卒業3 | 夕顔日誌

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footprints of emancipation

卒業 -幻想の終わり- 第5章

貴方の夢の性質やキャラクターや動きやドラマは、全く重要ではありません。 何故なら、それらは貴方の無知の部分であり細部であり、貴方の「意識/気づき」では無いからです。 それらは「存在」に対する貴方の包括的な意識体験では無いからです。
だから貴方が「ワー、怪獣に追いかけられてる。 早く逃げなくっちゃ!」と言っている時でも、私は「貴方が怪獣から逃げる事」が「貴方が私と繋がり続ける事」よりも重要だとは言えないのです。

「貴方が私とつながり続ける事」が、貴方が「リアリティ」と繋がり続ける事なのです。それが、貴方が貴方の正しい「マインド」内で貴方「自身」と繋がり続ける事なのです。
貴方の正しい「マインド」内には怪獣は存在せず、逃げる必要もないのです。
既に言ってある様に「何がリアルで何が幻想か」ドラマのレベルから判断しようとするのは止めなさい。

私へ(夢の外に居る私の存在へ、つまり夢の外に居る貴方の存在へ)注意を払い続けようとする貴方の意欲が、「何がリアルか」識別出来る所へ貴方を導く唯一の事なのです。

だからここでもう一度、貴方がより頻繁に私と繋がる必要性を強調しておきましょう。
これを行う事によって「貴方が本当に居る所」の体験の基盤が作られるのです。
これを行う事によって、貴方は自分が夢の中に居ない事をクリアに理解するのです。
そうして貴方は自身が、夢の中の戯画化されたキャラクターではなく、「存在」の四次元的意識体験の中で私と共に居る「自己」こそが貴方だと気付くのです。

ここでは熱望が必要なのです。 友達を熱望する必要があるのです。
そして私と共に居る事を意識的に熱望する必要があるのです。
そして現時点では、私と共に居ない時の体験は有効でも重要でもない事をもう一度強調しましょう。
だから私に対して無意識でいようとする選択は、貴方を無意識/無知に縛り付けてしまう選択なのです。

だから貴方が秩序を必要としていると感じたなら、貴方の体験から秩序の概念が消えている様に感じたなら、その秩序は(夢の中で秩序を再確立するのではなく)私と繋がる事により(そして『貴方が真に存在している「場所」』に貴方の注意点を据える事により)達成されると知りなさい。

「貴方の真に体験する能力が存在している場所」そこだけに貴方の注意/意識を置くのです。
その場所には、脅かされる体験や脅かされる可能性は存在してません。
そこでは秩序の欠如や、それがもたらす貴方の安心感への脅威は、不変の絶対的調和/秩序に飲み込まれ消滅しています。

貴方が自分の注意を、私から「貴方の日常の出来事」に戻そうとしている事に気付く必要があります。
「貴方の日常の出来事」とは三次元的な一日の中の出来事です。 いや、より正確には、「一日」と呼ばれている永遠の「今」に対する三次元的知覚です。

この不安感は、貴方がエネルギーを与えているレベルに必然的に存在しているものです。

貴方は(現在)パーソナルな歪みの枠組み(卑小な自己感覚/三次元に限定された枠組み)の中から聞いているのです。
ここには原因が存在していない事を貴方は理解しなければいけません。
ここからは動きは発生しないのです。 ここでは何も起こらないのです。

ここは「存在」が居る所ではありません。 ここでは、ただ単に「存在」の見え様/触れる様(現象)だけが起こっているのです。
「三次元に限定されている枠組み」は、視界と触覚だけに限定された枠組みだと言う事も出来ます。
見えている/触られている「事」(リアリティ)は四次元的にだけ存在しているのです。

だから私を聞くことが重要なのです。 これは、貴方が明晰に成る事を許している「貴方」の部分を使う事なのです。

ポール:  これは呆然とする様な事です。 私にはやるべき事が山ほど有るのに、何もしていないように感じます。
ラジ:  ハイ、ポール。 しかし、山ほどある事を貴方は無知の内にしてしまうでしょう。 それは有益な達成とは言えません。

心配するのは止めなさい。 夢は貴方を噛んだり、貴方を破壊したりはしません。
貴方が夢に全部の注意を与えていなくても、貴方は危険な目には会いません。貴方の強い信念は、そうなると言っているのですが。

貴方が過去に望んでいたのは、慣れ親しんだ(貴方の)信念/手順/夢の秩序立った構造に戻る事だったのです。
貴方は不慣れな事からの解放、注意を払い続けることからの開放、生命力に溢れている事からの開放を望んでいたのです。

もし貴方が見たければ、貴方は(能動的に)視る必要があります。
貴方はどの様に視るのでしょうか? 貴方は視る事を望むのです。
貴方は何か特定のものを見ようとするのでは無いのです。 何故ならば、どの様な見るべきものが存在しているのか貴方は判っていないから。
しかし貴方は見る事を欲しています。 そして「欲する事」が「視る事」なのです。
そして「見える事」が起こるのです。 ちょうど、「聴く事」が「聞える事」をもたらすように。

貴方はエゴを肥大させ満足させている刺激を尊び続ける事を止めなければいけません。
つまり承認を得ようとする行動を放棄しなければいけません。

これは、貴方がリアルだと信じているファンタスティックな想像上のイメージよりも重要には見えないかもしれません。 貴方はその様な想像上のイメージを無視し出し、自分をそれから分離し始めています。

しかし「道は小さく狭く、そこに辿り付いた者はまれです」(#9)
"the way is straight and narrow, and few there by that go in thereat."9

その理由は、これがリアリティと呼ばれている包括的全体的(に見える)信念体系/概念/イメージを失う事に思えるからです(このリアリティは幻想なのです。
だから貴方は「ここ/故郷」で私と繋がる事により、私と手を繋いで信頼しなければいけません。

我々全員は貴方の中に育っている好奇心を見つける事を楽しみにしています。
何故なら「リアルな貴方」に対する好奇心の現れが、ドアを開く力の要素で、それが知覚の概念的ブロックを溶かし、「知っている事」を「再度」可能にするのです。

貴方が空間/時間感覚の悩みの中(そしてその中の自身の位置)に戻ってしまうと貴方はハッピーではなくなります。 何故なら、その間我々は貴方を失うからです。
次の様に言いましょうか。 その間我々は「貴方」を体験する機会を失っているのです。その場合我々はある程度「我々」を体験する機会を失っています。 何故なら貴方は我々から分離してはいないのだから。

一人一人の人が自身の生きる理由を探さなければ成らない様に、貴方は意識的になる為の自分自身の理由/動機を見つける必要があります。
そうすれば、無知や夢の中で意識を持つ理由を貴方は二度と見つけないでしょう。

だから意識的に成る為の理由は、いつでも理不尽に見えるのです。 少なくとも夢の中で使用されている限定された定義の論理の中では。
貴方は(理不尽に見えるものの為に理屈を放棄する事を可能にする)決意に到達し、その決意を保持する意志を持たなければいけません。

貴方が健忘症から抜け出られるのは、この繋がりを通して、そして『貴方が「ここ」に私と一緒に居る』と考える事を受け入れる事だけにより可能なのです


(#9)Matthew 7:14  マタイ
"Strait is the gate, and narrow is the way, which leadeth unto life, and few there be that find it."
「生命へと届く道は小さく狭く、それを見つける者はまれです」