福島帰省記その7・感傷 | 沖縄放蕩記

沖縄放蕩記

東京でのスロプ生活に飽きて、2010年から沖縄に移住。

日々の生活を、酒を片手に、徒然と。

そんなこんなでちょっとふざけた気分だったんだが、壁にあったカレンダーがふと目に入ってきて、そんな気分は霧消した。2011年3月。そうか、あの時からこの家の中の時間は止まっているんだな。カレンダーには、親父が書き込んだ、下旬にある病院の予定が一つだけ。これぐらいがイベントの、田舎の静かで平凡な日々はここで終わったんだな。

こんなこと、わかりきったことだけど、やっぱり目にすると違う。両親ともこっちで元気に楽しく暮らしているけど、苦労したな。他界した爺さん婆さんも同じか。人間、他人の気持ちに思いを馳せてやるってのは難しい。話を聞いて頭では理解していても、同じ気分になるには体で感じることが必要だ。自分の浅薄さを恥じた。別に誰が悪いとかって感情もない。ただただ感傷的になるだけだ。

この後に、この家を建てる前の実家も見た。結構前から誰も住んでいないのだが、そのまま放置中。外から見ると窓がちょっとだけ開いているのがいくつかある。しっかり締めていなかったのが、揺れでちょっと開いてしまったようだ。中に盗まれるようなものもないんだが、一応締めておいた。中は様々なものが倒れていて、揺れが実感できた。

一部天井もはがれていた。古い家だしね。コウモリの死骸もちょくちょく。窓の隙間から入って出られなくなったのか。近所にも家を見に来た人がいて立ち話をしたんだが、ねずみも結構出るとか。津波で多少床下浸水した家もあって、そこらは大変らしい。

その後に街並みも見て回った。古い家は倒壊していて、ある程度は撤去したようだけど、まだまだ残っている。この崩した瓦礫も、行き先がないから処理できないらしい。まだまだ問題山積みか。この凍った時が動き出すのはいつの日だろう。