卒業2 | 夕顔日誌

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footprints of emancipation

卒業 -幻想の終わり- 第4章

このチェック/確認(貴方が私に呼び掛け続ける事)を頻繁にし続けなければいけません。 これをもっと頻繁に行って下さい。
「何がリアルか」という貴方の感覚がより希薄になっている事を嘆かないで下さい。
ここでは、貴方の自己感覚と「貴方の世界」に対する感覚について話しています。

貴方に確実に解っているのは「貴方が何かを見ている」という事だけです。 これは「何か四次元的に働いている事」です。 しかし貴方がそれに与えている定義と意味は(それが貴方にはとてもリアルに感じられているのですが)間違い/無効なのです。
それが本当に意味している事に気付ける様に成るには、貴方は「物事に対して確信を持ち続けられなくなる段階」を通り抜ける必要があります。

この「リアリティ」と非リアリティの感覚を(分離しようとせず)そのままにしておきなさい。 それらを分析しようとするのは止めなさい。

我々が話してきた事は、(幻想の)相棒とその(分割された、二元論的)知覚(自信/疑い、満足/不満足)を手放して、貴方がシンプルに私と繋がって「故郷」に留まる事なのです。
何故なら、相棒(パーソナリティー)の視点から貴方の「存在」の視点にシフトする事が麦と毒麦を別けるのです、リアリティと幻想を別けるのです、誤解されている(誤解の下に実在している)「リアリティ」とリアリティの上にかぶされている誤解を別けるのです。

そうなれば欠乏の幻想に悩まされる事は無くなります。 そして「貴方の全体性」が、「神の自己表現の全体性」が体験されるものに成るのです。
ええ、解っています。 エゴは「この様な事は現実からの逃避だ、引きこもりだ、現実に直面して自分の問題を解決しなさい。」言うでしょう。
しかし前にも言った様に、貴方の収入や豊かさはセンター(中心)に居る事から発生して来るのです。

(中心に居ない事から知覚されている)「問題」を解決する事から、それらのものが発生しているのでは無いのです。
我々がセンターに居る(センタリングしている)と言っている時、それはアットホームしている(寛いでいる)と言う様な意味です。
これは本当に、「家」で寛いでいる体験の意識的理解なのです。 我々のコミュニケーションはこれを示しているのです。

どうして私が弟子達に「貴方は私の後について来なさい」と言ったか解りますか?
それは、彼らに「自分達の中から自分達の理由で自分達の正気を選択する」機会を与えたのです。
どうして私が「貴方が持っているもの全てを売って、私の後について来なさい」と言ったり、死んでしまった母親を埋葬する事を忘れてしまいなさいと言ったか解りますか?
それは、エゴは何時でも問題を提示して人の目覚めを妨害しようとするからです。

「もう一つ何かしなければ。 夢の中で最後にもう一つだけ問題を解決しなければ。三次元的枠組みの中で最後にもう一つ何かしなければならない。」 (と言いたてるのです。)

『「貴方の全体」は、意識的に故郷に留まる事から来るのです。』