パーソナルトレーナー/写真作家 古川貴久 【Personal Trainer / Photoartist】 Takahisa Furukawa -127ページ目

パーソナルトレーナー/写真作家 古川貴久 【Personal Trainer / Photoartist】 Takahisa Furukawa

◆ピラティス・マスターストレッチ・ウェイトトレーニング
◆ポルトガル写真、東京浅草写真

ディエゴ・アルマンド・マラドーナの死去という、

フットボール界にとってあまりにも急で

衝撃のニュースが世界中を駆け巡った昨日。

ポルトガルでも

様々なメディアが哀悼の意を表し、

RTP3のテレビチャンネルでは

普段ニュース番組のところを

マラドーナ特番に切り替えて、

故人の軌跡や功績を称えていました。

 

参照「B24」Twitter

 

参照「Portugal」Twitter

 

RTP3 18/20

 

こういった

一時代を築いた人物の訃報を見聞きすると、

否が応でも時間の流れや

時代の変遷を感じざるを得ず、

その容赦のなさに無力感を覚えてしまう。

 

彼の選手としてのキャリアのピークは

1986年のメキシコワールドカップ前後である

ということに、

当時を知るフットボールファン、

フットボール通であれば誰も異論はないでしょう。

クラブチームではイタリアのナポリで活躍し、

代表においては、何といっても

メキシコで行われたワールドカップは

彼の、彼による、彼のための大会だった。

私はフランスのミッシェル・プラティニのファンで、

プラティニを見るために

NHKのテレビ放送にかじりついていた

記憶がありますが、誰の目から見ても

この大会の主役はマラドーナであり、

メディア報道の内容は彼の独壇場だった。

地元メキシコのネグレッテが

豪快なボレーを決めようが、

スペインのブトラゲーニョが

一試合4ゴールを挙げようが、

事実上の決勝戦と言われた

ブラジル対フランス戦で

ジーコとプラティニがPKを外そうが、

イングランドのリネカーが得点王になろうが、

話題はすぐにマラドーナがかっさらってしまう。

大会の数年前、

1982年に起こったフォークランド紛争に

なぞらえるように報道された準々決勝、

アルゼンチン対イングランド戦での

“神の手”と“5人抜き”ゴールは

あまりにも有名ですが、

その3日後に行われた準決勝ベルギー戦での

2ゴールの方が彼の凄みを感じられた印象が

個人的には残っています。

 

当時日本代表選手だった

木村和司さんがかつて、

マラドーナはタックルをかわすために

ジャンプした後

グラウンドに足が下りるのが速い、

と表現していたことがあります。

具体的には身体をなるべく上下させず、

股関節の屈曲伸展を有効に使って

動きのロスを減らす、

ということになるのですが、

これは現アルゼンチン代表の

メッシにも同じことが言えます。

マラドーナとメッシ、

ペレとロマーリオなど、

タイプの似た過去と現代の

スーパースターが比較され、

どちらが上かなどといった

議論がなされたりしますが、

常に進化変化するスポーツ競技において、

そういった議論にはほとんど意味はなく、

当たり前ですが決して結論には至らない。

イチロー当時選手とマートンを比較したり、

ベーブ・ルースと大谷翔平選手を

ダブらせてもピンとこないのと同じで、

その各時代の中で

突出したレベルの選手がいたことを

そのまま評価すればいいだけの話ですし、

そういった不毛な議論を展開するのは

暇なネット人か、

センチなフットボリスタに限定される。

 

1986年以降、

フットボールは特に守備において

戦術が進化変化し、

なかなか点が入らない、

スコアレスやPK戦が増加するなど、

玄人は別として

一般のフットボール観戦者にとっては

面白味がないという

守高攻低の時代が数年続きましたが、

その前の時代、

スペースがそれほどタイトではなく

個々のプレーの自由が比較的利いた時代、

多くの個性的なスター選手が

世界各国にいた中で、

その中心には良くも悪くも

常にディエゴ・マラドーナがいました。

 

まだまだ、いろいろな意味で、

世間を、世界を騒がせてほしかった、

そんなアンチを含めた

フットボールファンも多かったはず。

残念です。