけど、俺は結構好きなので、進出して来て欲しい。

 

典型的な、気軽に入れるパブで、バスペールエールが好き。ここのラムの串も。沖縄にもパブは数軒あるけど、まだまだ数が足りない。店舗にもよるが、昼飲み出来る良い空間なので、このハブが来てくれたら助かる。

 

「ハブ」、正確な店名は「HUB」だけど、これは沖縄に進出するには名前が良くないかも知れんな、蛇を想像してしまうから。でも、ここは、スポーツも店内で流してくれるんで、日本シリーズやWBCを見ながら飲めるのも良いし。

 

再びふらふらと歌舞伎町を散策して、5軒目「すずや」、とんかつ茶漬けの有名店。昔から知ってはいたが、入るのは初めて。とんかつはやはり普通に食うべきだな、茶漬けにする必要は無い。店は繁盛していた。量が多くて、腹が膨れた。飲んだ時に来る店では無い。

 

泡島も、仕事や家族サービスで忙しいらしく、これにて解散。沖縄に来る機会があれば、また離島巡りにでも行くか。まあ、その時はその時で、家族が増えていたりして忙しいとは思うが、暇を見つけて。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

さて、大デブは仕事が忙しいらしいので、早めに撤収。山の手線でちんたら上野まで戻り、宿へ。

 

部屋は狭いが、寝れれば十分なので、俺はさほど気にならない。シャワーがトイレと一緒で非常に狭いのは使い辛いが、1階に浴場があるので、そちらを使えば問題ない。

 

周りの部屋の騒音は一切気にならなかった。毎日どの部屋も掃除していたから、客がいない、と言う訳では無い様だが。これだけ狭いし、この階は全部屋シングルだったので、どの客も皆、寝るだけと言う使い方をしているからだろう。

 

息苦しいスーツから着替えて、まだ夜も更けてはいないし、久々の東京を味わって来るかな、と言うことで、上野駅近辺に出掛ける。

 

かつて上野駅前にあった「聚楽」と掲げられていた、古臭い、昭和の面影を残していた建物、今は取り壊されて、新しく綺麗になっていた。この建物に入っていた蕎麦屋「喜乃字屋」に。

 

うーん、点数高いけど、俺には全然。肝心の蕎麦が、ね。ワインとかフォアグラの盛り蕎麦が売りらしいので、俺が求めるものと違ったかな。この後、他に行く気力も無くて、大人しく宿に戻って寝る。

 

5月16日月曜。昼に起きて、新宿で泡島と飲む。宴の翌日、何とか休みが取れたそうだ。嫁さんは仕事らしいが。身分と金にはそれ相応の義務がある。それを選ぶか、身分も義務も無いこの生活か、難しいところよ。

 

久々の新宿だが、駅前はさほど変わってはいなかった。アルタ前も俺の記憶と相違無い。1軒目、散歩していたら見つけた「アサヒスーパードライ新宿」、アサヒ直営のビアホール。昔からあったかな、これ?

 

エクストラコールドはそんなに冷たくない。ビールの種類は豊富で楽しめる。料理は食っていないので、知らん。本物のスーパードライは、沖縄と違って、濃くて良いね。

 

次へ。伊勢丹の中にある蕎麦屋に行こうとしたが、ショーケースを見たら、量が多いのでパス。デパートの店はやはり食事がメインになってしまうな、飲むのには向いていない。

 

2軒目、さっき見つけた天麩羅屋「つな八」。老舗らしいが、初めて。東京に住んでいた割りに知らないな、俺。まあ、新宿は、歌舞伎町の風俗だけは詳しかったが、他はそんなに。

 

で、天麩羅、結構高くついた。さすがに東京、沖縄とは違う。沖縄の飲食店の値段に慣れていると驚くね。天麩羅は、オーソドックスなのもあるけど、売りは変り種のよう。それらは食わなかったのでわからんが、さくさくで良かった。

 

3軒目、蕎麦屋「渡辺」。新宿東口から南口を回って西口まで歩く。この辺の土地勘は、元東京人だけあって、今もあるな。昔と比べて、南口近辺は綺麗になっていた、ってぐらいだね、違いは。ヨドバシカメラ近辺の猥雑さはそのまま。

 

で、蕎麦、味は悪くないとは思うんだけど、やたら太いのとかがあるのは何でよ?手打ちだからとは言え、ちょっと。食べログの評価は高過ぎかな。東京の食べログの点数も当てにならんもんだ。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

大デブと話している内に、かつて大学で一緒だった他の連中は何をしているんだろう、と言う話になって、毎度のことながら、酔ってあちこち電話を掛け始める。それにしても、大概の奴の反応が冷たいこと。

 

当たり前なのだが。俺が一人暮らししていた、大学そばのグランド坂下の家は、大学にろくに通わない、飲んで麻雀ばかりしている奴の溜まり場だったから、そこに入り浸っている奴は、真面目な奴らからは悪鬼の如く嫌われていた。

 

酒を持って大学の教室に面子を探しに行けば、「奴らと目を合わせたら駄目だ」と言う声無き声が、さすがに俺でもはっきりと聞こえた。「関わりたくない」と言う雰囲気を、皆もろに出していたね。

 

