(神奈川県横須賀市 久里浜港)

 

 

「歳時記」と「季寄せ」の違いは何か?

簡単に言えば「歳時記」を簡略化したのが「季寄せ」である。

もう少し言うと、「歳時記」は本来、「俳句」とは関係がなく、四季折々の景物・行事などを記したものだが、それが「俳句」の季語やそれに関する例句を掲載したものに変わってゆき、いつの間にか「歳時記」は「俳句」に関する本という風になった。

 

時々、一番最初に俳句の『歳時記」『季寄せ』を作ったのは誰か? と考えることがある。

これは明確に答えは出ないが、その有力候補が、北村季吟の『山の井』だ。

北村季吟については昨日書いた。

 

 

北村季吟(1625~1705)は松尾芭蕉の「師匠」のような存在で、江戸時代前期の歌人、俳人、和学者。
近江国野洲郡北村(現在の滋賀県野洲市)の生まれ。
貞門派俳諧の重鎮・安原貞室に学ぶ、のち貞門派俳諧の創始者・松永貞徳から直接俳諧を学んだ。

貞門派俳諧の新鋭といわれ、『土佐日記抄』、『伊勢物語拾穂抄』、『源氏物語湖月抄』など古典の注釈書を刊行し、元禄2年(1689年)には幕府歌学方として幕府に仕えた。

 

(『山之井』)

 

『山之井』は慶安元年(1649)の刊行。

題簽(だいせん)には「四季 日々発句」と書いてある。

「題簽」とは簡単に言えば「題字」で、この場合は「サブタイトル」のようなものと考えていいだろう。

この題字からして、今の「歳時記」と似た様相を示している。

「日々の作句の手助けとして、季語を掲載している」という意味であろう。

内容的には「四季の季題」(今で言う「季語」)を解釈し、当時の俳人(俳諧師)の句を例句として収録している。

季吟はその後『増山之井』(ぞうやまのい)も刊行、息子の北村湖春が『続山之井』を刊行している。

北村季吟は初めて、「正式」な歳時記としての体裁で刊行した人であり、それが『山之井』なのである。

 

小学館『日本大百科全書』には、

 

純然たる俳諧季寄の初めての書として重視される。

(略)

本書は、実作にきわめて有益であり、かつその説明文には季吟の古典的教養と俳諧の実作とが融合しあっており、すぐれた雅文となっている。近世俳文の濫觴(らんしょう)と考えるのも妥当であろう。
 

とあり、やはり歳時記(季寄せ)初めての書と考えていいだろう。

明言できないのは、似たような書が同時代にいくつか出ている事だ。

ただ、少なくとも独立した形というのだろうか、本の「付録」のような形ではなく、今のように「作句の手助けとして季語を解説し、例句を掲載した独立した本」を刊行した、初めてが「山之井」なのである。

今の「歳時記」「季寄せ」の形態を決定づけたのが季吟。

これも芭蕉に劣らぬ季吟の功績と言っていい。

われわれは季吟の恩恵に預かっているのである。

 

ところで季吟は幕府歌学方になってからは江戸に住み、墓は台東区の正慶寺にある。

なんと、池之端句会の句会場(区立上野区民館)から数百メートルのところにあった。

今度訪ねてみたいものだ。

 

 

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