遺骨収容の現状 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 来年終戦70年を迎えますが、戦後70年経って、遺骨収容の現状はどのようになっているでしょうか。


 厚労省のデータによれば、海外戦歿者概数420万のうち、収容概数が127万1千、未収容概数が112万9千となっています。


 つまり、約半数のご遺骨が未だに祖国への帰還を果たされていないのです。


 「祖国と青年」12月号で、寺崎慶子さんがガダルカナル島での遺骨収容の体験記を書かれていますが、その中に、日本の遺骨収容の取り組みのあり方について考えさせられる指摘がありましたので、記事の最後の部分をご紹介します。



 海上自衛隊の艦艇で日本へご帰還いただくということは、間違いなく戦後の日本にとって大きな一歩である。いままでは飛行機の「貨物」として帰還されていた事実を知った時は驚いた。当時の日本人はみんな万歳をして将兵を見送ったのではないか。「お国のために戦ってください」と、日の丸を振って見送ったのだ。それが戦争に負けたらお迎えにもいかないのか。ご帰還を果たしても、空港で荷物として扱われるのはあまりにも申し訳なく思う。日本国民が盛大に「お帰りなさい」「ありがとうございます」と感謝と尊敬の念でお迎えすることはできないのだろうか……。


 今回の自主派遣隊の活動を振り返り、すべてにおいて英霊に最大の敬意を払う活動であったように思う。純粋な慰霊顕彰の活動に、その一員として参加できたことがとてもありがたかった。右も左もわからない私に、隊長、副隊長を始め、隊員の皆様にも大変親切にしていただいた。

 

 このたび、戦死者の遺体収容や遺族への返還などを専門的に行う米軍の常設機関「統合戦時捕虜・行方不明者調査司令部」(JPAC)もガ島に来ていた。ガ島のギフ高地において七名の行方不明者を捜索するためだった。七名の捜索にアメリカ人約十五名、現地ソロモン人約四十名。私たちの原始的な捜索とは異なり、ブルドーザーを使う大規模な活動だ。一方、我が国は七千~八千柱のご遺骨が密林に眠っている中、本派遣活動は有志のボランティアが自費でお迎えに行っている。米側から「我々の十倍以上の戦死者を出しているのに、ボランティアか」と驚かれる。国の戦歿者への対応に、アメリカとの圧倒的な差を感じた。


 ただ日本の安泰、家族の幸せを願って遠い島で斃れた将兵や軍属に、祖国日本に帰っていただくお手伝いをするというこの遺骨収容の活動を知り、真剣に考える日本人がどれくらいいるのだろうか。日本人である私たち、日本の恩恵を受けている私たちができることは何であるのか、国民一人ひとりが考える機会はあるだろうか。七十二年ぶりに祖国日本に帰られた英霊に、胸を張って日本は良い国だと言えるだろうか。いろいろな思いが今も頭を巡っている。


 我が国では現在、遺骨収容が注目され良い方向に進んでいる。多くの国民がこの実態を知り、それぞれの立場で英霊の慰霊顕彰に取り組んでいくことが大切なのではないか。