~2月28日の出来事~
【織田信長、天皇の御前で馬揃えを行う】
~京都 馬揃え~
天正九年(1581) 2月28日、
織田信長が御所・東門外に於て
正親町天皇の御前で馬揃えを行う。
織田信長はこの日、
正親町天皇の御前で
大々的な馬揃えを行いました。
信長は京都御所・東門の外に
南北八町に及ぶ馬場を
新たに設けてという力の入れようで、
畿内周辺の大小名、御家人たちを
選りすぐった駿馬と共に集めて
行われました。
信長麾下の錚々たる面々が
華麗に着飾って馬場を行進する様は、
『信長公記』を著した太田牛一も
「日本国中は言うまでもなく、
異国にもこれほど素晴らしいものは
ないだろう」
と絶賛する光景だったようです。
信長は出場者を十組に分け、
自身は最後の組で登場しました。
その顔ぶれはというと、
[ 1]
丹羽長秀、革島一宣、摂津・若狭衆
[ 2]
蜂屋頼隆、河内・和泉衆、根来寺衆
[ 3]
明智光秀、大和・上山城衆
[ 4]
村井作右衛門、根来・上山城衆
[ 5]
一門衆
(信忠・信雄・信包・信孝・信澄・長益)、
美濃、尾張、伊勢衆
[ 6]
公家衆
(近衛前久、正親町季秀、烏丸光宣、
日野輝資)
[ 7]
細川昭元、細川藤賢、伊勢貞景、
一色満信、小笠原長時
[ 8]
信長の馬廻衆、小姓衆
[ 9]
柴田勝家、柴田勝豊、不破光治、
前田利家、金森長近
[10]
織田信長、直属弓衆、中間衆、
坊主衆(楠長諳・松井友閑)など
信長の出で立ちはというと、
唐冠に梅の花を折って差し、
長岡与一郎(細川忠興)が献上した
蜀紅錦の小袖を着用、
紅緞子に桐の唐草をあしらった
肩衣と袴を付け、
白熊の革製の腰蓑に
禁裏から下賜されたボタンの作花を
差す
という華麗なものでした。
しかし、
ここにいるべき人物が
一人欠けていました。
羽柴秀吉です。
秀吉は当時、中国攻略に忙しく、
参加出来なかった事を
非常に残念がり、
せめて、参加者の当日の出で立ちを
知りたいと、
信長の側近に
当日の様子を尋ねています。
信長も
この日の盛況に満足した様子で、
喜んだ正親町天皇の要望に応え、
三月五日にも名馬五百頭による
馬揃えを行っています。