青樹庵です。
将来は、
「自分の好きなことをして楽しく過ごしたい」
多くの人がのぞんでいること。
これって、あくまで理想であって、現実はきびしい。
わたしの経験から云えるのは、
体力がおとろえても使える知的財産を作っておくことかな。
ただね、はっきり云って、
自分視点、自分中心に考えた知識は役に立ちません。
なぜなら、求める相手はお客さまだからです。
お客さまは自分の欲しいものしか買いません。
自分の好きなことをやるのは楽しい。趣味ならね。
学ぶにしてもワクワク感でいっぱいです。
でも、自分中心ですから、
ワクワク感がなくなったら簡単に辞めてしまいます。
そして次の「好きなこと」を学びだします。
わたしも若いころはそうでした。
興味を持ったことを次から次へと学びました。
自慢じゃないけど持っている資格は誰にも負けません(笑)
それらは20代から40過ぎたあたりまででしたね。
つまり、若いうちは、そのときの快楽でしかなかったんです。
若いうちは若い人生が有る。
輝いてステキな日々を送れれば最高!
問題は、
老後と云われる年令になったとき、
たとえお小遣い程度でも収入につながるものなんて何もないと気付くわけです。
どれもこれも、みーんな中途半端ですから、
それくらいではお金をいただけない。
算命学は50才過ぎてから学びました。
この年令になると、友だちと群れて遊びまわることもなくなる。
人生観も変わる。
だから、長く続いたし、結果的に『本物』を持つことになった。
ただね、
この学問のポイントは、学ぶ時間がながいということ。
開業できるまで習うとすると、けっこうしんどくなることがあります。
生きていると予期せぬことが起きますしね。
病気、ケガ、別離、子供の問題など、学ぶどころではない環境になることも。
わたしも、数か月休んだこともありました。
それでもまた復学して最後まで学んでおいてよかったとつくづく思います。
ってね、
実を云うと、すでに人に教えていたおかげなんです。
自分の都合で辞めるわけにはいかないでしょ。
なにかにつなぎ止められる。
そういうのを「しがらみ」と云いますかね。
今から考えると、
弟子はわたしにとって宝物だったんですね。
そして、最晩年のいまでも弟子は宝ものです。
何かを習っているあなた、
途中で投げ出さないで『本物』になるまで学んだほうがいいです。
もし仕事にするなら、
いくら本物っぽく見せていてもニセモノはニセモノでしかない。
底が浅いものは途中で沈没します。
青樹でした
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