文久 3年 8月13日 大和屋焼き討ち
 元治元年 6月 5日 池田屋で長州藩士ら16名を殺害(池田屋騒動)
 慶応 2年 9月12日 三条大橋で土佐藩士を襲撃し2名を殺害
 慶応 3年12月 7日 天満屋で海援隊と乱闘

なお、坂本龍馬を殺害したのも以前は新撰組ではと疑われていましたが最近
では見廻組という説が有力です。

新撰組は慶応4年1月12日軍艦冨士山丸に乗って江戸へ向かい、官軍に対抗し
ようとしますが、局長の近藤勇は捕らえられて江戸板橋で処刑され沖田総司
も病死します。

そこで今度は土方が3代目局長に就任、会津にいったん集まった後、会津での
戦いのため斎藤一らを置いて、残りは函館・五稜郭に移動。結局ここで幕府軍
の最後の抵抗に参加しました。

そして明治2年(1869)5月11日、松前表街道で軍を指揮中に腹部に官軍の銃弾を
受け死去。享年35歳。組は相馬主計が引き継ぐことになります。
かつて仏教の是非をめぐって物部氏と蘇我氏が争った時、16歳の聖徳太子も
蘇我氏の一員としてその陣中にありました。しかし相手は何と言っても皇室
の軍事部門を一手に引き受けてきた物部。蘇我は劣勢に立たされます。この
時、太子はいそぎ四天王の像を彫り「私たちを勝たせてくれたら必ず四天王
のために寺塔を建ててお祀りします」といい、その像を奉じて先陣に立ちま
した。皇子が先頭に立って戦っている。そのことで士気を高められた蘇我勢
はなんとか戦況を逆転させ、勝利を収めることができました。

この戦争の結果、物部氏は壊滅。彼らが支持していた穴穂部皇子も殺され、
蘇我氏が推した泊瀬部皇子が即位。崇峻天皇となります。聖徳太子は約束を
守って、この摂津に四天王を祭る寺を建立しました。
ガソリンエンジンは発明当初こそ信頼性に問題があったが、この点は自動車本体が誕生していたこともあって、比較的早い段階でかなりの改善が見られた。以後の自動車の発展を担うことになるアメリカでは自動車が誕生した初期のころは、自動車は上流階級やマニアのスポーツレジャーの対象となっていたから、当時の自動車マニアにとっては、各地で開催されだしたスピードレースに勝つ車こそ人気の的であり、騒音や排気ガス、操縦の容易さはあまり問題ではなかった。騒音などはむしろ歓迎されたくらいである。こういった背景より、その存在能力を認められていたガソリンエンジンは開発の的になり、その性能は飛躍的に発展していくのである。こうして、ガソリンエンジンの性能、信頼性が上がるにつれ、1900年を境にスピードレースで次々とガソリン自動車が優勝するようになった。ガソリンエンジンの性能や信頼性の向上は、何よりも、シリンダーやピストン、そしてピストンリングといった、ガソリンと空気の混合ガスを燃焼、爆発させる機構の精密な加工技術の向上に負うところが大きい。ガソリン自動車の発展は先の時代背景とともにこのような加工技術とこれを支える資産システムや工作機械の発展が、この当時アメリカで一斉に開花したことが、ガソリン内燃機関という、当初は気にもとめなかった技術を急速に発展させることになったのである。 そして、ガソリン内燃機関の精度と信頼性が急速に高まった20世紀初頭に、テキサス州で大油田が発見され、他方で石油産業の製油技術の向上も見られ、ガソリン自体のコストが以前より格段に安くなったことにより、ガソリン自動車の地位は揺るぎないものとなっていったのである。この章では自動車の誕生を中心に書いてきたが、第2章では自動車産業がどのようにして現在のような巨大産業に成長してきたかについて記していきたいと思う。
ガソリン内燃機関による自動車は各国で様々な説があるが、現物が残っており記録もしっかりしているという点で、1885年にドイツのカール・ベンツとゴットリーブ・ダイムラーによるものが通説とされている。蒸気自動車より約1世紀遅れて誕生したガソリン自動車だが、当初のガソリンエンジンは、騒音、振動、燃焼効率など、いずれをとってもきわめて不完全で、信頼性の乏しいものであった。20世紀初頭までは、自動車にはガソリンのほかに蒸気自動車や電気自動車(近年発明されたように思われがちだが、実は、18世紀後半に発明されている。)が存在し、どの動力が主流になるかは分からなかったといわれていた。ちなみに1895年のアメリカでは約3700台の自動車があったが、2900台が蒸気自動車、電気自動車が500台、ガソリン自動車はわずか300台に過ぎなかったとなっている。

ⅱ.ガソリンエンジン対蒸気エンジン

ガソリンエンジンは始動や整備メンテナンスが簡単であり、比較的少ない燃料で長距離走行が可能なこと、エンジンが相対的に軽量であることなどの優位性があったが、他方で変速装置その他の操作が複雑だった。また今日でも大問題となっている騒音と排気ガスといった欠陥が当時はひどく、蒸気エンジンの信頼性を考えるとガソリンエンジンが主流になる要因はほとんどなかったのである。当時の蒸気エンジンは既に発明より一世紀を迎え小型化も進み、騒音とはまったく無縁のもので、始動に少々時間(当時の始動時間は2分くらい)がかかっても、複雑なトランスミッションがないためギアチェンジをする必要もなく、スロットルレバーだけの操作による運転はスムーズで且つ加速性も強かった。燃料も石炭ではなく各種の油を使用することができるようになっていた。したがって現代の自動車がガソリンエンジン一辺倒になってしまったことに疑問視している技術家も少数ではあるが存在する。電気自動車については現在ではエコカーとして注目を集めているが、当時のものは蓄電池の性能と高速走行及び長距離走行が他動力と比べて問題にならないので論外だが、蒸気自動車については1920年代までスタンレーやホワイトといったメーカーが製造を続けていた。騒音と排気ガスが大きな問題となってきた最近、電気自動車や燃料電池自動車とともに、蒸気自動車を見直す動きも一部ではあるが存在しているゆえんである。半世紀ほど前の1953年のシカゴクラシックカーレースでスタンレー社の蒸気自動車が優勝しているくらいだから、性能的にはガソリン車と比べてもそう遜色もなかったのだろう。しかし、蒸気自動車にはその後大きな繁栄を迎えるには致命的な欠陥があった。均質な水質の軟水をボイラーに供給しなければならないことである。硬水 だとすぐ「水垢」がたまりボイラーが壊れてしまうのである。自動車の発展を担ったアメリカ(アメリカのガソリン自動車の誕生は1893年のデュエリ兄弟によるものが最初とされる。)のような大陸国家で均質の水をどこでも得ることは不可能に近い。水そのものの獲得やボイラーの整備が必要で、これが素人にはできなかったことも、蒸気自動車が性能的にはガソリン車より優れていながら、衰退していく大きな原因となった。
ごはんをたべよう~~

シチュ~をたべようぉ~~~
青って心を和ませるらしいぞ

なんか街灯に青にするといいらしいぞ
雨でなんだか眠れません

そんなことよくあります


雨は嫌いではありません
あお色がすきです

おちつきますね

ブルーーー

いい色!!!