七色遠景 -6ページ目

マスターキー


今夜の鍵はマスターキー


すべての部屋がひらく鍵


秋の夜は長すぎて

どんなにやわらかなときめきも

不安に変えるには余りあるほど

あなたが求めるわたしは

わたしじゃないのかも知れない

けれど鍵を閉めたなら

そんなことは忘れてしまう

約束のない二人には

探り合わないという約束すら

最初からなかったはず

求め合うことと

傷つけ合うことと

解かり合おうとすることは

すべて似てて

すべて違う

でもそんなことは

求め合うことが占領して

すぐに忘れてしまう

秋の夜は長すぎて

どんなにやわらかなときめきも

情熱に変えるには余りあるほど


今夜の鍵はマスターキー

すべての部屋がひらく鍵



枕カバー


 二人のベッドを邪魔するように、彼の携帯が鳴る。暗闇に緑色のランプが点滅する。
 彼がお気に入りの黄色いシャツを着ながら、妙に明るい声なんて出して、ブラインドのところまで歩いて話しに行っているから、わたしはその間、彼の枕に頭を乗せ、死海に仰向けに浮かぶようしていた。
 彼の枕カバーは汚く黄ばみ黒ずんでいる。元は白地にブルーのチェックか、もう判別できないほど。
これで何人の女性が寝たのだろうと思うと、仰向けで髪を後頭部につけた状態でいるのが精一杯で、とても横向きになって頬など付けられない。
だから、わたしがこの枕を使うときは、いつも背泳ぎのような姿勢だ。

 以前、彼と口論になったことがある。
「枕カバーを取り替えたいんだけど」
とわたしが切り出すと
「嫌だよ」
という台詞を、本当に心から嫌そうに言うのだ。
いっ・やぁ・だぁ・よぉ、と。
「なんで?」
「だって、そんなのよほど親しいヒトにしかさせないだろ」
シャツを羽織った彼は、まだ無防備な姿のわたしに言った。彼と“よほど親しく”はない裸のわたしは返す言葉を失った。
その時、全部見えてしまった気がしたのだ。

 わたしの前ではしたこともない高笑いを部屋に響かせている彼が、電話を切って、このベッドに戻ってきて、
もしも「誰?」ときいても「関係ないだろ」とでも言われるに決まってる。

 水に浮かんだ姿勢のわたしは、漣でなく、何かが擦れる音を耳元で聞いた。
 枕の下だ。
 枕を上げてみるけど、何もない。
 彼はブラインドのほうからさらに遠ざかって、キッチンで携帯を耳に当てたまま、牛乳をパックからマグカップに器用に注ごうとしていた。
 枕の下には、枕ほど汚くはないけれど、薄汚れたシーツがあるだけだった。
 わたしは枕の底を触った。
 メモだ。
 彼がキッチンの奥で笑っているのを、そっと見た。わたしのことなんてまるっきり眼中にも入っていない。
 枕ケースの中に手を入れた。しわくちゃの白い紙切れが出てきた。

“さようなら”

 それだけ、書いてあった。たよりなげな女性の筆跡だ。
 このたくさんの女性が寝る枕で、彼が自分を価値のない女として扱うから、しだいに自分が本当に価値のない女のように思えてきて、価値のない女のように振舞ううちに、より彼に価値のない女として扱われるのに無感覚になっていた、この枕カバーのボロ布のように。
 いつの間にか、彼の自己中心的な無意識の策略のスパイラルに嵌ってしまったのだ。
 そして、価値のない女と思い込まされているからこそ、余計にこんな彼から離れられなかった。
 わたしは、自分の手帳をバッグから取り出し、ボールペンで書いて破り、その紙切れと重ねて、枕カバーに手を挿し込み、枕の底に戻した。
 彼の枕には、自分の価値が判らなくなった女性の涙と、“さようなら”が、いっぱい沁み込んでいる。
 いつか本当に、彼の言う「よほど親しい女性」が現れたその時に、この枕カバーはその女性によって取り替えられ、彼は今までの女性の思いを知ることが出来るのだろうか。
 それからわたしがスーツを着て、今まで決して見せたことはないはずの毅然とした表情で、彼の部屋の扉を閉めるのを、
黄色いシャツの彼は、子供のようにミルクを飲みながら、高笑いをしてちらっと横目で見遣っただけだった。





☆これはけんいちろうさん からリクエストいただいた「枕カバー」というお題で書きました。

話の飛ぶ人と話の長い人

話があっちこっちに飛ぶ人がいる。
今日、何話したんだっけ…と思っても、断片的にしか思い出せないことがある。
大抵、そういう人が相手だ。
文章を書く作業は結構しつこい。
写真を本業でやっている友人に

