(神奈川県横須賀市長沢)
骨になるまでの飛翔や冬かもめ
角川春樹
今日は台風が来るということで、家に籠っていた。
仕事を少々やり、KADOKAWA「俳句年鑑」用の原稿を作成し、編集部へメールで送った。
その合間にYoutubeをいくつか見たのだが、その一つに見城徹と箕輪厚介との対談があった。
見城徹は言わずと知れた幻冬舎社長で、いまや出版界だけでなく経済界、政界とも太いパイプを持つ大物だが、かつては角川書店の編集者で、角川春樹の右腕と称された人だ。
箕輪厚介は幻冬舎の敏腕編集者で、人気Youtuberでもある。
そのYoutubeで見城さんの編集者としての半生が紹介され、その中でたびたび角川春樹さんのことが話題となった。
箕輪 春樹さんの言葉の鋭利さって凄いですよね。あの人の俳句も凄いですよね。
見城 春樹さんの俳句は凄いよ。
箕輪 やっぱり天才だな~。
春樹さんの俳句は俳壇以外でも…いや、俳壇以上に評価されているのだ、とあらためて思った。
特に「言葉の鋭利さ」をすぐに見い出したのは、さすが文字のプロ、敏腕編集者だな~、と感心。
向日葵や信長の首斬り落とす
晩夏光ナイフとなりて家を出づ
打水も晩夏のひかり阿修羅王
日盛りの海しづかなり火焔土器
山ざくら天にも滝のあるごとし
そう、角川春樹さんは「言葉の鋭利さ」でもって俳句史に名を刻むべき俳人だ。
「言葉の鋭利さ」は当然「詩魂の鋭利さ」だ。
このことを多くの俳人、俳句評論家が気づかないのは悲しいというか、情けないことである。
で、話は急にどうでもいいことに変わる。
私はカラオケの時、人の歌に合わせて、ナレーションを入れるのが快感だったりする。
といっても入れるのは石川さゆりの「天城越え」の時だけで、最初に、
大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも
(おおうみの いそもとどろに よするなみ われてくだけて さけてちるかも)
を入れ、間奏の時に、
天城嶺に空も径なす蝉時雨
(あまぎねに そらもみちなす せみしぐれ)
を入れる。
〈大海の…〉は超有名な鎌倉三代将軍・源実朝の和歌。
「われてくだけてさけて散るかも」という破滅を予感させるような刹那的感情の高ぶりは「天城越え」の歌詞と効果的に響き合う、と私は勝手に満足している。
〈天城嶺に…〉は高橋悦男前「海」主宰の句で、伊豆下田生まれの先生から、伊豆で生まれ育った人々にとって「天城越え」がいかに思い入れのある道であり、伊豆にとって実質、唯一、他の地域とを結ぶ重要な街道であるかを聞かせてもらったことがある。
で、昨日、カラオケに行った時、ある人が同じく石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を歌った時、間奏に、春樹さんの上記の句を入れたら実に快感だった。
この句は春樹さんの初期の句だが「骨になるまで飛び続ける冬鴎」…、「冬鴎」は白い翼が「白骨」へと変わるまで飛び続けるのだ、という「悲しき詩的断定」は実に鮮烈で刹那的。
「津軽海峡冬景色」の哀感とマッチしている。
と同時に、やはりこれほど「言葉の鋭利さ」を持った俳人は後にも先にも俳句史上にいない、とあらためて感動したのだ。
同じ「白鳥(しらとり)」を詠んだ詩歌でも、
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
(しらとりは かなしからずや そのあおうみのあおにも そまずただよう)
という若山牧水の歌には「美への昇華」があり、春樹さんの「鋭利さ」とはある意味好対称である。
やはり、この句は冬の名句として記録したい。
(悦男先生の〈天城嶺に…〉も夏の名句、地名を詠んだ名句に記録したい。)
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