一輪挿しのBLUES -9ページ目

一輪挿しのBLUES

風流ならざるところ、また風流なり。

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過ぎたるは猶及ばざるが如しというように何事に於いても度が過ぎることでやり足りない事と差がなくなってしまうものでございます。好意のつもりでおりましても相手の方にしてみたら少し迷惑であったなどという話はよくあることでございまして双方共に些か困惑するものでございます。
ならば一層の事何もせねば宜しかろうと思うことも正論ではございましょうが、それでは人として何とも味気ないように感じるもので、その匙加減というのが難しくもあるのでございます。
人の心とは掌に取り出して見えるものではなく言葉や行いに滲み出るものでそういったところを感じてこそ初めて心の存在を知るのでございます。
己が心中をよくよく把握できているだけでなく相手様の心を感じてこそ丁度よき塩梅の匙加減となるのでございましょう。
過ぎたるは、あまり良き事ではないようでございます故、私めの拙き文字の羅列も今宵はこの辺で締めるべきと存じます。




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様々な情況に於いて物事をありのままに正しく受けとめるということはとても大切でいてとても難しいことでございます。人それぞれの自我という代物が邪魔をし、都合良い判断が思い違いという迷宮への扉を開いてゆくものでございます。自分可愛さに事実を歪ませて解釈し結果要らぬ苦労を背負うことになる訳で、一切の私事をなきものにして現実を観ることが正論と解ってはいても…というのが人情でもございます。
人事を超えた大自然とは決して完璧ではありません。不完全が故に完全なのかもしれません。風流成らざるが故に、それまた風流なのでございましょう。
そして人もまた然り。
少し肩の力を和らげ、広い視野で物事を眺めることができたなら、受け入れがたい現実も思い通りに運ばぬ事も正面から向き合えるような気が致します。






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浮世の路を彷徨い歩いておりますと雨の日もあり快晴の日もあり、険しく急な坂道やら長閑で緩やかな径など人それぞれの道程があるものでございます。
時には早足で、またある時には立ち止まり来た道を戻り脇道に反れてみたりと其れこそ人の数だけ通る道があるのだと思います。平坦な道をのんびりと行く方もいらっしゃることでしょう。山あり谷ありという方も居られることでございましょう。どの路をどのように歩み進もうと正解というのは無いような気が致します。全てが正しいとは言いませんがそれがその方の歩むべき道であるならば問題はありません。
悩みや不安を断ち切れるほどの覚悟で歩み続けることで新たな道が続いてゆくものでございます。
失敗を恐れる必要はありません。仮に間違えたとしても悔い改めてまた進めば宜しいのでございます。返ってその事が成功への糧となるもので大した事ではないと思えます。大丈夫。大丈夫。
一年ごとの節目とは冥土に向かう途中の一里塚と申します。師走を迎え先々何処に辿り着くやら想像もつかない道程ではございますが一歩また一歩と我が道を味わい尽くしたいと思う次第でございます。



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