前日、埼玉県和光市議会議員(36歳、最年少) 松本たけひろさんの「『大阪破産』(吉富有治)を読む
を読んで、やはり生まれから大阪府民だったので、ついつい買って読んでみてます。
吉富 有治
大阪破産 Osaka Bankrupts

まだ2章までしか読めてないけど、これがまた。。。

本気で嫌になるような大阪市、府の現状です。

悪名高き3セクが作った、ワールドトレードセンター(WTC)。

例えば収益に関し、文章を引用すると、

「1989年の当初計画どおりなら総事業費520億円、そのうち334億円で済んだ

借入金もは647億円にアップし、最終的には総事業費1193億円、借入金993億円

と、当初3倍まで膨らんでしまったのである。」

さらに、実はあまりにテナント誘致がままならず、大阪市の部局がテナントの約8割を

締めている。

さらにさらに、テナント代は平均より1.5倍も高い!

つまりは、事業費+大阪のオフィス賃貸料金でさらに無駄に金を使っているわけだ。

WTCのHP情報 も少ないし。。

イベント情報も無いし、どんな企業が入っているかのアピールもない(出来ないだろうけど)。

食事のところで呼びたいわけでもないっぽいし。。


大阪住んでいたときに何回か行ったことあるけど、本当に島全体で人が少ないんですよね。。。

というか、『大阪破産』で言っている、WTCやATC、OCAT(JR難波駅)、クリスタ長堀とか、

フェスティバルゲートとか。。(りんくうは、このごろアウトレットやイオンなどで建て直してきた感あり。

やっぱ民間やし。)

ホント、立派な建物建ててるのに。。。

客として言えば、遊び心が全然足りない、細部への気配り・こだわりが見られない、という

感じですね。




で、何故ここまでアホなことを許してしまえるのかと。

ここが問題なんでしょう。

そもそも、官庁主導で作れるのは、ロジックだけであり(=法律)、

建物や商品は作れない。これが一つ。

建物や商品は、細部までこだわった各作成者の集大成だから、でしょう。

官庁からお金渡されて作れば、企画書的に立派なもの作れても、細部へのこだわり

がない=魂がこもっていない、モノが作られる。

これは精神論的な話でもあるかもしれないけど、人間の精神構造として当然だと思います。

個々人全てが頑張れるようなプロジェクトでも、人事・給与構造でもない。



まあそれでも、その真理が分からず官庁主導でかっこいい物作りたい、起死回生狙いたい

理由もわかります。

もう一つの大きな問題は、


 「そもそも官庁がこういうのを作るのを止めることが何故市民に出来ないか?」


自分が市民側として思うのは、市民としてやれることが分からない、というのが

もっとも大きいですね。

投票という手段があるとは言うけど、その投票をしたらどうなるのか?

各政治家個人をよく知っていなければ、その人が何を達成してくれそうなのか

なんて分からない。

さらに、政治家個々人はそれぞれ多くの事柄に関わっているだろうから、選びたい

部分と選びたくない部分もある。


そこで参考になるのは、つい最近『ゲーテ』という雑誌で読んだ、U2のボノが行っている

活動『RED』。

アフリカで1日何千、何万人と死んでいるのに、それを手助けする方法は無いのか、と。

その一つで、アメリカンエクスプレスのカードに、プラチナなどと同様に

「RED」カードを作った。そのREDカードで使った金額の1%は、自動的にアフリカのAIDS撲滅基金

に寄付される。

消費をすることで、AIDSの撲滅に一役買えるということだ。


ほとんどの人は日常に忙しい。

憤りを感じても、現在の生活を捨ててまでその根本を解決しようとは思わない。

ただ、何を改善するか、に対して、普段の生活に絡めて改善者・改革者を支持
出来るなら、したいと思う人もいっぱいいるだろう。
ちょっとしたメール登録でタバコのぽい捨てに無言の賛意を表明する。
大和川を泳げるぐらいきれいにするためだったら、0.5%ぐらいだったら普段の消費から

