占部賢志著『私の日本史教室』 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 既にご存知の方も多いと思いますが、「祖国と青年」の占部先生の連載が単行本になりました!






 以下、「祖国と青年」11月号掲載の熊谷美加さんの書評をご紹介します。



 学生のころ、占部賢志先生の講演を拝聴させていただく機会が度々あった。先生は講演の終わりに決まって「なぜ佐賀にまで来て講演をしているのか」お話しになった。「よい講演だったで終わらせてくれるな」と語気を強めて話されるのだ。講演がよかったというだけでは、単なる自己満足にすぎないということ、この場で心に感じたことを元として自分に何ができるか、考え行動するのが最も大事であるということ。そしてさいごに「一騎当千の人物になりなさい」と話された。言葉は厳しかったが、それよりも感激が勝った。先生の言葉は同志に対する言葉であった。「共にやろう、君ならできる」という切なる願いがこもった言葉に奮起したものだ。


 占部賢志先生の『私の日本史教室 甦る歴史のいのち』(明成社/本体二千円)は、『祖国と青年』誌に連載中の「甦る歴史のいのち」の中から選んだ原稿に加筆され、一冊の本にまとめたものである。連載開始は平成十四年一月。すでに十二年目を数えている。本書を手に取り目次を眺めた時、学生時代に学習資料として繰り返し読んだ内容があり、先生をお慕いし学んでいたことが懐かしく思い出された。


 占部先生は「思想は『表現』に宿る」と喝破される。「和を以て貴しと為し」からはじまる聖徳太子の憲法十七条と言えば知らない人はない。しかし、憲法全文を読み味わったことがあるだろうか。先生は「憲法十七条については、何が書かれてゐるかよりも、いかに表現されてゐるか、その点に意を注いで熟読玩味することが肝心である」と断言される。


 憲法十七条については、一通り読んだことはあっても、「味わった」とは私には到底言えない。なにせ全文漢文である。訓読文であっても漢語特有の表現につまずく。そうして実際の聖徳太子の表現というものをおきざりにして、「太子は和を説いた人である」などと分かったつもりになってしまうのだとは、これは私の事ではないか。第一章のはじめから、学生時代を懐かしんでいる場合ではないと、気を引き締めた次第である。


 先生は第一章で憲法十七条第一条の全文を引用される。全文を繰り返し読み、はじめて言葉そのものが持つ表現の重みが知れてくる。先人の足跡を言葉によって丹念に読み解いていく姿勢は、一貫している。読み進めれば進めるほど、先人の遺された言葉とその生き様に心動かされる。


「歴史の闇に葬られた逸材を探し当て、顕彰のための『紙碑』を刻む―非力ながら、これは私の役割だ、さういふ思ひを胸に書き継いだ。」


 十二年にわたるたゆみない研究と取材の中から著された本書は、まさに「紙碑」というにふさわしい一冊だ。