シーグラス
去年の夏、浜辺に打ち寄せられたガラスを拾った。
「それはシーグラスと言うんだ」
と、しゃがんだわたしの後ろから、彼は教えてくれた。
海に放られたガラスの破片の鋭利な角が取れて、長い年月をかけて海の中で丸くなって、また波に流されて浜辺に帰って来たのがシーグラスなんだって、
そう教えてくれた。
海の青を吸い込んだような、ちょっとミルキーな柔らかなアクアマリンの色。わたしの生まれた三月の誕生石の色。
それを持ち帰って、透明な瓶に入れ、コルクの蓋を閉め、窓辺に飾った。
わたしの小さな部屋の窓辺に飾ったシーグラスは、冬の光を浴びて、あの夏の海の輝きを部屋の片隅に再現してくれた。
静かな部屋でじっと見つめていると、波の音を囁いてくれそうな、そんな輝き。
ある日、彼はとても身勝手にわたしを振り回して、挙句、わたしを裏切った。
あんなに簡単に人なんて信じるんじゃなかった。
彼をたくさん憎んだ。一人で夕飯を食べていても、彼の言葉を不意に思い出すと、箸を持つ手さえ止めて、憎悪で胃袋の底に火がついたように熱くなった。
街中を歩いていても、彼の態度を不意に思い出すと、周りの雑音も聞こえず、人の波も見えず、頭は憎悪に占領され、何処を歩いているかも分からず足だけがずんずん進むようだった。
憎くて憎くて、堪らなかった。
そんな風にして、冬が終わっていった。季節は、またわたしの生まれた、すべてのはじまりの季節に戻っていた。
寒くなったり暖かくなったり弱々しく不安定で、それでもあらゆるものを生み出す力を秘めた季節。
わたしの小さな部屋の窓辺には、まだシーグラスがおとなしく佇んでいた。
プレゼントはくれるような人ではなかったけれど、彼と撮った写真も映画のチケットも、思い出の品は全部捨てたはずなのに、これだけは捨てられなかった。
わたしが出逢って拾ったんだから、いいよね。
少しずつ春めいた光が、シーグラスに映る。
海に投げ捨てられた瓶が砕けて鋭利なガラス片になり、それからまた歳月をかけて、こんな不思議な淡い色をした優しいシーグラスになるように、
わたしもいつかなれるのだろうか。
わたしはシーグラスに問いかけた。
君はいつまで海にいたら、そんな色になれたの?そんな形になれたの?
わたしの心の海の中に砕けた不信のガラスの破片で、心はもう傷だらけだった。
シーグラスは何も答えず、海の色を柔らかくわたしに浮かべて見せた。
海の色を詰めた小瓶に光は反射して、シーグラスは一瞬だけきらりと輝いた。プリズムのように。
もうすぐ春が来る。
☆シーグラスのことは、ほんとはね、
このブログの副題を見て
大好きなミカコさん が教えてくれたんだよ。
銀の糸
窪めた掌を滑り落ちる銀の糸
その後は何もない
偽るつもりなどどこにもなかった
慣れない幸せの糸を織る術も知らず
糸はただわたしの手をすり抜けていった
咎める言葉など何処にもなかった
幸せの糸を見つめているうちに
糸はただわたしの手をすり抜けていった
このとてつもない孤独になんと名前を付けようか
迫害された異邦人のように
白いシーツに一人でうずくまる
冷蔵庫のトマトジュースを取りに行っても
喉の痛みを労わる言葉は
今は雑誌の中にもテレビの中にも見当たらない
掌の生命線は青白く
銀の糸が滑り落ちていった
感触すら
一年経った今はもうない
いつだって何もなかった
それに気づかないでいた
天使の声が聞こえるような気がしたのは
誰の声をも聞かなかったから
花時計
記念写真でも撮ろうか
地方の土産物屋みたいに
ハートマークの金メッキのペンダント御揃いで着けてさ
Vサインでもするといいよ
勿論 白い歯のこぼれるような笑顔でさ
折角だから あの花時計の前がいいよ
それはとても幸福そうだから
マリーゴールドの花は
きつい橙色だし花びらの目が混んでで
それほど綺麗とも思わないけど
綺麗でない花のほうが
幸福そうに見えるからね
爆破される
あの日の公園の花時計
マリーゴールドの花びらが
炎の中に
燃える
見え透いた幸福の花時計が
昨日はわたしを慰め
今夜はわたしを嘲笑する
(THE YELLOW MONKEY に、はまっていた時代に
作りました。懐かしいですね。)
青空の映りかた
うちの窓から見える景色をパソコンの画面を通じて、
いろんな人が見ているなんて不思議だなぁ、と改めて思います。
でも、画像はパソコンによって見える色が結構違うこともあるんですね。
オフィスのパソコンでは、ちょっと空が薄い青でした。
ブログの背景は薄紫のはずなのに、なんとなくブルーで。
で、思うのは
パソコンのモニターみたいに
「本当は人間によって見える色は少しずつ違うんじゃないか」
つまりおんなじ「青空」「桜」「ひまわり」「好きなあの子のほっぺた」
なんてものが個人的に違うのではないかと。
網膜や目のレンズとかがそれぞれ違うのだから、
人によって色彩の伝達が違うのではないかと思ったのです。
で、調べたところ、人間個人個人による、色覚の差異は認められないそうです。
ちょっとがっかり。
あのひとと私の青空が違って見えたら、もっと面白いのにね。
しっぽ
夜はキャラメルマキアートみたいに、白く柔らかな月を浮かべていた。
冷たく甘い夜だった。
「これなに」
と、彼は、寝そべるわたしの少し痩せた肉を押して尾てい骨を触った。
最近のわたしは、食欲もほとんどなくて、もう五キロ以上も痩せていることは話してあるのに。
彼と知り合う前は、もう少しふくよかで、もうちょっとだけ魅力的なヒップをしていたはずなのに。
触れないでほしい。
わたしは気恥ずかしくなった。
「しっぽだよ」
そう言っても、彼はちっとも笑ってはくれなかった。
痩せた躯が恥ずかしくて、柔らかい布団の中に潜り込んだ。
「しっぽの名残でしょ」
しっぽ。
わたしがあなたに出さないでいるしっぽ。
「しっぽはないの?」
彼に訊いた。
「誰にでもあるかもね」
彼は答えた。
彼は、本当の尾てい骨の部分の話をしているんだと思う。会話のキャッチボールはいつもそんな風に終わる。
たとえ話なんて出来ないほど、彼は現実で生きていて、わたしの地に足の付かない空想を面白がったのは最初だけだった。
お堅い仕事の彼とは違う世界に住むわたしは、捕まえた珍しい羽をした昆虫みたいなものだった。最初は面白がっても、すぐに虫籠の中で忘れ去られて干からびてしまう。
お互いしっぽを出さないまま、彼はわたしに別れを告げた。
しっぽが見えないから、彼は強気で前向きな好青年のままだった。
そのいつも胸を張る自信家の裏の姿までは見えなかった。上を向く向日葵だって、うな垂れて枯れる時があるだろうに。
それに、わたしのしっぽは見せていないはずなのに。どうして。
大きな鋏で断ち切ろうとしても断ち切れないで付いてくる大きな影なんて、這い出すことも出来ない底のない泥沼なんて、決して覗かせたりはしなかったのに。
どうやら、あの時、気づかれたのかな。
点けっ放しのテレビの笑い声だけが響く部屋で、ポテトチップスを齧りながら、左手を後ろにやって、ロングスカートの上から、そっと自分の尾てい骨に触れてみた。
ちょっとだけ太ったみたい。
うん、まだ隠せる。