どもっ!島野です!
実は、今日はブログを書く前からその一言目を決めていました!
東京オリンピック、感動と勇気をありがとう✨✨
コロナ禍における開催ということから、本当に色々なことがありましたが、それでも「開催できてよかった」というのが島野の率直な感想であり、この感動のエネルギーをコロナ禍を乗り越える力に変えていきたいと思いました。
さて、そんな中に届いた祖青8月号☀☀
タイトルは「戦後」の克服を志して
まずはじめに、
「日本青年協議会50年を振り返ってvol.2」
を読みました。
昭和45年11月3日、奈良県の橿原神宮にて結成された日本青年協議会を何を志して活動を展開していったのか。
本記事では、
①三島義挙正当裁判要求闘争
②日教組批判と日本教育研究所の結成
③政府主催の憲法記念行事 「糾弾」大会
④昭和天皇の御在位五十年奉祝式典&パレード
が紹介されています。
これらの記事を読んで島野が思ったことは、
日本青年協議会はその出発から一貫して「戦後なるもの」を人生を懸けて克服しようとしてきたということです。
そして、なぜ「人生を懸けてまで」の運動に尽力することができたのだろうかと考えると、それは「自らも戦後世代に生きる者」という痛感があったからではないかと思いました。
「左翼思想を脱却したからこそ、この運動を展開していくんだ」という上から目線の運動ではなく、「自分の心にも戦後なるものがある」という自覚を持つが故に、真剣に自分の生き方を考え、行動することができたのではないだろうか。
そのことは『祖国と青年』という誌名を定めた際の文章に表れています。
「青年には、青年の独自の生き方があると云うよりも、祖国との関係中において始めて青年の生き方が存在するのであり、そこに青年の意義と役割は始めて発揮される。祖国との関係の中に青年の生き方を見出すことを忘れた現代青年、この時期に『祖国と青年』を敢えて世に送ることは有意義であると云う確信のもとに、このタイトルは生まれた」
(「祖国と青年」創刊号 編集後記)
もしかしたら、これは自分達にも言い聞かせるような言葉だったのではないでしょうか。
「日本は侵略国家」「革命すべきだ」という亡国的思想が蔓延する中、それでも自らの信じる祖国との関係の中に自身の生き方を見出そうとした懸命なる努力の結果が、そのまま日本青年協議会の運動なのだと気付かされました。
非常に感慨深いです。
以上。
次回以降も8月号の記事を読んでの感想を紹介していきます😊