芋虫からさなぎへ~一旦ドロドロに溶ける説(!) | マイ・ハッピーボディ~魂がよろこび安心する身体~

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ブログをご訪問くださってありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

 

前回のブログから、ちょっと日にちが空いてしまいました💦

 

この間の私、全くの空っぽ状態で、

 

思考するとか文章を書くとか、できなくなってしまっていました。

 

 

 

 

 

 

 

この期間にしていたことと言えば、

 

仕事に行く

買い物に行く

ご飯を作って食べる

お気に入りのYou tubeを見る

風呂に入る、

寝る

 

基本的にはその繰り返しの毎日でした(笑)

 

 

 

 

 

 

あ、それだけじゃなかった!

 

 

 

ボランティア活動の中でリーフレットを作成したり、

 

動物の保護ボランティアさんへお渡しするための募金を募る活動をしたり、

 

 

 

それはやってたわ!

 

 

 

 

あ!あと、リラクセンスの研修会にも参加した!

 

 

*超やる気がない中で、迷いに迷って研修会に参加したのですが(笑)

 

 蓋を開けてみれば、「やろうとしない」ことについて

 

 とても大きな気づきや収穫があったんですよね~

 

 そのあたりは、また別の記事でお話しできればと思います。

 

 

 

 

 

 

 

でも、こういった予め決まっていたこと以外の活動というのかな、

 

「今何をすべきか?」とか「何をしたい?」ということを

 

考えること自体が全くできない状況でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

その原因は自分でも分かっていたんですけどね。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでこのブログでも綴ってきたように、

 

この数年、特にこの数カ月は、

 

本当に自分が望むことしかしない!と決め、

 

外側の状況から判断して「こうしたほうが良いよね」的に行動することを

 

できるだけしないようにしてきました。

 

 

 

 

 

言ってみれば、何かを「しようとする」ことを

 

一旦すべて止めていた状態です。

 

「しようつする」ことの振り子を、

 

意識的にゼロに振り切っていたわけです。

 

 

 

 

 

そうしないと、無意識に「しようとして」しまう自分がいることを自覚していたから。

 

そしてそれを続けていたら、

 

これまでの自分から抜けられないと分かっていたからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その影響なんでしょう。

 

何も積極的に考えることができない

 

ある意味、何もやる気が起きない状態になってしまったわけです(;^_^A

 

 

 

 

 

 

 

 

と言っても、原因が分かっているわけなので

 

それほど心配しているということは無かったのですが、

 

それでも心のどこかで、

 

「良いのか、自分?大丈夫か、自分?」

 

と不安になる瞬間も無くはなかったのですね。

 

(空っぽなんですもの、当たり前ですね)

 

 

 

 

 

 

 

 

でね、

 

そんな時、面白い話を耳にしたんです。

 

もしかしたらみんな知ってることなのかもしれないけど、

 

私は全く知らない話でした。

 

 

 

 

 

 

 

その話というのは、、、

 

蝶が芋虫からさなぎに変態するときに

 

一旦体をドロドロに溶かして、全く形がなくなったところから

 

細胞を再構成する、という話でした。

 

 

 

 

 

 

 

え~!本当に?

 

そんなことあるのかな?と思い、

 

早速調べてみました。

 

 

 

 

 

以下、こちらのサイトから抜粋して引用させていただきますね。

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

はるまくん: 

チョウが幼虫からサナギになるとき、サナギの中でドロドロに溶けてからチョウになると聞いたんですけど、なんでドロドロに溶けてまた形を変えて固めることができるのですか?
そして、溶けているときに中身を移し替えてもちゃんと固まるのですか?

清水先生:    

難しいこと、考えてんなあ。

はるまくんは、チョウのサナギの中身って見たことある?
 

はるまくん: ないです。
 

清水先生:    

おじさんたち、チョウチョの飼育してるでしょ。

サナギになりたてのころって、殻がすごく柔らかいのね。

それを時々失敗して、おっことしちゃうこと、あるんです。


はるまくん: えーっ。


清水先生:    

確かにはるまくんが言うようにドロドロなので、目も当てられないような、ぐちゃぐちゃになります。
 

はるまくん: えーっ……。


清水先生:    

なんでドロドロに溶けてるのにまた固まることができるのかっていうと、ドロドロに溶けてる部分の中はね、ただの栄養分っていうのがほとんどなのね。

チョウチョがサナギになるとき、変態するときに、もともとあった体を作り変えるために、必要のない部分を溶かします。

いったん壊します。

「アポトーシス」っていう言い方するんやけれども、もともとプログラムされていた、「細胞死」っていうことなんやけれども、そのときに壊したものは、捨てるんじゃなくて栄養として再利用できるものは再利用するのね。

 

 

(NHK 読むラジマルより抜粋)

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

落ちてドロドロになってしまったさなぎさんの姿は

 

想像するだに恐ろしいですが・・・ガーン

 

 

 

でも、この話、興味深くないですか?

 

さなぎの皮(殻?)の内側で、そんなことが起こっていたなんて!

 

 

 

 

 

形としては、一旦すべてをゼロの状態にして、

 

細胞から栄養(エッセンス)だけを取り込んで再構成する、

 

それが初めから細胞の中にプログラミングされているなんて!

 

 

 

 

 

 

 

なんていうんだろう?

 

自然や生命の存在の深さ、大きさ、偉大さ、、、、

 

言葉で表し切れないほどの大きな力の働きに

 

畏敬や畏怖の念といった感覚を覚えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でね、

 

これを読んで、私が今回感じていた空っぽ感、それが

 

芋虫からさなぎへの変化の間のドロドロ状態と同じと思うと、

 

妙に納得がいくんですよね~

 

腑に落ちるというのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、腑に落ちた結果なのか、

 

そこはかとなく感じていた不安が減って、

 

今のこの空っぽ感をしっかりと味わっておこう!

 

そう思えるようになったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、そんな風に思えるようになったからなのでしょう。

 

自分の中にかすかに存在していたいろんな違和感を

 

改めて気づけるようになったり、

 

 

 

 

 

その違和感の原因になった出来事や経験、

 

それはとうに忘れてしまっていたようなことだったりするのですが、

 

その部分を思い出すことによって、

 

自動的に大きな癒しが起こったり・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

必要なものは全て、これまでずっと与えられてきたし、

 

今も途切れることなく全てが与えられているんだ、

 

そんなありがたく豊かな感覚を

 

それこそ理屈抜きで深く実感することもできたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人様の役に立っているとか

 

大きなやりがいのある仕事をしているとか

 

有意義な毎日を送っているとか

 

 

 

例えそんな実感がなくても、

 

私たちはいつも、どの瞬間も、生きている

 

 

 

私たちはこれまでも、いつも、どの瞬間も生きてきた

 

(だから今この瞬間に」”ここ”に存在しているわけですし)

 

 

 

 

 

それだけがただ尊いのだし、それだけで十分。

 

 

 

 

 

それだけしかしていないことに

 

後ろめたい想いをする必要なんて、全然ない!

 

 

 

 

 

 

 

 

空っぽの先にこそ、

 

いろんな可能性が存在している。

 

 

 

 

いえ、空っぽの今にこそ、

 

全ては存在しているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を叱咤してしまいがちな人にこそ、

 

知っていただきたいことだな、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後までお読みくださってありがとうございました(^-^)