払ってもいい。

無駄だと思える施設を作るより、病院をもう少し増やして欲しい。
今の時代、こういうことがネットで、カードで、可能になってきている。


官庁の行動なら、特に目立つ情報は携帯メールなり、ヤフーニュースに載せてもらうなりして、

情報を目につくような場所に配置し、それに対する可否をボタン一つで信任問う。

否定が多いが必要ならば、その情報載せる場に官庁の人間が説明責任果たしてもいい。


とりあえず言えることは、

・監視の目がまだまだ甘い

・悪いと思っても、それをどのように表明すべきか、手段が見えない

ここにこそ問題があるのだろうと思う。


こういう問題に取り組んでいる企業なり団体なり、あったら教えてください。


この頃、作りたいこと、やりたいことが増えている。絶対一人で出来る量じゃない。

その中の一つでさえ、出来ていない。


今まで出来なかった理由は、今思い返すと、

「やりたいこと」は「やらなければいけない」わけではないので、

必ず後回しになる。

休みの日でも、日常雑務やると、満足して後に回してしまう。


どうすれば出来るのか?

それは、「やるべきこと」という予定一覧に、組み込んで時間をとってしまうことだ、と

最近やっと悟った。

最初からその時間を確保しておけば、他の切羽詰った用事でない限り、それに時間を使う。


「やるべきこと」に組み込むには、一覧で「この日までに~をやる」という締め切り

カレンダーで一覧で見ることが必要。

「この日までにこれを行わないと、~の時間が取れない」と思わないと、

後に回せるものはドンドンドンドンまわす。



自分のやりたいことをやるには、そのための「時間の確保」が重要だ、と考える今日この頃。

今週土曜日は13時から17時まではソフト作るぞ!


テーマ:男女関係?


昨日、友人と、その彼女の家に遊びに行った。

友人の彼女の妹が、ドイツから久々に帰ってきているらしく、

一緒に飲まないか、とのこと。面白そうだから行きました。


妹さんは、12歳の時、小学校卒業してから、チェロの奏者の勉強として、単身クロアチア、

その後、ドイツと現在も大学音楽科(どんなとこかは知らない。。)で、チェロの奏者として頑張っている。

世界で10指に入るぐらいのオーケストラで、ヘルパーだが入っているという。

性格、自信にも現れているけど、たぶんめちゃうまい。現在21歳ぐらい。


で、やっぱそんなぶっとんだ経歴持っているため、人生経験も深い!

めちゃ面白い子です。



昔(多分大学最初のころか??)、ドイツ人の彼と付き合いだしました。

その彼は、日記に「僕のこの目が嫌いだ、僕のこのがさついた肌が嫌いだ、このいじけた性格が嫌いだetcetc」と書き綴っているぐらい自分大嫌いな困った彼だったらしいけど、

まあそんな彼でもほっとけない状態で、色々尽くしてあげたそうです。

大学の卒業証書のハンコを偽造して、アメリカ留学に送り出してあげるほどに。。。!?


で、とあるオーケストラの指揮者で70歳ぐらいのじーさん(有名な人らしい)がいて、

どうもその彼が気に入られたそうだ。

練習が終わったら二人で別の部屋での指導や、

週末は毎週のように一緒に食事をしたり、

サウナにまで行ったり。(ドイツのサウナは真っ裸)。


非常に危険な香りがしたけど、まさか何もないだろうと。

ただ、そのじーさんは元々ホモだという話はあり、周りの人に、

「○○(彼女の名)はかわいそうに」という話があったらしい。


で、彼氏がアメリカに留学行きたいといい、卒業証書偽造!?して、

行ったらしい。旅たちのとき、彼氏は言いました。

「ここ(タンス?)に入っている物は絶対開けないでね」と。


そんな、空けてくれといわんばかりの言葉に、彼女は開けてみて、

見たこと無い日記を発見しました。

そこには、




   じーさんとやりました




な内容が書いていたそうです。。。



(書き残すなよ!!!と誰でも思うはず。いやマジで。)


彼女はショックのあまり、3日はゲリ状態になったそうだ。(何故そんな症状としてショックが

現れるのか、きわめて謎)




