森村忌八日の蝉に鳴かれけり
(もりむらき ようかのせみに なかれけり)
角川春樹
昨日、今日とちょこまかと仕事をしていた。
俳句に関する全てが仕事になっているので、時々、働いているのか、ただダラダラしているだけなのか、わからなくなる時がある(苦笑)。
明日から西荻窪に戻り、句会・講義の日々が続く。
なにげなく、Youtubeを見ていたら、角川春樹さんが盟友・森村誠一さんを悼むインタビュー映像があり、ついそれを見た時、この句に出会った。
作家・森村誠一さん(1933~2023)は推理作家の大家、ベストセラー作家であり、角川映画『人間の証明』『野生の証明』の原作者で、角川映画の黎明期を支えた一人である。
そのYoutubeの中で、森村さんを悼んだ句として詠まれていたのが、上記の句だ。
蝉は一週間の命と言われているから、「八日の蝉」とは「一日生き延びた蝉」と考えていい。
この「八日の蝉」は長生きをされた森村さんの化身かもしれないが、盟友を残し一人だけ生き延びた春樹さんの化身とも考えられる。
その「八日の蝉」の声が話しかけるように、慰めるように、降り注いでいるのである。
「もうすぐ俺も行くよ…」と言っているのだろうか。
人はなぜ挽歌を詠むのか、ということを以前書いたことがある。
「恋」(相聞歌)と「死」(挽歌)は万葉以来、日本詩歌の根本であるが、いまや俳句の世界で「挽歌」が詠めるのは春樹さんだけになってしまった。
「恋」も「死」も「魂呼び」の思想であり、恋する人の魂に、また、この世にいない人の魂に呼びかけるのである。
こういう心の奥底から湧く悲しみを詠みたいものだ、と思うが、毎日、雑事に追われている私には無理なのかもしれないな~。
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