ブログをご訪問くださってありがとうございます。
昨日は月に一度のリラクセンスの研修会でした。
(リラクセンスって何?という方は、こちらの記事をお読みくださいね!)
去年の8月に始まった1年間の研修会も、昨日で最終日を迎えました。
研修会は、技術はもちろんのことですが、
リラクセンスにおいて技術を同じくらい、いえ、もしかしたらそれ以上に大切な”概念”について
再確認する場ともなっています。
これまで研修会には3度参加してきたのですが、
この1年間の研修会は、個人的な大きな変化の時期とも相まって、
これまでとは全く違う視点での学びも多くあり、
いろいろな意味でリラクセンスのシンプルさと、
シンプルが故の奥深さ、そして楽しさや素晴らしさを
より深く実感したように感じます。
昨日の研修会を終えた後、帰りの電車の中で、
「この1年間で私が得たものの中で、最も大切だったのは何だろう?」
そんな問いを自分に投げかけてみました。
思い出すこと、思い浮かぶことがいくつかあったけれど、
どれもが、その後で芋づる式に浮かんでくる思考にまぎれてしまい、
その問いすらもいつの間にかどこかへ消えて行ってしまっていました(笑)
それを思い出したのは一晩眠って、今朝のこと。
いつものように海岸へ散歩に行き、帰宅して、
私道の草むしりをしていた時のことでした。
ちょっと余談ですが・・・
草むしりって、私にとっては瞑想と同じような時間なんですよね~
いつの間にか”無”になっていて、
ゴチャついていた様々な思考がすっきりと整理されたり、とても大切なキーワードが飛び込んできたり、
そんなことがよくあります
話を戻して・・・
草むしりをしていた時に飛び込んできたのは、こんな言葉でした。
「可能性」
私がこの仕事を始めてから数年経った頃に
本当に偶然と思えるような些細な思いつきを通してリラクセンスと出合ったのですが、
この出合いがある意味、私の”魔の葛藤期間(笑)”の始まりでもありました。
先ほども書いたように、リラクセンスはとてもシンプルです。
相手の問題についての答えは、相手の中にある
施術者は、その相手の答えを”反応”を通して感じ、ただただその反応に寄り添う
本当にこれだけなんです。
ただ、これだけシンプルなことだからこそ、
ほんのちょっとの違いによって、大きく結果が変わってしまうのだということを
リラクセンスの施術を始めてすぐに、思い知らされたんですね(^-^;
相手の身体の反応だけを見て、寄り添い続ける。
そこに、私がこれまで積み上げてきた知識や経験、
前提となっている考え方などへの固執があると、
どうしても100%相手の身体に答えを見出そうということに対してジャマが入ってしまiます。
知識や経験が悪いということではありません。
自分自身の考えを持つということが悪なのではないのです。
それはとても貴重で、大切にすべきことです。
ただ、人って往々にして、
自分で経験している範囲を超えることや、想定外のことに対して
すぐに受け入れ可能!となれないことの方が多いと思うんですね。
むしろそうできない人の方が多いのではないかな?と思います。
そして、今振り返ってみると、当時の私はたぶん
「自分のやり方、考え方こそが正しいはず!」と、
外に対してメチャクチャ間口が狭かったと思います💦
表面的な意識では「すべて受け入れていますよ~」と思っていたし、そう発言してもいたけれど、
実際にリラクセンスを始めてみると、
相手の身体の声を大切にしようと頭では分かっていて、
そうしようと思ってはいるのだけど、
なんと!
そうすることを私の身体が許さないんですよね💦
頭では理解できているのに、
どうしても意図したように私の身体が反応してくれない!
これは一体どういうこと?!
そして、相手の身体は目に見える物理的な形で、
つまり「拒否」という形で容赦なく反応を返してくれるので(笑)
自分が相手の声を受け入れられていないということを
嫌がおうにも見せつけられるわけです(ToT)
その時に理解したんです。
相手の身体の声にただ寄り添う
このシンプルなことを、私が望むレベルで実践するためには
施術という枠を超えて、
私自身の日々の生活に対する意識を根本から変える必要があるのだと。
相手の声に寄り添う前に、
まず自分自身の声に寄り添っていなければならないのだ!と。
この数年は変化の大波が押し寄せていた期間ではありますが、
そのきっかけとなったのは、リラクセンスとの出合いだったんですよね。
そのことを、改めて思い出しました。
こんな風に、施術としてだけでなく、
私の人生を大きく変えるきっかけとなったリラクセンスですが、
あまりにもこれまでの施術の常識を超えていて、
あまりにも真理に踏み込んだ概念に基づくものなのだということが
以前よりも深く理解できるようになったからこそ、
どのような在り方でクライアントさんと向き合ったら良いのか?
それについての輪郭がぼやけてしまっていたのでした。
いえ、私の中に想いは確かにあるのですけれど、
はっきりと言葉にして形を与えるということができずにいたんです。
そこに飛び込んできた”可能性”という言葉。
あぁ、私はすべての人の中に、可能性を見たいんだなぁ
私自身も含めて、全ての人、全ての状況の中に、
希望へと続く可能性が初めから既に内包されていることを、心のどこかで確信していて、
その、全ての中に既に可能性が存在していることをたくさんの人に知ってほしい、信じてほしいと思っていたんだな。
そんなことに気づいたんです。
あるがままの自分を受け入れられず、
丸ごと愛することができず、
人間関係では本当に葛藤の多かった前半生
そして、自分自身に枠や制限を設け
相手の中に初めからあるはずの、あらゆる可能性に気づくことができず
思うような施術ができずに苦しんだセラピストとしての体験
それらも全て、
あるがままの自分自身を丸ご受け入れ愛するとはどういうことなのか?
そして、全ての人や状況の中にたくさんの可能性があることに気づき、
そのあらゆる可能性に対して開いた状態でいるとはどんな体験なのか?
可能性が広がっていくことが、どれほど素晴らしいことなのか?
そんなあれこれを、自分自身で実際に体験したかった、
そして体験することを通して、深く理解したかったんだな
ということが腑に落ちました。
人というのは実体験を通してしか、
本当の意味で理解することはできないものなのだと思います。
逆に、実体験を通して腑に落ちたことは、
理屈抜きで深く理解でき、その人の”在り方”へと昇華するものなのではないでしょうか?
そしてまた、その体験は体験した本人しか
本当の意味で理解することはできないのではないでしょうか?
私がとても大切にしている、
そしておそらく多くの人が大切にしている
”愛”や”つながり”、”可能性”、”希望”
そういった目に見えないものも
リラクセンスを通してなら、
身体という物理的な存在を通して、
そして,その身体から確かに感じられる、目には見えない”感覚”を通して、
深く腑に落としていただけるのではないかな?
と思っています。
たくさん寄り道をしたと思っていましたけれど、
その中にこそ、自分が何者であるのか?ということを深く理解するきっかけとなる経験が詰まっている
人生って、面白いものですね(^-^)
思いつくままに書き連ね、
またまた長いぶブログになってしまいましたが、
もしたった一人でも、ご自身の中の可能性を開いていただく
そのきっかけとなっていたらうれしいな、と思います。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
たくさんの方に、自分に感謝し愛する時間を意識的に持っていただきたい!
そんな想いで、FBページのコミュニティを始めました。
良かったらご一読ください(^-^)
1-minute-self-gratitude routine @FB
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最後までお読みくださってありがとうございました(^-^)