そういう空気を、この大デブは、読めてはいるんだろうけど、わざわざ嫌がらせのように絡んだり。で、当然、今回あちこち電話しても、鰾膠(にべ)も無し。出川、ロリ、ベーシストはこれ。まあ、近況が聞けたのは面白かった。

 

北原とりゅうじは本人とは繋がらず。大デブ、北原の親父と長々と話しやがって、多分、親友からの電話、と勘違いしたな、あれ。向こうは会いたくもないはずだが。クマとマルはどちらかと言うとこちら側なので、割りと普通に話せた。

 

こんな感じで飲んでいたら、隣で一人で飲んでいたイタリア人のおっさんが話し掛けて来て、もう日本も長くて日本人の嫁と子供がいるらしく、日本語もぺらぺらなのだが、ワインを戴いて、わいわいと一緒に飲む。

 

このおっさん、もう50にもなるし、嫁子供もいるのに、近くにいる女にはすぐに話し掛ける。さすがイタリア人、と言うところか。

 

イタリア人は「俺が死ぬのは女の為だけだ」とかぬかして、戦場で戦うことを放棄しちまうぐらいだからな。だからいつもイタリアは戦争に負けるのだが。19世紀末にはエチオピアにも負けている。これを見ると良いかな。

 

この国とは同盟を組むに値しないよ、組んでも、戦力とは思わない方が良い。まあ、今は軍の戦力はそれなりに揃っているそうだが、兵の気質が、ねえ?

 

イタリアが一応の形で統一したのは19世紀後半にようやく、基本的に都市間で仲が悪いから、国家の概念が弱い。「国の為に戦う」と言う意識が薄いゆえ、士気も低いのではないかと。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

披露宴は豪勢に。随分と澄ました感じだな、泡島。料理は無茶苦茶凝っているし、酒も非常に旨かった。まあ、スピーチがあるので、調子に乗ってがぶがぶやるのはやめておこう。

 

と言うか、そんな飲み方をしている奴は一人もいなかった。皆しっかりした身分の方々ばかりなので、ちゃんと弁えている。俺だけが場違い。まあ、今更そんなことを気にするような性格ではない。そうだったら、こんな生活をしていない。

 

デブと話しながら飲んで、新郎新婦と話したり写真を撮ったり、親族と挨拶を交わしたり。俺が新郎友人代表のスピーチをしたのだが、その話は既に書いた通り。ま、宴をぶち壊さなかっただけで合格点だろう、俺の場合は。

 

そんなこんなで披露宴も終わり、新郎はさすがに出て来れないので、大デブと二人で飲むことに。タクシーで移動して、恵比寿ガーデンプレイスへ。入り口のところにあったテラス席の店に入る。多分、グラーノ・デリカテッセン・バル

 

まだ日が出ている内から飲むのは気持ち良い。うざいネクタイを外し、シャツのボタンを開ける。いや~、俺は野良犬だから、首輪は窮屈で仕方ない。

 

お洒落な街並みと超高層ビル群、最先端のファッションに身を包んだ行き交う人々、を眺めながら、ビールを飲む。やっぱり沖縄と比べると、違うね、上流階級だわ。沖縄で暮らしていると、こんな光景はなかなか見れない。

 

これが格差か。沖縄一の繁華街、国際通り近辺でも、汚いのは多いからな。まあ、市場とか立ち飲み屋がたくさんあるのだから当たり前ではある。ま、こんなこと、俺が言えた義理ではないが。

 

(続)

 

前の日記の続き。

 

ツクバホテルと言う小さなホテルだが、上野から少し離れているせいか非常に安くて、1泊4400円。一週間滞在するし、安く済むのは有り難い。上野まで十分徒歩圏内だしね。昔この稲荷町に住んでいたことがあるので、土地勘もある。

 

上野周辺の他のホテルも調べたのだが、平日ならこれくらいの値段のホテルでも、週末になると値段が跳ね上がったりするので、一週間トータルだと高くつく。

 

部屋はまだ清掃中で入れないので、ロビーでパソコンを弄ったりして準備をして、荷物をカウンターに預けて、披露宴へ出発。

 

昔使っていたスイカを引っ張り出して持って来て、こっちですぐに入金したので、電車はスムーズ。乗り換えなんかも覚えているもんだな。まだまだ沖縄の田舎に染まってはいないぜ。

 

祝儀袋は家に置いてあったのを持ってきたが、名前の書き方も知らず、デブに教えて貰って書いて渡す。残念ながら、こういう常識はない。俺の稼業とこの生活では、一般人の常識は非常識だからな、仕方あるまい。

 

おう、久々だな、デブ。しかし、もうデブで利かねえぞ御前、大デブも良いところ。こいつは大学以来の友人だが、見る度にぶくぶくと。聞けば、110kgオーバー。身長は俺と変わらないのに、よくもまあ、そんなになれるな。呆れる。

 

「夢遊病なんじゃねえかな、朝起きると枕元にパンの空き袋があったりするから」とかぬかしてたが、昨晩食ったのを忘れているだけだろうが、常時食っているから。寝る前に枕元で食う習慣からまず改めるべきだ。

 

これで健康診断が、肥満以外問題ないってのは、訳が分からん。これでもマラソンを走れるとか、不思議なものよ。一応筋力はあるようだから、プロレスラーみたいなもんなのかね。道を誤ったな、御前は関取になるべきだった。

 

(続)