深い哀しみを背負い生きている性を持つ | 自活屋徳々の誰にも読まれない役立たずな随筆

自活屋徳々の誰にも読まれない役立たずな随筆

あくまで自分の関心のあることだけを綴る随筆で、それが誰かの役に立つかどうかは読み手に委ねるところ。
私が一番関心あるものは、どうやって死ぬか。死に様は生き様の末路、ならばそれまでの行程は、激しく穏やかに溌剌と愉快に生きてゆきたい思いです。

本来23日の夜帰阪する予定だったが、

台風の影響で新幹線が運休となり

24日夕方発となった。


自然災害の影響なので、
こればかりは致し方がない。
わかっていながらも、
突然のアクシデントに私は滅法弱い


23日の夜、雨が降り始める中
東京駅から自宅マンションへ引き返す中
スポーティファイから流れた
中島みゆきの化粧が
さらに追い討ちをかけるように
胸を締め付ける。

淡い夢
ほんの少し期待していたことが
ただの思い過ごしだった現実を
叩き付けられた時
腹の奥から燃え尽くすような灼熱が発動し
やがて涙腺へと辿り着く。

無力を感じた時
よく湧き起こる反芻
立っているのもやっとなぐらいだった。


24日チケットを取り直すのに
2時間以上カウンターに並んだ。

台風の余韻すら感じない青い空と白い雲を
新幹線は無感情のまま突き進み
浜松辺りで私の心も徐々に
落ち着きを取り戻していた。

新大阪駅に降りた瞬間
安堵感が足先から心へと逆流する
染み染みと大阪の土地を噛み締めながら
自宅へ帰る足先を
時間の都合上
地元の友人達が待つ宴へと向ける。

京橋辺りで、地元へ帰ってきた喜びが
腹の奥底から込み上げてくる。

一時間遅れの宴に突入し
親友たちと交わす酒と思い出話の数々
昔話や老後の話、
彼ら彼女たちとの時間は
どんな話題であれ心置きなく楽しめる。
歳を取ったからではなく
共に歳を重ねてきた歩みが
信頼感を生んでいる気がしてならない。

日付けが変わる前に宴を終え
自宅へと戻ったのが日付けを超えた深夜
カミさんが最寄り駅まで三女とともに
この酔っ払いを迎えに来てくれた。
車中そのありがたみを言葉にしたかったが
発することができなかった。

思ったまま閉じるのはよくないことだ。


翌朝、三女の部屋のベッドを解体した。
こういう日曜大工はパパの役目だが
かなりの重労働でおもいっきり腰に響いた。
ベッドを無くすことによって
空いたスペースを有効に使いたいらしい。
二軍の本棚が既にスタンバイしており
どうやら本屋のような

レイアウトにするようだ。

うん、中々いいと思った。


午後は今回の目玉である
晴明神社へ参拝に出向いた。

自分のことよりも
私が今一番大切にしたい人の
願いが叶うよう相談しにいったのが実情だ。

別名"大いなるお節介"とも云う。

そして最後の晩餐は
岸辺の海鮮居酒屋にて家族水入らずで
宴を楽しんだ。

長女にハイボールのおかわりを
スマホのQRコードから
何度も頼んでもらった。
その工程がとてもスムーズだった。
長女がサッカーのボランチのように
うまく回してくれたおかげで
またひとつ
家族の思い出のシーンが増えた。


自宅に戻り、荷物の整理と
このブログを書き
明日東京へ帰る現実をできるだけ
先延ばしにしたかった。



最終日、人知れず

東京のマンションへ戻るつもりだったが

友人から急遽時間ができたからと

一報があり

環状線 天満で落ち合うことにした。


20年ぶりに

朝の11時から飲み出したのは宴は

時間を忘れ、ちょうどいい酔い方だった。

もしこれが深夜だったら

どうにかなりたい衝動に

襲われていたかもしれないと

名古屋を超えた新幹線の中で

またいつものホームシックを

忘れさせようと無理くりに

レイドバックさせようとしていた。



私は根っ子にいつも

深い哀しみを背負い生きている性を持つ
それが自分の活動根本だと

胸を張って行こうと決心した。

ハッピーエンドを求め
ハッピーになりたいために
現実を着実に潰していく作業
ハッピーを持続させることは
自分には到底できない。
その反動を埋めるべく
文章に落とすことが
自分流の決着の付け方になる。

ここまでもし読んでくれていたら
私はとても嬉しい。
私の長く拙い
小学生のような日記に
付き合ってくれた時間に
感謝したい。

今度はあなたの日記を
是非読ませてほしい。