7 三春城【続日本100名城】(2024/6/6) | まったり攻城戦 -日本100名城・続日本100名城訪問の記録-

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城の訪問記録。のんびり200名城の制覇を目指します。

 次は「三春城」にやってきました。

 

 城から少し離れたところにある「三春町歴史民俗資料館」でスタンプを押し、いざ登城。

(二の丸にある東屋にもスタンプ台がありましたが、インクが薄くなっていたので先に資料館で押印しておいて良かったです)

 

 私は車で二の丸前の駐車場まで行きましたが、徒歩で登ってくるのは少しつらいかもしれませんね。

 

 三春城は、1504年に戦国大名の田村義顕が築いたと伝えられています。義顕の子である隆顕の代に勢力を拡大しますが、やがて伊達氏と従属的な同盟関係になります。その際、愛姫が正室として伊達政宗に嫁いでいます。

 

 

 

 愛姫生誕の碑

 

 

 

 

 

 別名「舞鶴城」とも。確か新潟の村上城も舞鶴城だった気が。

 

 

 

 

 秀吉による奥州仕置後は、蒲生氏→加藤氏と領主を変え、1628年に松下長綱が入封した後に城は改修され、近世城郭へと生まれ変わっています。望楼型の三階櫓のほか、本丸には城主の入浴施設が築かれました。

 

 戊辰戦争では三春藩は奥羽列列藩同盟を脱退し、無血開城したことで落城を免れていますが、明治維新後の廃城令に伴い、ほとんどの建造物は喪失しました。

 

 

 本丸跡

 

 

 

 

 

 当時の遺構は多くはありませんが、蒲生氏時代に積まれたとみられる石垣がわずかに残されています。

 

 

 

 

 藩校である明徳堂の表門が唯一現存する建造物です。今は三春小学校の校門として移築されています。立派な薬医門です。

 

 

 

 

 この後は白河小峰城に向かいます。

 

 

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