さてさて、皆さんこんな経験したら、どんな思い、どんな行動しちゃうでしょうねぇ。

一応彼としては、好きでじーさんに抱かれたわけではないそうです。

それでも、嫌われたらせっかくのチャンスが消えてしまう、とか思ったんでしょうかね。。。


男のほうが、まだショックの度合いは低いような気はする。

(ホモよりレズに対する肯定感のほうがあるんじゃないかな。)

そもそも、ホモを毛嫌いする人はよく聞くけど、レズを毛嫌いする人はあまり聞かない気が

する。



ドイツはケルン(ケルン大聖堂がある町)が、ホモのメッカだそうです。

そこに住んでいる男の50%はホモだという話も。。

ホモである理由も、遺伝子の組み合わせがおかしかった遺伝的なものだとか、

精神的なトラウマだとか、色々正当化されるような理由が蔓延?しているそうです。



こんなことを書いていると、差別だとか言われそうな気はしますが、

自分としては友達ならいいけど、狙われてもゴメンなさい、ってかムリ!

と言うのは確実ですね、ハイ。


土曜日友人が開催する昼食会に出て、色々知り合いが出来た。


そこで話題に上ったこと。

・日本は二極化が進んでいるが、それが進むと社会全体としては活力がなくなる。どうすればいいか?

・そのモデルに日本の農業がある。なぜ日本の農業はこんなに衰退しているのか?


前者はまたの機会においておいて、

後者の話。

農業の衰退=農業の国際競争力、経済力のなさ

とここでは考える。


日本の農業は、生産性が低い。

海外からは非常に安い金額で農産物買えるのに、日本国内では買えない。

「日本の農産物は質がいいんだ!」という人もいるし、それのこだわりがあるのも認めるけど、

もっと単純に構造が悪い。

農家一戸あたりの平均耕作面積を比較すると、西ドイツが16.6ヘクタール、アメリカが175ヘクタールであるのに対して日本は1.2ヘクタールしかない。

まあ、これは他ブログ の情報転用ではあるけど、実際日本のと他地域の農地を見れば一目瞭然で

納得な数値である。


農業は、多分に資本集約的な産業だ。

トラクターなど農耕機械で、刈り入れの手間は10分の1以下になっているだろう。

1台でカバーできる範囲は、1.2ヘクタールより断然多い。

それなのに、日本ではほとんどの農家で一家に一台持っている。(友人のおじも兼業だが持っている

らしい)。

当然、米の脱穀機などの高価なものは、持っている人のところに使わせてもらいにいくことも多いみたい

だが、根本的に資本集約性=農耕機械とそれに対応する土地面積、を生かせていない。


日本の米の関税は402円する 。海外からの米は大体5キロ2500円程度だろうから、

実際の値段は500円程度である。

これは規制産業の最たる例で、極端な話だが、この関税の理由は、日本の農家を守るためだ。

日本は国の金で、農業政策に10年で40兆ほど使っている。

その割に一向に農業生産性が改善しないのは、農道整備や、農産物の買取にお金を使っているからだ。

生産性を上げる努力をせず、給料だけあげているようなものである。



日本の農業の欠点はわかりきっている。

農業生産性の低さ=生産可能力に対する耕作面積の少なさ、である。

(一部の高付加価値農家は除く。ブランド化は二極化社会の一つの方策である。ただし市場は狭い)


では、何故耕作面積を大きくできないのか?

