安倍首相、豪州国会演説で松尾中佐に触れる | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 現在、ニュージーランド、オーストラリア、パプアニューギニアを歴訪している安倍首相ですが、昨日、オーストラリアの国会で演説し、その中で松尾敬宇中佐の母・まつ枝さんのことに触れました。


 安倍首相の演説の該当部分は次の通りです。



 皆様、戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省とともに始めた日本人は、平和をひたぶるに、ただひたぶるに願って、今日まで歩んできました。20世紀の惨禍を、二度と繰り返させまい。日本が立てた戦後の誓いはいまに生き、今後も変わるところがなく、かつその点に、一切疑問の余地はありません。


 このことを、私は豪州の立法府において威儀を正し、高らかに宣言するものです。


 私たちの父や、祖父の時代に、ココダがあり、サンダカンがありました。


 何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。


 歴史の暴戻を前に、私は語るべき言葉をもちません。亡くなった、多くの御霊に対し、私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠を捧げます。


 あれは、1968年のことでした。一人の日本女性を皆さんが招いてくれたことに、私はいまも、心打たれるものを感じます。


 83歳になる松尾まつ枝さんは、招きを受けてお国を訪れ、亡き息子を偲んで、シドニー湾に日本の酒を注ぎました。


 第二次大戦中お国の攻撃を図り、湾に沈んだ小さな潜水艦に乗り組んだのが、松尾さんの子息でした。


 その勇猛を長く記憶に留めた皆様は、勇士の母を日本から呼び寄せてくれたのです。なんたる、寛容でしょうか。


 Hostility to Japan must go. It is better to hope than always to remember.

(日本に対する敵意は、去るべきだ。常に記憶を呼び覚ますより、未来を期待するほうがよい)。


 戦後、日本との関係を始める際、R.G.メンジーズ首相が語った言葉です。


 再び日本国と日本国民を代表し、申し上げます。皆さんが日本に対して差し伸べた寛容の精神と、友情に、心からなる、感謝の意を表します。


 私たちは、皆さんの寛容と、過去の歴史を、決して忘れることはありません。



 「祖国と青年」7月号に、ちょうど松尾中佐の母・まつ枝さんの訪豪の物語が掲載されていますので、ぜひ合わせてお読みいただければと思います。