今回は日帰りで東北4城を回る計画で、その第一弾が「白石城」です。
白石城は、丘の上に立つ平山城で、中世の頃は白石氏(刈田氏)の居館だったと伝わっています。戦国末期には、伊達→蒲生→上杉→伊達、と目まぐるしく領主が入れ替わった後、江戸時代に入ると仙台藩家臣の片倉氏の城として落ち着きました。
近世的な城に整備されたのは蒲生郷成が城主を務めていたころだそうです。
戊辰戦争の際、奥羽諸藩の代表たちがこの城において白石列藩会議を開き、これが奥羽列列藩同盟の結成につながりました。
象徴的存在であった三階櫓(大櫓)は、1875年に取り壊されましたが、1995年に大手一ノ門、大手二ノ門とともに木造復元されました。
三階櫓は層塔型の三重三階。三階には高欄が巡る廻縁が付き、華頭窓が配されるなど、一家臣でしかない片倉氏の城としては非常に立派な作りです。
大手一ノ門。この先は桝形を経て大手二ノ門に続きます。
大手二ノ門は櫓門となっています。
階段を上って中に入ります。
三階櫓内部
なぜ真田信繁の展示?と思ったのですが、大阪夏の陣で進退窮まった信繁が、激戦を繰り広げた相手である片倉重長の人物を見込んでその娘たちを託したそうです。
信繁の娘である阿梅は重長の後室となり、大切にされたといいます。
上から見ると一ノ門と二ノ門の間の桝形は変則的な形をしていますね。徐々に狭められた通路で混雑し、二ノ門前で行き詰ったところで三方向から狙い撃ちされる仕組み、ということかな。
城から10分程歩いたところに、片倉家の奥方用人として仕えた旧小関家があるので、ついでに見てきました。この建物は1730年に造られたそうです。
この後は二本松城に向かって南下します。
日本100名城 2/100
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