日本の権限モデルが大きいと考える。

つまり、

農家の集合=村社会=経験者が偉い人に=小選挙区制で農水族が生まれる=農家の職の保障を求める=土地の取り上げ出来ない

こういう構図だろう。

もう一つは、高齢者の「先祖様から受け継いだ土地を手放すなんて!!」という情の世界。

ボトルネックはこの二つだと考える。


情の世界を動かすのは、営業・政治の世界。日本での農業の重要性自体が薄れている最近、

自身の人生投げ打って改革する人間がほとんどおらず、情の世界をひっくり返せない。

そういうことだろう。



ただ、例えば兼業農家の人に、「土地を~千万円で買い取ります。」と言って、実際に手放さない人

ばかりだろうか?本当はいい加減手放したい人のほうが多いと思っている。

兼業でやるには農業は手間かかり、見入り少なすぎるから。

10年間で40兆使うなら、土地1つにつき1億で買っても、40万件買えた。

平成15年の日本の農家数は220万件である

最低でも20%弱は買い取れたのである。(実際は農地だともっと安く買い取れる)。

年金も保証するのだから、こういった政策のほうがよっぽど良かったと思う。

また、友人いわく、近頃の若い世代は土地に対する執着が弱まっている、という。

テレビやネットの情報が入り、思考の枠が広くなっているのか、若いときは感謝が少ないのか、

どちらかはわからないが、後20年もして今の高齢者がいなくなってくると、かなり土地の流動化に

弾みがつくだろう。



実際、色々言って、自分がその世界の改革を今しているわけではないため、

絵空事であるのは確か。

ただ、こういった問題意識と、それの解決手段は常に考え続けたい。



本日、関わっているタスクの関連で金融庁を訪れた。

情報公開制度を利用して情報を先取りしようという試み。


しかし、これがめんどくさい。

■情報開示申請を行い、

 ↓

30日以内に開示許可がおり

 ↓

情報開示実施方法申請を行い

 ↓

■やっと閲覧


。。。なんで開示を二回も申請するねん!!(`□´)

確かに、手順としてはどの文書が開示できるか判断して、

その後実際情報を渡す手段を示す。ああ、正しい。

でも、そのために2回も申請書出すのは正しいのか!?

2回も手数料取るのは正しいのか?

「開示できますよ」という情報が文書で郵送で送られてくるのは、

正しいコスト意識なのか!?

金がどれだけかかってもいい、という考えでないとここまで無駄な手順は

踏ませないだろう。

正しいことを正しいようにしっかりすることが一番の価値観なのだろう。。。


日本の法律、細則云々は基本、ポジティブ法(~を認める、の形式。反対はネガティブ法。~は認めない、

なのでそれ以外は認められる。)の考えで作られているため、項目が多い多い。そして新たな問題に

は対応できない。

開示されるモノも、「文書、図面および電磁的記録」と規定されている。

それらのどれで欲しいのか、紙に書いて申請しないといけない。


今は電子申請が出来て、この4月からPDFでも返送されるようになるのはいいのだけど、

問題は「フロッピーにPDFファイルを入れて、送付します」ということ。。。


いまどき、メールぐらい使えや!!!


そんなんやから無駄な金使ってるねん!!


送付するのに、封筒代や切手代、それを入れる人件費かかるやろ!!(`□´)

こんな細かいところと思うかもしれないが、これが全省庁でやってたら、

これらの作業だけで日本全国ざっと1000人以上の雇用は確実生んでるね。

たとえ情報開示用の部屋は電話呼び出ししないと電気もついていない程度であっても。

年間300万で雇っても、1000人雇えば30億は使ってます。

今回行った金融庁の行政文書その1だし、各地方に地銀や第二地銀を管理してる

財務局あるし、それらが10省庁以上、扱う文書はたぶん余裕で100万越える。



政府機関は、すべて文書で決められた動きしか出来ない。

それが無駄の発端。


無駄なことを考慮しすぎ。

例えば、開示規約に「自由競争の阻害になる」ために開示できない情報が存在するらしいが、

全員にどこからでも誰でも入手できる情報にすれば、そもそも自由競争の阻害にならない。

今はそれが出来る。でも、すでに文書に書かれていて、「役所に申請してくる人以外は情報

見れず、不利になる」と考えるようになるから、公開しないという判断になってくる。



確かにかなり規制緩和は進んでいる。

例えば、今まで金融機関の営業所の改廃は認可が必要だった(!?)が、

現在では申請するだけで問題ない。ましにはなってる。


ただ、まっだまだである。

ポジ法で規制しているから、それを改廃するのに一つ一つ、あらゆる想定をして問題ない、

と認識され改定されていくのだろう。

それは時間かかるわ。。

たぶん、一度最初から作り直したほうが早いと思われる。。



たった1日3時間ほどしか関わっていないのに、文句だらけである。

が、今回はとりあえずこの辺で止めておく。

ただ、こういった細部から感じる感性を大事にしたいとは思う。大上段で斬っても、

個々は何も動かないのだから。


そういや、情報開示窓口の部屋に、テレビもあったな。誰も見てないのに。。


最近ふと思ったこと。


皆、自分の力で主体的にレールを作っていることは少ないんだな、と。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、会社・組織、サークルなどなど。


