琥珀の夏 | kogumaのブログ

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小学生の低学年だったか…

夏休みに、どこかの山奥の方で

林間学校のような合宿に参加したことが

あった。各地から集まった小学生たちが

共同生活をし、遊びや学びを体験すると

いうもの。具体的な内容は一切憶えて

いないけど、なんだか居心地の悪い

馴染むことのできない、早く家に帰りたい、

そんな気持ちだったことだけは鮮明に

覚えている。合宿が終わって東京駅に

親が迎えに来ていて、その顔を見た時の

安堵感、安心感は今でも忘れられない。







子供たちだけで生活をする

「ミライの学校」っていう施設に

夏休みに一週間限定での合宿に参加した

小学4年生のノリコ。


子供たちだけで考えさせるこの「学校」の

方針は普段の学校では学ぶ事の出来ない

自立心を芽生えさせる。ある意味理想的な

教育を実現している。ただ、ノリコにとっては

他の子たちと馴染むことが出来ず、居心地が

悪い。早く家に帰りたいって思ってた

ところに、ミカっていう同い年の、この

施設にもともと住んでいる女の子から声を

かけられた。寂しくて不安な気持ちが

解消された。嬉しかった。

嫌で嫌でしょうがなかったこの合宿が

楽しいものになった。





時は経ちノリコは大人になり弁護士と

なった。一児の母となり、子育てと

仕事の両立をしながら生活している折、

昔、自分が合宿に参加したことのある

「ミライの学校」の敷地内から

白骨化された子どもの死体が発見された、

というニュースを目にする。

もしかして、この死んでしまった子は

ミカちゃんなんじゃないか…

そんな思いに囚われる。

実はこの「ミライの学校」はとても

いわくつきのカルト団体だったのだ。



子どもの頃に植え付けられた考え方

って、大人になってもしぶとく

こびりついているものなのだろうか。

子どもの頃に経験した、尊敬する大人の言動を

正しい、と理解して引き摺ることは

ないだろうか。


一般の社会と関わりがなく、

限られた世界の中だけで生きてきた

子どもにとって、そこで得た知識や

ルールは絶対だし、それを逸脱した考えは

排除せざるを得ない。

やがて大人になって、一般の社会の

一員として生きていくと、なんらかの

違和感を感じることになる。


問題となっている宗教二世のような。

物心着く前から培った考えはなかなか

消えるものではない。

子どもの教育っていうのは、守り過ぎても

ダメだし、突き放し過ぎてもダメ。

そのいい塩梅が難しい。


子どもの頃の自分と大人になった自分。


周囲の目とか、陰口、書き込み、人間関係の

いざこざ、など気になり出したら

キリがない。大人になったって同じような

問題で悩み苦しみ生きているもの。


そんな揺れ動く感情を表現してくれる、

共感させてくれる、作者辻村深月は

ほんとにすごい。なんで、わたしが

体験したようなことを思い起こさせて

くれるのか。彼女の作品を読むと

いつもながら自身の過去と

向き合わさせてくれて、そして現在を

生きる「希望」を与えてくれる。

ほんとにすごい。