(富山県朝日町 境川)
私の歩き旅もいよいよ富山(越中)に入った。
新潟県の最西端・市振(いちぶり)の駅を降り、歩き出すと10分ほどで、県境の「境橋」に出る。
この境川、境橋の風景も雄大でよかった。
富山も新潟に劣らず雄大な風景を持っている。
朝日町に入ると大きな広場と門構えがあり、ここが越中の関所跡である。
芭蕉もここを通過している。
ただ、越中と言っても、管理しているのは加賀藩である。
「加賀百万石」は「加賀・能登・越中」を合わせたもので、このあたりは加賀藩、あるいは加賀藩の支藩の土地であった。
「加賀百万石」と言っても内訳を見て見ると、50%…、つまり50万石は「越中」が担っているのである。
本当なら「越中百万石」と言ってもいいのに、越中の人にとっては不満であろう。
ここは以前、小学校であったようだが、過疎化、少子化で廃校となり、記念公園になっている。
そこを過ぎると、気持ちのいい海に出る。
サイクリングロードが整備されていて、旧街道と並列して走っているので、そちらを歩く。
このサイクリングロードは新潟から富山の氷見まで整備されている。
新潟で聞いたのだが、この道は廃線になった旧国鉄の線路跡なのだそうだ。
単線路だったのだろうが、昔はこれくらいの広さしかなかったのだな~、となにやら感心する。
このあたりは「たら汁」発祥の地らしく、このあたりを「たら汁街道」というらしく、やたらと幟が立っていた。
食べてみたいと思ったが、トイレが近くなると困るので我慢する。
そこから少し海を離れ、内陸部に入ると、
早稲の香や分入る右は有磯海
(わせのかや わけいるみぎは ありそうみ)
の句碑が街道脇に立っていた。
いつの建立かはわかっていないそうだが、天保11年(1840)にはすでに建立されていたことが確認されている。
立派な句碑で、180年も月日が経っているとは思えない、きれいな句碑である。
この句を芭蕉が詠んだのは今の富山市新湊とされているが、「有磯海」を「富山湾」と考えれば、海を離れ、左の方へ入ってゆく、この地で詠んだとしてもおかしくはない。
ただ、「有磯海」は一般的には「富山湾南西部」の高岡、氷見の海岸部とされているから、新湊で詠んだ可能性が高い。
そのことは以前に書いた。
「おくのほそ道」本文でも、
那古(なご)の浦といふ浦に出づ
という記述があり、そのあとに、この句がある。
那古の浦は富山市新湊の海である。
ここからは「おくのほそ道」で、芭蕉も「四十八ヶ瀬」と言っている、たくさんの川をよぎってゆく。
すべての川をアップしているときりがないのでやめるが、北アルプス、立山連峰から湧き出る水が大量に富山平野にそそぐのである。
ということは、ここは昔から水が豊富で「稲作」に適している、ということが出来る。
なるほど、それゆえ芭蕉は、
早稲の香や
と詠んだのだ、と納得した。
この「早稲の香や」は単なる風景描写ではなく、稲作豊かな富山平野を讃える「国誉め」の思いがある、と確信したし、そう鑑賞すると、この句はさらに素晴らしいものになる。
これも歩き旅の恩恵である。
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