かつて仏教の是非をめぐって物部氏と蘇我氏が争った時、16歳の聖徳太子も
蘇我氏の一員としてその陣中にありました。しかし相手は何と言っても皇室
の軍事部門を一手に引き受けてきた物部。蘇我は劣勢に立たされます。この
時、太子はいそぎ四天王の像を彫り「私たちを勝たせてくれたら必ず四天王
のために寺塔を建ててお祀りします」といい、その像を奉じて先陣に立ちま
した。皇子が先頭に立って戦っている。そのことで士気を高められた蘇我勢
はなんとか戦況を逆転させ、勝利を収めることができました。

この戦争の結果、物部氏は壊滅。彼らが支持していた穴穂部皇子も殺され、
蘇我氏が推した泊瀬部皇子が即位。崇峻天皇となります。聖徳太子は約束を
守って、この摂津に四天王を祭る寺を建立しました。