8月14日に安倍首相が出した「戦後70年談話」。
「侵略」や「謝罪」が入るかどうかで事前報道がいろいろあり、結果、村山談話、小泉談話で使われた「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」というキーワードが全部入る、ということになりました。
具体的には、以下の文章に4つのキーワードが全て出てきます。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
さて、これをどう見るかですが、「侵略」「植民地支配」については、見事に一般論の文脈になっています。「痛切な反省」と「お詫び」も、過去に表明してきたという一般論になっていますが、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」とありますから、これは安倍首相の立場でもあるということになります。
こうしたことをつらつら見ていくと、果たして安倍談話は評価すべきなのか、批判すべきなのか、微妙になってきます。
実際、保守の中でも評価する人、批判する人、まちまちです。
実は、8月15日に靖國神社で行われた戦歿者追悼中央国民集会においても、この安倍談話をどう評価するか、ということが一つの眼目でした。結論から言うと、評価すべき、ということでした。登壇者の方々もそういう発言でしたし、声明文にも次のように書かれています。
昨日、安倍総理が発表した戦後七十年談話もまた、「村山談話」や「小泉談話」で示した「植民地支配と侵略」を認め、「おわび」と「謝罪」を要求する内外からの執拗な圧力にもかかわらず、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」として、日本が謝罪の歴史に終止符をうち未来志向に立つことを世界に対して発信したことを高く評価したい。
ここにもある通り、内外からの執拗な圧力を考えれば、これがギリギリの内容ではないでしょうか。事実、アメリカは好意的に受け止め、中韓も静観を決め込んでいます。
談話は私たちが満足できるかどうかより、国際社会にどう受け止められるかが重要で、そういう観点から書かれたものなのだと思います。