皆、やっていることは「環境を選ぶ」こと。

環境は色々提供してくれる。

教育、建物、給料、食事、仕事、エンターテイメント、友人etc。


いい環境を選ぶことは、自発性の欠如を促すのではないか、と思う。

アメリカは、きめ細かいサービスがしょぼい。

水周りの修理一つ取っても、遅刻する、工具がないと買い物行って戻ってこない、足元見て高い請求をしてくる、など等。

だから、自発性が発揮されるのかもしれない。

ガソスタでもスーパーでもセルフサービス、日曜大工はお父さんの甲斐性、職種選択という考え、起業の多さ、自分の意見をはっきりさせること、ナドナド。


日本のサービスは質が高い、と思う。

トイレのきれいさ、街の整理、レストランなどの待たせない工夫、コンビニ、携帯の機能豊富さ、車の

乗り心地、等等。

ただ、俺は便利さは求めるけど、提供された細やかな質の高さはたまーにでいい。

というか、満足度の高い最適な「環境」の単位があるのだろう。

皆で遊びに行くときは、ツアーに頼むより、自分で組み合わせる。

自由度が高いし、皆で協力する楽しさが出来る。



どうも、「環境」というものへの依存度が高いと居心地が悪いようである。

確かに選ぶのもいくつもの「環境」の組み合わせではあるけど、

もっと細分化して、最高だと思える「組み合わせ」を求める傾向にある。



また、「環境」に乗っかって、その上で自分の興味あることを消費するより、

「環境」を作ることにやはり興味がある様子。

国という「環境」、会社という「環境」、サークル・コミュニティという「環境」。

ただ、傾向が強いだけで、突出していないから、実際に自分で作るところまでは

いたっていない。

「モノ」を作ることにも興味強い。どちらが主にやりたいのか、正直わからない。



今の生活は、先人達の作ってきた「環境」と「モノ」の上に成り立っている。

だれがその「環境」「モノ」を作ってきたのかわからず使っている。

ただ、それでも「環境」「モノ」を作ること自体に尊敬の念を抱き、感動する。

そちら側の人間で居たい。

レールの上に乗っかっているだけでは、どうも楽しみが少なくないか。


よく読んでいるブログ、life is beautiful  で面白い記事があった。

日本のシステム業界は、ソフトウェアの開発をしたことがない人たちが仕様書を作り、

プログラム作成を外注するゼネコン式システム構築が、業界全体の国際競争力をなくしてしまう、

という仮説である。


以下、ちょっと長いけど一部引用

「プログラムの仕様書は料理のレシピに似ている。ソフトウェアのアーキテクトが自らプログラムを書いたり、下っ端のエンジニアの書いたコードをレビューするのは、レストランのシェフが自ら料理をしたり、下っ端の料理人の作ったスープの味見をするとの同じである。もちろん、レストランに行く側の立場になってみれば、そんなレストランで食事をしたいのは当然である。シェフがレシピだけ書いてキッチンにも立たないレストランには行きたくないし、ましてや自分で料理したこともないシェフが書いたレシピを元に作った料理がおいしいわけがない。」



『「どんなに優秀なエンジニアでも、決してプログラムを自分自身で書かずに良い詳細仕様を作ることは出来ない」という絶対的な法則があるのだ。』


プログラミングは、論理の塊だ。

「残業を申請する」という行為だけで、非常に膨大な論理を作らないといけない。

誰が、誰に申請するのか?正規入社の総合職?雇われの派遣社員?レジのパートのおばちゃん?

