(「雲の峰」2024年6月号)
月山に速力のある雲の峰
(がっさんに そくりょくのある くものみね)
皆川盤水(みながわ・ばんすい)
俳誌「雲の峰」
主宰・朝妻力
編集長・播广義春
発行所・大阪府茨木市
月刊、通巻396号
朝妻力主宰の作品から、
初夏のかんばせ青き持国天
母の日の妻に手合はす子ら三人
「作品集」から、
春炬燵の中に見つくる老眼鏡 高野清風
丘に立ち飛鳥の春を惜しみけり 今村美智子
春の暮短く謝辞のクラクション 宇利和代
つちかぜを差して翳して舞ひ奏づ 河原まき
春深し疏水の脇に殉職碑 櫻井眞砂子
「先師の一句」162に、力主宰の師にあたる、皆川盤水さんの、上記の句が掲載された。
ああ、なつかしいな~、と思った。
この句は盤水さんの代表句で、広く俳壇に知れ渡っている。
盤水さんとは何度かお会いしたことがあるが、親しくなるうちにお亡くなりになってしまった。
俳句雑誌の編集長としてお通夜に行ったが、今は会館などでやるのが一般的になっているが、珍しくお寺で行われたので、その夜の風景を今でもよく覚えている。
その頃の「春耕」は大変盛大で、「春耕」を継承された棚山波朗さんや朝妻力さんなど、「春耕」を離れても十分主宰としてやっていける実力派が多数存在していて、盤水さんの指導力も俳壇に知れ渡っていた。
「雲の峰」~先師の句では盤水さんの、この句についての自句自解も掲載されている。
月山登山の句。
庄内の阿部月山子君の先達で登った。
頂上に立つと積乱雲が次々に麓より湧いてきて崩れさってゆく。
その神秘的な雲の動きに心が打たれた。
とある。
この自解で十分ではあるが、更に言えば、この句には、「おくのほそ道」月山で詠んだ芭蕉の名句、
雲の峰いくつ崩れて月の山
の意識は当然あるだろう。
盤水さんの句は、この芭蕉の句への「オマージュ」であり、芭蕉への敬意も含まれているだろう。
しかし、そのことを意識しなくても素晴らしい句である。
ここからアホなことを言う。
この句は、単純に言えば、
月山に「速力のある雲の峰」が次々と湧いて来る。
という意味だが、この句を読むと私は、
月山に速力がある
と感じてしまうのである。
もとより「山」は静止しているものだから「速力」などあるわけがない。
この「雲の峰」を次から次へと生み出すのは「月山」であり、その「月山」が見えない「速力」を秘めているようだ、とも感じる。
それは芭蕉の句自体もそうで、雲の峰をいくつも崩しているのは「天」であるが、それに呼応するように「月山」も「雲の峰」を次々と崩してゆく…、そんな「幻想」を私に抱かせてしまうのである。
だから、この「山」は他の山ではなく、芭蕉が「宇宙のエネルギー」を感じた「月山」でなければならない。
荒々しいみちのくのエネルギーを感じさせる東北有数の高山(1984メートル)であり、修験の山である「月山」だからこそ、このような「幻想」が湧くのかもしれない。
もとより私の鑑賞は「幻想」に過ぎないが、そのような幻想を抱かせるほど、この句には魅力がある。
この句、「ブログ歳時記~夏の名句」に認定!
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