パラオからの引揚者が開拓した北原尾 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
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 「祖国と青年」8月号には、北原尾の取材記事が載っています。

 

 両陛下は昨年4月にパラオをご訪問になりましたが、その後、パラオからの引揚者が開拓された「北原尾」(北のパラオの意)という地があるのをお知りになり、同年6月にここにお立ち寄りになりました。

 

 「祖国と青年」8月号の記事から、当時両陛下をご案内された工藤静雄さんのお話を、以下に紹介します。

 

 両陛下のご訪問が決まった時は、集落の方々は「まさか」と驚いたそうだ。集会所前に集まった約百名以上の方々が歓喜の声で日の丸を振ってお迎えした。


 両陛下は村の方々の歓迎を受けられた後、開拓した方々の思いを継承するために建立された「開魂の碑」と、当時の様子を伝える写真パネルをご覧になられた。その後、両陛下は引き揚げ者三名と約十五分間懇談された。その後、マイクロバスで集落の方へ向かわれ村の様子をご視察された。


 私も両陛下が通られた道を歩いたが、開拓時代から受け継がれている牛舎や畑があった。きっと、両陛下もこの景色をご覧になりながら当時のことをお偲びになられたのではないだろうか。


 この時のエピソードで、集落の方で足が悪く奉迎場所の集会所に行けなかった方が、自宅前で両陛下をお待ちしていたところ、陛下がわざわざバスをお止めになってお声をかけられたそうだ。また北原尾までの沿道にも両陛下を奉迎する人々であふれ、歓喜の声が響き渡ったそうだ。


 当時を振り返って、工藤さんは次のように語られた。


「両陛下がパラオに行かれるってことはテレビ報道で知っていて、良かったなと思っていましたけど、まさか北原尾に来られるとは思っていませんでした。組合員の皆も感激ですよ。それとこの記念碑作ってて良かったなと思いましたね。これさえも無かったら何もないでしょう。両陛下が来られた日は、陛下のお乗りになられたお車が会館の前に止まって、私らと町長とでお迎えしました。その後、パネルをお見せしてご説明しました。昔の笹小屋の写真をご覧になって『暗くて窓もないので、寒くて大変だったでしょう』と仰ったんですね。そのあと、私が案内してこの集落を一周まわりました。その途中、開沼さん宅の前に四名くらいの方がお迎えしていましたが、陛下がわざわざバスを止めて、窓を開けてお声をかけられましたね」


 工藤さんの奥様も「あの両陛下の笑顔が何とも言えず、ありがたい気持ちで一杯になった」と満面の笑みで答えられた。前述した今野泰子さんは、「私は九人兄弟だったのですが、そのうち三人はパラオで亡くなりました。パラオから引き揚げた後は、一時期山形に住んでいたのですが、事情があってこの北原尾に来ました。移り住んだ時は食べ物もなく本当に大変でした。昨年、両陛下が来てくださったことは本当にありがたかったです。雲の上の人だと思っていましたが、本当に親近感が湧いて…。総理だって誰だってこんなところには来てくれませんよ。天皇陛下だけは考えて下さっていると感じています」と涙ながらに語った。


 集落の皆さんが両陛下の事を語る際、一様に感激し涙を浮かべている様子が印象的だった。