亀山の工場の労働者?エクセルを使いこなせないおじさん?

それの承認は誰がすべき?所属の上司?タスクのリーダー?労使?経理の課長?取締役?

それらの人は、システム的にどうやって識別・判断するの?

残業の申請はどんなデータ?

それを提出したという状態は?差し戻されたら?保留は?3段階の承認があったら?提出間違えが

あった場合の対応は?

深夜0時を越えた時間はどのように扱うのか?申請されたデータはどうやって保持しておくべきか?

何に反映されておくべきか?

申請は他にも休日出勤やら住居変更やら企画書申請やら色々あるが、どのように分類すればいいの?

まだまだあるものを、すべてプログラムの言語に直さないといけない。

それも遅いプログラムでは×。

複雑なインターフェースだと×。


プログラミングで実現しやすいものとしにくいものがある。スピードが速いプログラムを求めて

書いたことがない人が、どうやってスピード早いロジックを実現するのか?

業務を分類して抽象化して共有するのが、どのような形式がいいのか?プログラム書いたこと

ない人がプログラム単位で想定出来るものだろうか?

分割して各プログラマーに仕事を振るにしても、どういう単位だとプログラムの断絶を起こすこと

なく作れるのかわかるのだろうか?



システムすべてを一人で作れるわけはないので、仕事の分担は起こるのだけど、

難しい複雑な仕事ほど、縦割りな仕事の任せ方がいいとは思う。コンサルは典型例だと思う。

当然、クラスの共通利用がされない、ボタン配置などの仕様が共通していない、

各サブシステムの品質に非常にばらつきがある、などなど問題はあるけど。



自分としては優秀なプログラムを書けない人が優秀なシステムの構築は出来ない、に賛成やけど

実際はどうなのだろうか?業務寄りのアプリケーション部分より、インフラ部分のミドルウェアやOSなどの

作成にもっと顕著に現れると思う。



是非、他IT業界の会社で働いている人間にも聞いてみたい。

A.M3時。会社。眠い。


以前から認識はしていたけど、

そのときに制限時間と、

そんな動きしねーよ、とある程度タカを括っていたのとで、

ほっておいたプログラムが起爆。

それも連爆。



結局、想定しうることは大抵起こってしまうのがシステムの世界。

ただ、自分の怠慢だけならまだしも、相手の伝え方(文書のおかしさ)、相手の

環境も含めてエラーが出てくるからやるせない。

また、それがめんどくさいルールを作っているからこそ起こるところが

憤りを感じる。



後2時間ほどは会社にいると思います。

解決すべきは後1つ。

現在、「ザ・サーチ」を読んでいる。

ジョン・バッテル, 中谷 和男
ザ・サーチ グーグルが世界を変えた
グーグルを中心に、検索がどのように世界を変えたのか?を、数々の調査資料と、
人間のエピソードが見える詳細なヒアリング結果に基づいて書かかれている。

本自体も非常に面白いのだけど、今回は書きたいことが違うからおいておく。
この本の中で、グーグルのサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジが加速度的に多くなってきた
社員達に対し、どうやってグーグルらしい文化を残し、強化していくかの試みが書かれている。
(企業文化はもはや経営論の常識のようだ。ビジョナリーカンパニーの成果かな。)

シリコンバレーの企業は、従業員が前の会社の社風を持ち込んで、さまざまな文化・価値観

の寄せ集めに陥りやすいそうだ。ネットスケープ一派やら、アップル一派やら。


本の中で覚えているのは、古参社員を集めてどういうものがグーグルなのかをブレストさせて、

色々話あったが、いまいち内容が平凡だったこと、

その結果に対して、一人が「エンジニアは能率、効率を優先します。独創的である必要はなく、

すべてを一言で簡潔に言い表せばいいのです」といったこと。

「Don't Be Evil」が出てきたこと。

ぐらいである。



あんまり本に書いてあるないようは関係ない(じゃ、紹介するなよ!というツッコミはご遠慮ください。)

