笑顔
誰かを信じてるふりをした
信じるふりをして
ほんとうに信じてしまったりしながら
信じるふりを続けていた
そのうちに
大嫌いだった
不対称なわたしの口角が
いつの間にか
鏡に向かって微笑むように
唇の均衡がとれて
笑顔が作れるようになった
ま新しい二人の写真は
わたしのピンクのリップの口元が
シンメトリーに微笑んでいる
わたしは信じないから
もう悲しむこともない
昔の誰かとの二人の写真みたいに
もう
悲しむことはない
女優の笑顔が美しいのは
女優が美しいからということと
誰かに心を開いたからではなく
心を開かせるための
華やかな企みだから
失恋焼き鳥屋
今年は酉年なので、鳥のお話。でも焼き鳥。
昔、部屋探しをしている時に、不動産屋で貰った地図を見ながら、
やや寂れたマンションの外観を見に行った時のこと。
そこの一階の焼き鳥屋は閉店していてガラス扉の中は真っ暗で
閉めきった扉に貼り紙がしてあって
「娘が失恋したので臨時休業します」
と手書きで書いてあった。
一緒に当時見に行った母と、どうしてこんな突拍子もない、
そして店主の方も娘さんも恥ずかしいであろう、
公衆の面前で告白するような貼り紙をするのだろうと話してたのだけど、
わたしの推理は、
その娘さんは、そのお父さんの焼き鳥屋を手伝っていて、
常連さんの一人といい仲になったけど、その人に娘さんが振られたから
娘がどれだけ傷心か伝えたいという父親心で、
わざとその店の前を帰り道に通る時にメッセージになるように
貼り紙をしたのではないか、
というものだった。
その様子も再現VTRみたいに思い浮かべられた。
母はそれを聞くと
「ただ貼り紙の通りの意味じゃないの」
と言った。
今なら分かる。あれは貼り紙の通りの意味だ。
失恋して、わたしもそれが分かるようになった。
失恋ってそういうものなのだ。
公衆の面前であろうと、そんなものはその時は関係ない。
好奇の視線なんか、遥かに上回る悲しい思いを、
胸の奥に閉まっておくには余りにも辛すぎて、堪らなくなるのだ。
叫びたくなるのだ。
そして自分を変わらず愛してくれる周囲の人に慰められたい。
自分は価値がない訳じゃないんだ、
こんなに自分のことを愛してくれる人もいるんだ、
と思いたい。
そのためには、大なり小なり、周囲のことなんて見えなくなるのだ。
憐憫も好奇もすべて受け流せるほどの悲しみに目の前は覆われてしまっているから。
それにしても焼き鳥屋さんのお父さんは優しい。
わたしも父親に
「娘が失恋したから、会社休みますね」
と一度くらい代わりに電話で言って欲しい。
いや、あんまり言って欲しくない。
結局その部屋には越さなかったけれど、
焼き鳥屋の娘さん、もう元気になったかな。