「聞く側」と「聞かれる側」の分断から外に出るために(傾聴でもセラピーでもなく) | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

ファシリテーター仲間の中尾さとしがブログを始めて

そのブログが面白すぎるという記事を少し前に書いた。

https://ameblo.jp/seikokt/entry-12481576001.html

 

その中にこう書いた。

 

そーいえば、サトシが

自分は人の話を聞けない、

対話の場なんて作れる人間ではなかった

と悩んでいたときに

 

「サトシの聞けなさについて語る会」というのを私が企画して、

すぐに満席になったっけ。爆笑

 

 

その時作ったチラシを探して読み返してみたら

超面白かったので

少し長いのですがペーストしてみます。

 

 

この中には

さとしや私が「聞く」という行為にどんな思いを込めているのか

そのエッセンスが詰まっています。

 

そしてタイトルは「サトシの聞けなさについて語る会」ではなくて、

「サトシの聞けなさ加減を聞いて語り合う会」でした。笑

 

 

 

 

『サトシの聞けなさ加減を聞いて語り合う会』

 

日時:2018年2月20日火曜日 19:15~21:45(19:00開場)

会場:キミドリ会議室「キのうえ。」

参加費:2500円(コーヒー付き)
 

<内容>

ファシリテーター&円座守人として対話の場を作り、「聞く」という営みにこだわり続けてきた中尾聡志が、実は自分はまったく「聞けていなかった」と言う。

聞くことにこだわり続けたサトシが、どんな風に聞けていなかったか。笑

その話がサトシからまずあり、それを受けて参加者全員で、「聞く」とは何か「対話」とは何か、自分は聞けているのだろうか、言葉を通じて人とつながるとはなんなのか、そんなことを全員で「対話」してみたいと思います。

聞けていないところから、できていないところから、それでも語り、聞く、そんなつながりがここから始まっていったら面白いと思いつつ。

(協力:seikokt)

 

<さとしの言葉>

こんな企画に興味を持ってくださりありがとうございます。今回「自分の聞けなさ」について語らせていただく中尾です。今までで一番自信のない話しです。自分が話す内容には自信はないですが、何を話そうとかそういうのは今回考えなくていいので、その辺りは楽だなと思っています。今までは自信のある話しかしてこなかったので。そういうこともお話することになるかもです。

 

僕は2008年頃からワークショップや対話の場づくりをやってきました。人が本当に心から話したいことを話せたり、話していく中で新しい何かに気付けたりする対話の時間がとても面白いと思い、自分のライフワークのようにひらいてきました。その中で、人が話したいことを話せるには「聞く人」がいることが大事だと思い、この数年間は「聞くとはどういうことか?」をすごく考え、自分も「聞ける人」になろうと努力してきました。

 

でもこれが本当に苦しい道への入り口だったなと思います。「聞こうとする」と「聞けない」ということに何度もぶつかることになりました。そして、いくらこの矛盾に気づいても、まったく抜け出せない。今も抜け出せてません。またすぐ「聞こう」としてしまうんですね。何が起こってるかもうちょっと詳しく書いてみます。

 

まず聞こうとすると、その瞬間「今僕はこの人の話を聞けているのか?」を考えだしてしまうんです。もうここで目の前の人は僕の関心から消えてしまいます。関心は僕の方に向いている。自分でも気づきます。あー聞けてないと。そして「聞こうとしてはダメだ」と考えます。「聞こうとするのはやめよう」となります。そうすると次に来るのは「今僕は聞くことはやめれているのか?聞くことをやめたことでこの人を話を聞けているのか?」になります。書いてて自分でも呆れますが、本当にこんな感じです。いつもこうってわけじゃないんですが「ちゃんと聞かなければ」と思ってしまうような場所ではほぼこのパターンに入っちゃうんですね。

 

ここで出てきた「ちゃんと」は聞くことだけにとどまらず、あらゆる場面で出て来てることも見えてきました。「ちゃんとしなきゃいけない」という気持ちになった瞬間、自分の中に生じるいろんな思いや考えを「良いか良くないか」「正しいか正しくないか」を判断し始めるんですね。そこで「良くない」「正しくない」と判断した思いや考えはスーッと僕の奥の方にしまわれます。無くなりはしなくて、ずっとしまってあることを意識の端っこの方でずっと知ってる僕がいるんですね。(つづく)

 

<さとしのぷろふぃーる>

中尾聡志 「Ordinary World」代表 ファシリテーター・円坐守人

1978年4月埼玉生まれ。世田谷区在住。フリーランスで、ワークショップの企画・運営、対話の場づくりを手掛ける。今まで手掛けてきた場の数は400以上。「ワールドカフェ」「哲学カフェ」「読書会」「円坐」などの対話の場の他に、「影舞」「縁坐舞台」「空間ピアノ」などの即興表現活動も行っている。その他、NPO法人CoCoTに所属し、松戸市近郊での中間支援事業、高齢者見守り活動に関わっている。

協力:seikokt


seikoからのメッセージ

サトシとスカイプで話していた。
          
サトシは言う。
「自分は円座だとか対話の場だとかをずっと開いて、自分はできている、聞けていると思っていたのに、少しも聞いていなかった。
それどころか、他人に全く関心を持っていなかった。うまく聞こうとする自分がいただけで。
コミュニケーションスキルをずっと学んできたのに、自分は何をしてきたのだろう。
聞けなくてはならない。ちゃんとしなくてはいけない。いい人にならなければ。ねばならない、ねばならない、ねばならない。
その中にいて。
でもできていないと気づいている自分がいて、それは見ないようにする。
それが小さな悩みとしていつもあるんだけど、それは誰にも言わない。
そしてそういう小さな悩みが積もり積もっていく。
でも、できない自分を隠した瞬間、自分の前から人がいなくなる。
ごまかして生きるのは辛い。
外の正しさに合わせようとした瞬間にジャッジになる。」
          