インスピレーション受けて浮かんだことを書いていく。


文化の方向性は少数が決める。

強化するのは参加者、適応者全員である。

例えば、挨拶という文化。普通は挨拶するのが是だが、効率を重視し、「挨拶に

意味はないよ。それより仕事に情熱持って話せるほうがいい」という考えの人が

多い会社だと、挨拶に何の価値も見出されないかもしれない。


文化とは、行動様式である。

「報連相」がしっかりしているところも、それは一つの文化である。

きっとその会社は、「職場でもよくしゃべる」「社内同士の遊びが多い」

「チームとして活動する癖がついている」など、行動様式があるのだろう。


文化は、どうあるべきが一番必要なのか?

例えば、アメリカ的な文化(=思考)と日本的な文化では、

起業への積極性が大きく異なると思う。

アメリカ的=人の目を気にしない、各人の幸せの追求

        →リスクだと感じにくい思考

 ←日本=人の目を気にする

        →失敗したときのリスクを考えてしまう

この一つの思考を取っても、文化による向き不向き、行動パターンが

異なってくると思われる。



たぶん、どういう会社を作りたいかによるのだろう。


もし、自分が作るなら、

・チームワーク

・アグレッシブ

・現場主義

の3つの文化を特色にしたい。

実行してナンボ、それを皆で共有するから面白い。そんな仕事バカな文化。



しかし、現場にはなかなか根付かない。

自社でも代表陣は非常に文化を重視するけど、思っているほど

浸透していない気はする。

とことん考え抜く文化、コンティンジェンシープラン。

大多数を実際の実力を見る、ということでインターンシップで採用しており、

実力主義、クリエイティブな人間はよく集まっているとは思うけど、

それ以外の成果に重要な思考、「チームワーク、連携」「ベターな方法の模倣(ベンチマーキング)」

といったことは非常に弱い。

そりゃ、人と相談してはいけない採用だったら、そんな人間だって多く集まるわ、と。



そういう意味では、文化を保つのに面接という手段は非常に重要なのだと思う。

似たような思考の人間を入れると、組織が硬直化する、とは言うが、

例えば人間の体で心臓と腎臓と胃と足と手が皆ばらばらに自主的に動きたかったら、

人間生きていないだろう。

似たような思考は、今まで得た情報・経験に基づくとは思うが、80%は似たような価値観

を持った人々を入れてもいいと思う。というか入れたほうがいいと思う。

硬直化したときに入れ替えるほうが、トップの人間としては簡単だ。



組織文化を明確に重要だという論理を展開するのは結構難しいが、

実際は必須要件だろう。

価値を作るのは人間で、組織は人間で出来ていて、人間が価値を生み出す

方法論こそがもっとも重要なのだから。


グーグルはどうなのだろう?「プログラマーはプログラム書くためなら徹夜するでもするが、

洗濯などやりたくないことは極力やりたくない」という考えでめっちゃいい福利厚生を用意

しているグーグルは、かなり文化重視で、それが各場所に現れている会社なのだと思う。

「へんな会社」のつくり方 で、いいことを言っていた。


「「著作権問題があるから、その権利者に了解取るのは難しいんじゃないかな」という

類の意見は確かに正論なのですが、まだやると決まったわけでもないサービスに

対して今からそんなことを言っても始まりません。


現在、開発の仕事のみでは物足りず、ちょっとした新規サービス提供しようとしている

タスクに入っている。


ただ、その問題は例えば全銀協や、国土地理協会がそれぞれの権利を持っていて、

二次的に販売はまだしも、配布することまで禁止していたりする。


それはそれで、国が提供する共通のものなのだから、自由に使えるようにインフラ

整えるのが国の役目だろう!というツッコミがあるけど、

それと同程度に社内での「権利があるから無理だろう」という意見に対して、

「そもそも本気でやる気あるのか!」 ( `´)ノミ とツッコミたくなる。

というか、こういう人は無理だと思っているところがあるから途中であきらめるんじゃ

ないかな。。。


今後こういう場面に出会ったら、

「まだやると決まったわけでもないサービスに対して今からそんなことを言っても始まりません。」

と言ってみようと思う。