ほどほどにする立ち話寒の入    誠司

 

 

しかし、寒い。

今日は俳誌「青海波」、「海光」の原稿書きで一日が終わる。

寒いとどうにもならず、厚着をしたが、それでも寒く、結局クーラーを暖房にしてしのいだ。

「青海波」はスムーズに済んだが、「海光」は手間取った。

まだまだ終わりそうもない。

日曜日に集中してやろう。

 

ところで、「亡者」という言葉があるが、なぜ「もうじゃ」なのだろう。

「亡国」は「ぼうこく」、「亡霊」は「ぼうれい)、

 

興亡(こうぼう)

衰亡(すいぼう)

死亡(しぼう)

存亡(そんぼう)

滅亡(めつぼう)

 

ほぼ「ぼう」なのになぜ、「亡者」だけ「もう」なのだろう。

調べてみると、

 

亡(ぼう)は「漢音」

亡(もう)は「呉音」

 

なのだそうだ。

 

〈漢音〉

7、8世紀(奈良時代後期から平安時代の初め)に古代中国から伝わった音読み

〈呉音〉

それ以前に古代中国から伝わった音読み

 

ということは、「亡者」という言葉は奈良時代あたり、それ以外の言葉は平安時代以降に生まれた…と考えていいのだろうか。

 

それにしても「亡」という感じを調べてみたら、

 

「音読み」 ぼう、もう、む、ぶ

「訓読み」 亡(な)い、亡(ほろび)る、亡(うしな)う、亡(にげ)る

 

と「八種類」もある。

 

時々、日本語廃止論が出てくる。

何も知らなかったころは、暴論としか思えなかったが、確かに日本語、特に漢字の「読み」は複雑怪奇だ…。

日本古来の読み、中国から伝わって来たいくつかの読みが混在しているのだから、実にややこしい。

よその国、特に欧米ではこのような複雑な「読み」は存在しない。

その分、数学だの理科だの、さまざまな学問に時間を割ける。

日本はどうしても「国語」に時間を取らざるを得ない。

必然的に他の学問に時間を割けず、欧米に後れをとってしまう。

なので「英語」を「国語」にしたほうがいい、とか、そういう主張が出てくるのだ。

そう考えるとその主張にも一理あるように思える。

まあ、俳人の言うことではないか(笑)。

 

明日は西荻窪の「おくのほそ道を読む会」。

少しあたたかいといいな~。

 

 

 

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