(東京都千代田区 皇居前)
高野山谷の蛍も聖かな
(こうやさん たにのほたるも ひじりかな)
北村季吟
今日はなんだか忙しい一日。
午前中は荻窪郵便局へ。
スマホの「ゆうちょアプリ」の問題が発生し、会社の口座にあるお金を、自分の口座に移せなくなってしまったのだ。
で、窓口の女性が本当に親切で、丁寧に対応してくれ、最後はスマホの操作も一緒に手伝ってくれた。
が…、やっぱり出来ない。
どうやら私の「スマホ」に問題があるようだ。
一度、スマホショップに行かないと…。
が、親切に対応してくれた女性のおかげで気分は実にいい。
「親切な人」と出会うと、気分が良くなる。
単純なだけだろうか…(笑)。
写真がぼやけてしまったが、そのあとは、地下鉄東西線で竹橋へ行き、神保町の天理ギャラリー「北村季吟展」に行く。
北村季吟は松尾芭蕉の「師匠」のような存在。
江戸時代前期(1625~1705)の歌人、俳人、和学者。
近江国野洲郡北村(現在の滋賀県野洲市)の生まれ。
祖父の宗龍、父の宗円を継いで医学を修めた。
貞門派俳諧の重鎮・安原貞室に学ぶ、のち貞門派俳諧の創始者・松永貞徳から直接俳諧を学んだ。
貞門派俳諧の新鋭といわれ、『土佐日記抄』、『伊勢物語拾穂抄』、『源氏物語湖月抄』など古典の注釈書を刊行し、元禄2年(1689年)には幕府歌学方として幕府に仕えた。
ちなみに松尾芭蕉は1644~1694であるから、芭蕉より20歳近く年上だが、芭蕉よりも長生きした。
また、季吟が幕府歌学方となった元禄2年は芭蕉が「おくのほそ道」の旅をした年である。
「歌学方」とは幕府の和歌・歌道をつかさどる官職で、いうなれば、幕府任命の和歌・歌道の「トップ」ということである。
季吟の「句合せ」「連歌」などが展示され、芭蕉直筆の「野ざらし紀行」「鹿島紀行」「幻住庵記」などを見ることが出来た。
季吟のことについてはまた別の日に書いてみたい。
「俳諧」「連歌」のルールブックというべき式目書「埋木(うもれぎ)」など、この方は俳諧確立の為、尽力した人であり、また現代でも重用されている古典の注釈書を残した人であり、もっと評価されていい。
ここは天理教のギャラリー、天理教は俳諧を勉強する者にとっては重要な存在。
貴重な資料を多数保管している。
ここも受付の人も、監視する人も実に親切で気持ちよく拝見することが出来た。
ちなみに季吟の辞世の歌は、
花も見つ 郭公(ほととぎす)をもまち出でつ この世 後の世おもふ事なき
「桜も見た それから待ってほととぎすを聞くことも出来た この世にも来世にももう思い残すことはない」という意味であろう。
「桜」「ほととぎす」は「花鳥風月」を代表する風物、それを見れたり、聞けたりしたのでもう思い残すことはない、という意味であろう。
「風雅」に生きた男らしい辞世だ。
そのあとは日本橋に出て、都営浅草線(京急直通)の電車に乗り、横須賀中央駅で降り、焼肉「牛角」へ。
焼肉の他、ラーメンも食べて、満腹である。
駅ビルの書店に行き、石丸伸二(安芸高田市長)さんの本『覚悟の論理』を探したが、なんと「売り切れ」。
とても人気があるらしい。
また次の機会に探してみたい。
東京都知事選、神奈川県民の僕には投票権がないが、都民の方はぜひ石丸伸二さんを応援してあげて欲しい。
小池さん、「七つのゼロ」を公約に掲げて当選したが、二期八年務めたけれど、一つも達成していない。
というか、実施する気はないと思う。
公約を一つも実現せず、また今回も立候補なんて、都民を馬鹿にしているのではないか。
普通なら辞任すべきだと思う。
蓮舫さんは「2位じゃダメなんですか?」で長らく日本のスーパーコンピューターの低迷を招いた張本人であり、また「スーパー堤防」の建設の中止、「脱ダム宣言」での水害の発生など、とても、大きな視野を持った政治家とは思えない。
外国人参政権も私は反対だし、二重国籍の問題もある。
というか、既存の垢にまみれた政治家はもういい、と思う。
石丸さんのような若く強烈なリーダーシップの人、既存の政治家に染まっていない彼を応援していただければと思う。
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