青樹庵です。
最近、妙なことが起きています。
もう10年以上も前に卒業した弟子たちの数人から「もう一度授業を受けたい」という申し出でが来ているんですよね。
どうも不可解です。
その理由を聞いてみましたが、「むにゃむにゃ~」はっきりとした答えは返ってきません。
わたしが思うには、
・PCを使う時代になった。
・わたしの年令から今しか受けられない。
この2つでしょうか。
しかし、しかしです。
今さらまた5年も6年も同じものを学ばなくても、ノートを見て復習すればいいわけで。
って、それを聞いたら「ノートなんて」という嘆かわしい言葉が。。。
わたしは教えるときには、くどいほど「先のためにノートだはしっかりと取りなさい」と云っています。
弟子たちが学んでいるときはまだ若い。
若さとは未来が1つではないわけで、しかも働いている最中です。
ノートは大切だが、先のことまで考えて書き込む時間が無い。または、そこまでやる情熱が無い。
半分趣味的に「習っておこう」くらいの気持ちだったか。
誰でもそうですが、人は目の前のことしか見えないものです。
彼ら彼女らは現在の生活中心に生きている。余裕が無いか。
彼ら彼女らの思考には「老いる」は遠い将来。
頭のどこかには有るけれど、「老いたら老いたときのこと」くらいしか無い。わたしもそうでしたから。
で、還暦を迎えるころになると、現実として目の前の課題となるんですね。
現代はパソコンを使えば、
「運命学」は、単に占いではなく、使い道はアイデア次第で無限に広がります。
で、「もう一度教えてください」となるのでしょうね。
学んだことを活かしたかったら、学びながら誰かに教えることです。
1回教えれば1回分復習できます。
2回教えれば2回分復習できます。
そうやって、細く長く復習していればどんどん身についていきます。
ノートをとることの重要さも判ります。
こういうことって、何も運命学だけではなく、学んだものを活用するための手段としてお勧めしたいことです。
青樹でした
申酉天中殺は超人的なところが