テケテケ | 不思議なことはあったほうがいい

 別名「カタカタ」「たくたく」「コトコト」「シャカシャカ」「パタパタ」‥‥

 上半身しかない、(主に)女性の幽霊。手だけで駆けてきたり、飛び上がってきたりして、遭遇した人は当然ビックリする。そのときの疾駆音が「テケテケテケテケ……」。

 上半身だけになってヅヅヅと迫ってくるというのは、伊丹十三の映画で古館伊知郎が演じていた役がそんな死に方をした記憶がある(タイトル何だっけなあ。ノッコがヒロインのやつ……)。あと、アメリカ映画で『ケリー』という障害をもった少年の感動作があったが、あのあたりもイメージ作りに貢献してしまったか(失礼なことだが)。


 真冬の北海道、ある踏切に、足を線路に挟めてしまった不運な女性があったと思いたまえ。そういうときにかぎって、カンカンカン……と列車が接近。もがけばもがくほど、足は線路から抜けないまま、遮断機が下り……このうえない恐怖を体験しつつ、列車は彼女を真っ二つ。しかし、あまりの寒さに切断面は急速冷凍され、彼女の意識は残っていた。上半身だけとなった彼女はそのままズリズリと這いずり回ったのだ……。というような物語が、(おそらく)後付された。たとえば急なバイク事故にあって、意識がそれを認識していないため、もげて転がった首が「待ってえ」とかしゃべったとか、そういう都市伝説はよくある話だが、その類のさらにナガイキ型(?)とでもいおうか。

 北海道の踏切で事故にあった、という現代女怪としてはカシマレイコ 」にもそのパターンがあって、バラバラにぶっ飛んで死んだが、片足だけ見つからないので、片足さがしてさまよっていた。テケテケにも、夜の夢にあらわれて脚を奪ってゆくというパターンもあるらしい。現代都市伝説には踏切事故がお好きなようである。

 

 踏切にはコワーイ話がつきものだ。

 たいてい踏切では飛びこみ自殺とか・事故とかあって、その霊が自縛霊になって仲間を呼んで、まったく無関係の人を同じ踏切で死なそうとする。

 稲川淳二の名作(?)「魔界の踏切」は国立あたりであった実話ということだが、よく自殺・事故・事件のおこる踏切があって、テレビスタッフがカメラかまえて、一人が代表で踏切に立ってみたら、列車が近づいてくるとその立ってる彼がガクンガクンとゆれ出して、あやうく飛びこみそうになった。みんなでかかえてとどめたが、本人にもなにがおきたかワカンナイ。あとでカメラをみてみたら、無数の手が彼の後ろから彼を突き飛ばそうとしており、さらに近くにはなんともいえぬ不気味な女の姿が写っていた……あまりにもヤバイので放送できなかったんです……というような話。

 西新井大師(→「弘法清水 」)の近くに、昔・アイドル水泳大会とかよくやってたプール「東京マリン」というゴキゲンな施設があったが、その近くの話は、タクシー幽霊とかぶっている。昭和50年代の話。ある夜中にタクシーが女を乗せて走ってくる、トンネルで線路をくぐると団地があるのだが、そこまできて後ろをみると、載せていたはずの女が消えている。ビックリした運転手が仲間に話すと、「ああ、またか、よくあるんだよ」……。ここはもとは<開かずの踏切>で、遮断機が下りているのに渡ろうと軌道に入って轢死した。そんなことがあったので今はトンネルになっているのだが……隣のT駅で似たような事故があったのは、その怪談より10年以上たった、つい最近のことだが、怪談話の教訓は、教訓として活かされなかったんだなあ……。


 踏切というのはもちろん線路をまたいでアチラとコチラを繋ぐ場所であるが、ちょっとのタイミングでアノヨとコノヨの境でもある。現代の境界であるが、昔の境界にあったような、道祖神も・道分地蔵も・榎の大木 もない科学の世であるから、供養されきれない霊がさまよい出でて、仲間を呼ぶのだ。

 死人が仲間を呼ぶ……なぜでしょう。海でも「舟幽霊」とか、「トモカツギ」の話とか、死人が仲間を求める話がある。「七人ミサキ」とかその陸地版「七人同行」は、誰かを殺すと順番に一人づつ成仏できる、新入りは7番目となって、あと7人殺さないと自分は成仏できない……というやつがあるが、臨死体験 でも、三途の川のむこうから、既に死んでいる親類や友達が「オイデオイデ」するので、それを振り切ると再生する。

 アノヨは未知の世界であるが、いつかは誰もが行かねばならない。しかし行ったら最後である。だから行くのが怖い。怖い怖いと思っているから、逆にその世界から呼ばれたら、もっと怖い。どうせ怖いのじゃから、呼ぶ相手も怖い姿にしちゃおう‥‥。


 本来あるはずの肉体の部位が欠損しているというのは「一つ目小僧」「一本足」と昔からあるが、これはどちらかといえば「生まれつき」であったり、信仰がかかわってくる、。それにたいして現代の欠損族、テケテケ、カシマレイコなどは後天性の欠損であり、しかも圧倒的に交通事故が多いのが特徴。前者はその存在(形而上的な)に意味があるのに対し、後者は圧倒的に肉体的・即物的な行動をとるようである。心の内の問題より、物質的執着のほうがテーマとなっている‥‥まあ、前者は半ば神であるが、後者はむしろ妖怪・幽霊というより、「化け物」のほうだから‥‥ナアルホド。より単純といえば単純なのだな。

 精神的なものより、肉体的危機のほうがより本能的に恐怖ということ。