サトシの、この独白のような語りを聞いていた。
その語りが私の中に、深い部分に、静かに届いてくるのを感じながら。
          
ちゃんとしなければならない。
いい人にならなければならない。
うまくやらなければ。
          
それを聞いていて、なんだか泣きそうになった。
自分にもあった。今もある。たぶん。
きっとみんなにもある。
それを言わないようにしているだけで。
見ないようにしているだけで。
        
まわりがちゃんとしているように見えれば見えるほど、自分のできていないところを出せなくなって、苦しくなって、自分を否定する。
(人からはそう見えなくても、私にもそういうところはあるんだよ。笑)
         
サトシの話を聞いていて、聞きながら、あー私このままでいいよねって、しみじみとつくづくと思えた。
今この場では私が私のまま、この不完全な私のままでいることが許されているんだと、サトシの語りを聞きながら思った。
         
何だろうな…。
傾聴みたいな、コーチングみたいな、セラピーみたいな、そういう関係性の中で話を聞いてもらっていてもそういう気分には絶対にならないんだよ。
今のこの瞬間の私がいつもダメ出しされていて、目の前の人間のいいと思う方向に連れていかれそうで。
へそ曲がりの私はそういう時に、絶対にそっちにいくもんかと思ってしまうんだな。
またさ、共感されたり承認されたりしても、本当に私のことがわかるのか。私の何がわかるのか。わかっている自分に酔ってしまってるだけじゃないのか。
とか思ってしまって。
そう思ってる自分にまた嫌気がさしたりしてさ。
そういうことにほとほと嫌気がさしていて。
       
癒す側と癒される側、みたいな役割。
聞く側と聞いてもらう側みたいな。
その分断が、永遠に人と人とのつながりを切り、人の力を奪っているような気がしていて。
       
でも。
サトシの話を聞いていて、
私は自分のことを一言も喋っていなかったのに、
この人は自分のことをわかってくれているなって気がしたんだ。
これはなぜなのだろう。
      
「ちゃんとできなければやれない」って思ったとサトシは言う。
でも、ちゃんとできた人が、できない人のために何かをやるなら、それは私が大嫌いな分断された役割での関係になる。
        
「できないと思って葛藤しているサトシが、そのサトシのまま場を開くなら、それこそに意味があるんじゃないの?」
と私は言った。
         
できないし聞けないという自覚がある人が、そこから始める「場」。
そういう場に私は興味があるし、そういう場を私は必要としている。
         
そういう場を始めてみたいし、そういう場に関心を持って集まってくれた人とつながりたい。

 

 


 

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「心と魂を調律するダイアローグセラピー」

 

人はそれぞれ独自の周波数を持って生まれてきます。

その周波数はあなただけの独自のもので、この地上にひとつだけの周波数です。

すべての人がそれぞれオリジナルの音(周波数)を持っていて、それが響き合い、交響曲のような美しい音楽を奏でているのが地球だと私は思っています。

 

その響きを思い出し、本来の自分にしか奏でられない音を奏で、自分にしか歌えない歌を取り戻すための三回セッションです。

(歌とか音とかはもちろんメタファーですが、つまり、自分の魂の個性を思い出すためのセッションです。)

 

 

1時間のセッションをスカイプを使って3週続けて行い、ダイアローグ(対話)とエネルギー調整で、自分が自分の人生の創造者であることを思い出していきます。

 

毎週1回スカイプでセッションし3週連続。

3回で2万円(税込・事前振込)。

Seikoと日程調整して行います。

 

*単発で7000円(税込)でもお受けしますが、3回連続で受けることをおすすめします。

3回終了した方が単発で受ける場合は、1回5000円(税込)になります。

 

セラピーの詳細や感想は下記をご覧ください。

 

心と魂を調律するダイアローグセラピー 

 

ダイアローグセラピーは、くりはら せいこのオリジナルセラピーです!

 

 

お申込みとお問い合わせは、

下記からお願いします。

https://goo.gl/forms/fn81Ul7BIid1f7fO2

 

 

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*くりはら せいこの

今後のいろいろな予定です

 

 

「魂として地球で生きるお話会」

 

◾️7月20日土曜日(1時半~4時半)

都内会議室

参加費4000円(税込)

定員10名

(満員御礼・キャンセル待ちのみ受付中)

 

◾️10月の平日にも予定

(日程と会場が決まり次第、告知します。)

都内会議室

参加費4000円(税込)

定員10名

 

くりはら せいこが、この20数年、導かれるように気功師、ヒーラー、チャネラー、神秘主義者、精神分析医、瞑想家などをライターとして取材体験し、みずからも学び、宇宙や心の仕組みを知ることで生きるのがラクになっていったプロセスに沿って話します。

【内容】創造者として生きる、輪廻転生やカルマの意味、聖者もホームレスも魂レベルでは対等、善悪の二元論を超える、地球に生まれる意味、簡単な瞑想法 etc.

 

 

*お問合せ・お申込みはこちらからどうぞ。

 

 

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