「文章を書く作業は、直すのに、文章を行きつ戻りつするから、
どうしてもモヤモヤしてしまうんだ。写真はだめなのは捨てるだけ」

と、写真の束から、気に入らない写真を凄いスピードではじくジェスチャーをしてみせた。
どうやら、わたしはその人流の表現では、モヤモヤしているらしい。
悩みがちということかもしれない。

文章を書くのが好きな人の話は、自分のことは棚にあげるけれど、比較的長い。
勿論、本当に感動を伝えたい映画や、個人的な大事な話は長くて当たり前、なのだけど。
そうでなくても、一つの映画、一つの思い出話、について延々と話が続く。
人によっては、こちらが意見を言えばエンドレスになりそうな勢いで。
そういう人たちは、感受性が強くて、自分の世界、こだわりを持っているからだと思う。
そして勿論、人間を二種類に分けるなら、わたしは確実に一つの話が長いほうの人間だと思う。
掘り下げることが仕事の研究者の方や、勿論作家の方は、その特性を生かしているのだろうけど、
ほとんど生かしきれていないわたしに、モヤモヤの代償になるほど、一つのことを考える価値があるのか、そんなことを、時たま考えてみる。

わたしのごく親しい友人も、好きになる異性も、往々にして話が飛ぶ。
次から次に、目まぐるしく話題が変わる。
どの話もこっちにしてみれば不完全燃焼。
そういう人たちの共通点は、アクティブで行動的だ。
夏はマリンスポーツ。冬はウィンタースポーツ。
上のカメラマンの友人もそうだった。
なので、この年末年始は、寝正月のわたしに引き換え、スキー、スノボに行く友人の多いこと。
わたしは今年、バドミントンのサークルに入っていて
(もう辞めているあたりがモヤモヤ的だ)
その時に、過去を振り返らないことの大切さを教わった。
前のミスをちょっとでも思い出したら、必ずミスをする。
次の足を踏み出したら、瞬間的に忘れてしまうことが大切なのだ。
子供の頃、跳び箱を、無心になって「跳んだ後の自分」を想像しだしたら
それまで全然跳べないで跳び箱の上で尻餅だらけのわたしが
とうとう、先生が用意した一番高い段まで飛べるようになった。
あの時の魔法のような感覚は忘れられない。

モヤモヤを捨てて、人生の跳び箱を跳べるように、なれたらなあ。



(2004年12月)

黒いカイト


傷を舐めあうなんて寒気がすると嗤うなら
プラスチックみたいなあなたの心は
そのプライドごと
熱で溶けてしまえばいい
変色した桃のようなわたしの心は
この傷んだ部分ごと
下水に投げ捨ててしまえばいい
わたしの過去はもうこれ以上教えたくない

青空に黒いカイト連ねて
宙に浮かべる
墜ちるまで浮かべる
繋ぎ止めた欲望はいつも数珠繋がり
欲しがっていた物なら全部
コンビニの蛍光灯とモニターの中

納得のいかないときだけ
くれるメールだったら要らないから
深爪をした薬指を咥えて
ステレオデッキは曲を終えたまま
オレンジ色が暗闇に光る
CDを変える時に
不意に円の中に顔が映って舌打ち

青空の黒いカイト連ねて
宙に浮いたまま
真っ赤に燃やす
墜ちるまで燃やす
繋ぎ止めた欲望は数珠繋がりのまま
宙で灰になればいい
あなたの欲しがっていた物は何ひとつ
わたしの中には置いてやしない

自意識も塩分も朝から過剰に摂取
プロテインの缶と腕を曲げては見比べて
ポテトチップスはそれでも食べる
そんな顔しなくても
しょっぱいなら
水を呷れば薄まるだけのこと
あなたの欲しがっていた物はすべて
あなたの中にあるんだから
何ひとつわたしの中には置いてやしない


夏に従う


見損なった 空の青さに

端から何を期待してたわけじゃないが

入道雲は さしてそれらしくもなく

通りを隔てた 斜向かいのビルの

屋上の給水塔の白さが

とりわけわたしの目を引くだけで

500mlペットボトルは

残り僅かで

片手で プラスチックの蓋のところを掴まれて

液体を揺らしながら

じっと 堪忍している

飲もうと思えばすぐに飲めるけれど

癒したい渇きすら感じず

夏が来た記憶もなく

夏が去る予感もきっとなく

今は夏の只中で

あるに違いなく

きっと皆はそう答えるに違いなく

けれど 夏で

あるべきなのかは判らず

誰にも訊かずに

夏に従っている


故に 片手におとなしく掴まれたペットボトルは

ビルの天辺の白い給水塔より 

おそらく水の量が少ないのにもかかわらず

わたしの 給水塔となった

それは わたしの喉が渇いていないし

また渇く予定もなく

喉を癒したくなる予感もないから

そして わたしはとてつもなく

夏に従順だ