「関白・豊臣秀吉、“吉野之花見”」 ~2月27日の出来事~ | 歴史ブログ

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歴史を探究する「歴史探訪」などで構成します。


~2月27日の出来事~

【関白・豊臣秀吉、「吉野の花見」】

文禄三年(1594) 2月27日、
豊臣秀吉が
豊臣秀次、徳川家康、前田利家たちと
大和・吉野で花見を行う。


時の関白・豊臣秀吉は
大和・吉野で花見を行う為、
この年の二月二十五日に
大坂を出発、
この日、吉野に入りました。


折しも朝鮮出兵(文禄ノ役)の
最中でしたが、
秀吉は付け髭を装着し、
眉を描いて、お歯黒をする等の装いで
諸人が美麗に着飾り、
三千人の供を従えて
吉野へ向かいました。

御供衆には
金の太刀 五百六十腰を貸し与え、
行列は金襴緞子で派手に飾らせたと
いう事ですから、
如何にも秀吉らしいイベントでした。

この花見には、武家では、
豊臣秀次、徳川家康、前田利家、
伊達政宗、細川幽斎、織田常真(信雄)、
宇喜多秀家、小早川秀秋など、

公家では、
右大臣・菊亭晴季、
大納言・日野輝資、
連歌師・里村紹巴・昌叱、
などの顔ぶれが見え、

秀吉は「義経千本桜」の舞台となった
吉水城(吉水神社)に滞在し、
千本桜や花園、桜田、ぬたの山、
かくれがの松などを鑑賞しました。

参会者は
何首かの歌を残していますので、
秀吉の詠んだ詩(ウタ)をご紹介します。


“吉野山梢のはなのいろいろに
おどろかれぬる雪のあけぼの
芳野山誰とむるとはなけれども
こよひもはなのかげにやどらん”



二十九日には歌会が催され、
詠五首和歌として各人が其々
「花の願」、「不散花風」、「滝の上の花」、
「神の前の花」、「花の祝」
という、
五つの題で歌を詠みました。

そのうち秀吉の詠んだ歌は、

“いつしかと思ひをくりし芳野山の
花をけふしも見そめぬ哉”