
ROCK FEEL, ROCK FIELD #13
ジャガー/リチャーズ (Jagger - Richards)。 ローリング・ストーンズのオリジナル曲の大半はそのようにクレジットされています。デビュー時から何かと比較されてきたビートルズのレノン/マッカートニーが作る曲のような、ポピユラーソングの名曲的なナンバーは少ないとはいえ、数々のロック名曲を作り上げてきたソングライター・チームであることは言うまでもないでしょう。
7月12日は「ローリング・ストーンズ記念日」。
1962年のこの日、ロンドンのマーキー・クラブにて「ザ・ローリン・ストーンズ」として最初のギグを行った日です。そういったわけで今回は、ジャガー/リチャーズによって書かれた曲のカバー曲をいくつか。 レノン/マッカートニーの曲調との違いを際立たせる曲を選んでみました。
LITTLE RICHARD / Brown Sugar (1971)
リトル・リチャード (1932 - 2020) はジョージア州メイコンの出身。生活のすべてが白人専用、黒人専用とはっきりと色分けされていた保守的な土地です。通りでは黒人が歌うブルースを聴き、教会ではゴスペルを歌うという、よくある南部の黒人の生活の中で育っています。
ゲイであったリチャードは性的マイノリティとしても差別されていたわけですが、そのあたりは昨年 日本でも公開されたリトル・リチャードのドキュメンタリー映画『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』に詳しいのでここでは深入りしないことにします。
二重の差別の中、音楽の才能があったリチャードは、エンターテイメントの世界で身を立てる事が出来たわけですが、彼の発明したロックン・ロールが、後のシーンに与えた影響は計り知れないものがあります。無名時代のビートルズやローリング・ストーンズも、憧れであったリトル・リチャードの前座を務めながら、彼等の音楽スタイルの一部として取り入れたのは明らかでしょう。
時が過ぎ70年代。 リチャードは自分の音楽の子供たちと言っても良い白人ロック・ミュージシャンのカバーをすることなったわけです。ホーンも吹っ飛ぶ強力なボーカルですが、南部臭も漂う秀逸な仕上がりになっています。ストーズがこの曲を発表した71年当時、「Brown Sugar」はアフリカからの奴隷売買を歌った曲として物議をかもしたわけで、リチャードにとってそれは自らのルーツを辿る為のカバーであったと理解しても良いのか。そのあたりは詳しく知りたいところです。
過去記事 → 「ブラウン・シュガー」
Merry Clayton / Gimme Shelter (1970)
「Gimme Shelter」は、ローリング・ストーンズ 69年の名盤『LET IT BLEED』の冒頭に収録された曲です。ここで彼等は結成以来初めて女性ボーカルを起用しています。それがアメリカ南部ルイジアナ州出身のR&Bシンガー、メリー・クレイトン (1948 - ) です。
バック・コーラスというよりも、ミックとメリーのコラボレーションと言っても良いほどの歌の共演となっています。この曲の歌唱でメリー・クレイトンは一躍有名になります。牧師を父に持つ彼女は、幼い頃からゴスペルを歌っていたという本物のブラック。曲の中に黒いフィーリングが欲しかったストーンズとっては、彼女の起用は大成功となったわけです。
メリー・クレイトンは、70年にファースト・アルバム『GIMME SHELTER』をリリース。 そこでカバーされた「Gimme Shelter」では単独で歌い上げています。スターダムにまではたどり着けなかった彼女ですが、『GIMME SHELTER』は、レディ・ソウルの名盤のひとつと言ってもよいアルバムです。
ARETHA FRANKLIN / Jumpin' Jack Flash (1986)
ローリング・ストーンズを代表する曲と言っても間違いはないでしょ。2012年の、音楽雑誌『レコード・コレクターズ』の結成50周年企画「ローリング・ストーンズ / ベスト・ソングス100」では1位となっていました。カバー曲だってかなりの数になるはずです。今回の記事の主旨から言って、ここはアレサですかね。
ソウルの女王・アレサ・フランクリン (1942 - 2018)。 父は有名な牧師で、母はゴスペル・シンガー。姉のアーマも妹のキャロリンもゴスペルを歌っていたというゴスペル一家に育った歌手です。
1986年にウーピー・ゴールドバーグ主演で公開された映画「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」では、アレサ・フランクリンによるカバー曲が主題歌となっています。クリップ映像には、ウーピー・ゴールドバーグも出演したポップなクリップ映像になっています。映画もアクション・コメディといった作りです。
アレサ・フランクリンの86年のアルバム『Aretha』に収録。 80年代のアレサ・フランクリンは当時流行りのブラック・コンテンポラリー・サウンド。 ポップなソウル路線です。80年代のアレサの音を好まないファンもいるかと思いますが、リアルタイムでこの時代のアレサを聴いていた僕のような人間には、ここを切り口としてアレサ・フランクリンに入っていった人も多いのではないかと思います。
アルバムには、ジョージ・マイケルとデュエットし全米1位となった曲「I Knew You Were Witing (For Me) も収録。 商業的に大成功となったアルバムです。時代と共にサウンドが変化しても、アレサの唯一無二の歌の魅力、本質は変わらないと思います。
「Jumping' Jack Flash」のプロデュースはキース・リチャーズが担当。キースとロニーを従えて歌うアレサがカッコいい!歌の最後に「ハレルヤ!」と叫んでいます。
デビュー前のミック・ジャガーとキース・リチャーズは、R&B、ブルースのアメリカ盤レコードを苦労して手に入れ、それらのレコードから黒人音楽のエッセンスを吸収していきます。そのエッセンスを血肉化したジャガー/リチャードのオリジナル曲は、やがて黒人アーティストたちによってもカバーされることになったわけです。
2016年に発表されたスタジオ・アルバム『BLUE & LONESOME』は、古典的なブルースで占められています。黒人音楽へのリスペクトと、初期衝動を忘れることのなかったローリング・ストーンズ。それが60年以上 転がり続けることの出来た最大の秘訣です。
