1月から始めた法螺貝練習。

飽きることも挫折することもなく、毎日のように練習しています。

 

月に一度開催される法螺貝の無料講習会の話は以前の記事に書いてありますが、

講習会の会場となっているのが、愛知県豊川市の財賀寺というお寺さんです。

 

財賀寺は今年で開創1300年を迎えた古刹で、他に類を見ない個性的な仏像が

魅力的です。

 

財賀寺の開創1300年の法要は、高野山の管長猊下をお迎えして行う盛大な行事となり、自分がお世話になっている白山龍鳴会も出仕する事になりました。

 

出仕は条件をクリアできる希望者のみ。

正直、自分の法螺貝の腕前は大したことがないので、迷いました。

でも、二度とない機会なので、末席に加えて頂きました。

 

今年法螺貝を始めたこと、その場所と仲間を見つけたこと、様々な偶然が重なって奇跡的に得られた機会に仏縁を感じています。

 

前日まで、天候が怪しかったのですが、朝になってビックリ!!

雲一つない快晴です!

法要の行道は先頭を法螺貝衆が務め、法螺貝の音を山中に鳴り響かせながら、

僧侶と行進します。

この中に自分がいるのは、夢のような出来事。

前の人に隠れて写っていませんが・・・。

 

どれくらい歩いたのか覚えていませんが、アッという間に本堂に着いた感じで、

もうちょっと歩きたかったなぁ・・・。

 

法螺貝って面白いもので、共振するんです。

左右の法螺貝衆が交互に吹きながら行進するのですが、自分が待機の時、手に持っている法螺貝が隣の法螺貝の音で震えるのです。

 

行道が終わり、法螺貝衆が両脇に整列する中を高僧が入堂して行きます。

我々の役目はここまで。山伏は本堂には入れません。

本堂の中は招待客でいっぱいです。

秘仏の御本尊千手観音菩薩さまが開帳され、儀式は無事終了となりました。

 

貴重な体験ができて、感謝感謝の一日でした。

 

 

 

 

 

夏が来ると「お施餓鬼」をやたらと気にする親戚がいる。

カミさんの実家には、早朝から「お施餓鬼」の電話が毎日入る。

 

正直、檀那寺から1霊位1万円も請求されるボッタクリ行事だと、

嫌悪感しかなかった。

お寺によってお布施がまちまちで、安いのに滅茶苦茶丁寧な供養の寺もあれば、

高いのに「えっ!?」というほど簡略化された供養の寺もある。

 

で、このお施餓鬼って、何ぞや?って事なんだけど、

お亡くなりになった方の中には、生きている内に悪い行いをしてしまったがために、

餓鬼に生まれ変わってしまう人達がいるという話が前提としてあるんです。

 

その罪の内容や程度により、餓鬼には様々な苦しみが与えられるのです。

この餓鬼たちを、少しでも苦しみから救おうというのが、

お施餓鬼という供養なのです。

「自業自得で餓鬼になったんでしょ?なんで供養するの?」

そこなんです。

私たちは生きていく以上、大なり小なり何らかの罪を犯しています。

生きているうちに功徳を積んで、罪業を消していく必要があります。

餓鬼たちを供養することは、我々の功徳となります。

 

餓鬼たちの煩悩と悪業のおかげで、供養ができて、自分たちが救われる。

餓鬼は自分たちの罪を代わりに受けている。

お施餓鬼供養で餓鬼も自分たちも救われる。

 

お施餓鬼には、そんな意味合いがあるのです。

 

ずっと嫌っていた「お施餓鬼」。

その深い意味を知り、自分もお施餓鬼を行うようなりました。

炊いたご飯とお水をお供えし、一心に願う。

それだけです。

 

驚いたことが一つ。

お施餓鬼を行った途端に、体調が良くなったこと。

 

今年は酷暑のせいか、体調が良くなったのですが、お施餓鬼を行った時から、

元気を取り戻してきたのです。

 

怪しい霊感商法じゃありませんが、2000円ぐらいでお施餓鬼できるお寺もいっぱいあるので、お勧めです!

 

 

自分は人にどうこう言える立場ではないんだけど、伏見稲荷にお参りするようになって、気づいた事がいろいろある。

一般的にお稲荷さんは、「キツネさん信仰」だと思われている。

実際、稲荷山には数え切れない程の狐像がある。

この狐さんは、神様のお手伝いをさせて頂くために、稲荷神の元に現れた「神使」であり、神様そのものではない。

では、稲荷神とはどんな神様なのだろう。

宇迦之御魂大神を主神とする神社がほとんどだが、この神様は穀物の神様と考えられている。

 

 

 

伏見稲荷の古い御札を見ると、神狐の上に蛇の神様がいる。

 

巳の神様と呼ばれている土地の神であり、土地の神と穀物の神が働く事で、食物が育つという構図だ。

 

伏見稲荷の場合、さらに不動明王が加わる。

伏見稲荷では田中大神という神様の本地が不動明王とされており、伏見稲荷の本殿にもお祀りされている。

伏見稲荷系の稲荷行者の方によれば、ある種の修法には不動明王の力が必要らしい。

時には、弘法大師や観音様、お地蔵さんまで出てくる。

 

稲荷山は仏教色がかなり強い霊場だと感じるが、「神道」なのは間違いない。

それでも不動明王が神域に色濃く現れているのは、長らく神仏習合の信仰が続いたからだと思える。

明治の神仏分離まで荼枳尼天稲荷護摩供が修されており、不動明王の前で荼枳尼天の御札を並べ護摩供を行っていたのではなかろうか?

稲荷山には滝場が点在しているが、滝場の守護はお不動さまで、滝行を行う者をお守りいただいている。

自然霊や天部信仰は、時に「障り」を生むことがあるし、人の欲望による「穢れ」もある。

それらを厳しく抑えられるのは不動明王以外は考えられない。

神使、土地神のような自然霊、天部(神様)、不動明王がバランスよく働くのが、稲荷山の信仰だと感じています。

 

日本各地の有名稲荷神社もお寺とセットになっている所が多く、日本の神と伝来した仏を共存させて、大きな力を得ているのが分かります。

 

いずれにしても、信仰とは人それぞれなので、お稲荷さん=狐さんと信じて祈るのは悪いことではありません。