醒(sei)です。
本日は、「瞑想」について考えたいと思います。
瞑想と聞くと宗教的なイメージがありますよね?
実際、仏教だけでなく、キリスト教やユダヤ教でも瞑想にあたるものがあります。
基本的には自分の意識と同調したい対象を作って行うのが瞑想です。
神がいる宗教では神が同調の対象になり、
仏教のように神がいない宗教では、悟りの境地が同調の対象となります。
たとえば、禅宗でアタマに雑念が浮かぶと”渇”を受けるのは、
同調すべき"悟り"の世界に人間の言葉という雑念が浮かんだためです。
悟りの世界は、人間の言葉で表現できない世界であり、
「空」の体験とされています。
そこに、雑念という人間の言葉が浮かぶことは"渇"なのです。
現代の日本人は無宗教の人が多いですが、
宗教と関係なく瞑想することにどんな意義があるのでしょうか?
脳科学的には、
瞑想を行うと、ドーパミンが分泌されると同時に脳波がノンレム睡眠に近い状態になっていると言われています。
ドーパミンは「快楽物質」と呼ばれています。
ノンレム睡眠は「深い睡眠」状態で癒やしの作用があります。
すなわち、
瞑想をすると、快楽かつ癒やしを感じることができるのです。
そう考えると、
宗教的には「悟り」という煩悩を手放した「空」の世界と同調するために瞑想という手段があるのに、
瞑想することで得られるものは快楽や癒やしという煩悩そのものなんですね・・・。
一時の間だけリラックスしたり、
嫌なことを忘れたりするのには
瞑想は有効なのかもしれませんが、
瞑想のやり過ぎは要注意と言えます。
瞑想とはドラッグに近いものなのかもしれません・・。
依存してしまうと、ただ嫌なことから逃げ出すための手段となってしまう可能性があります。
瞑想に逃げるのではなく、
知識や体験を通して世界の本質を知ること、
自分のアタマの中で価値のあることを創造し、世の中に価値を還元すること、
の方が重要です。
そのために、
学び、成長しつづけることを常に意識したいですね・・。
自分が成長し、世の中に大きなエネルギーを循環させることができるような存在になることを意識していれば、
自然にエゴや煩悩は薄らぎ、瞑想する必要もなくなるということです・・・。
それではまた。

