2023 Memorial essay | Get Up And Go !

Get Up And Go !

音楽を中心に、映画、文芸、スポーツ など・・・。

より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ

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音符
今年はミュージシャンの訃報が目立った気がします。

ジェフ・ベック(ギタリスト)、高橋ユキヒロ(ドラマー、シンガー・ソングライター)、デヴィッド・クロスビー(シンガー・ソングライター)、トム・ヴァーレイン(テレビヴィジョン)、バート・バカラック(作曲家)、ボビー・コールドウェル(シンガー)、坂本龍一(ミュージシャン)、鮎川誠(シーナ&ザ・ロケッツ)、シンシア・ワイル(作詞家)、アストラッド・ジルベルト(歌手)、ジェーン・バーキン(歌手/俳優)、トニー・ベネット(歌手)、シンニード・オコナー(歌手)、ランディ・マイズナー(元イーグルス)、ロビー・ロバートソン(元ザ・バンド)、シェイン・マガウアン(ザ・ポーグス)、デニー・レイン(元ムーディー・ブルース、元ウイングス). . . . . .

以上は主だった方だけですが。他にも多くのミュージシャン/アーティスト、音楽関係者が亡くなりました。
私たちが生きていく上で、生活の中に潤いを与えてくれるたくさんのすぐれた音楽を残してくれたことに対しては、ただただ感謝の気持ちです。

昔、音楽は社会の中では余剰物であり、タバコやコーヒーと同じような嗜好品に過ぎない、と言った方がいて、この言葉に対しジョン・レノンが憤慨していたのを記憶しています。まだ10代であった僕にとっては、ジョンが憤慨したことよりも、世の中には音楽をそのように捉えている人がいる事のほうがショックでした。

生きていく上で、衣食住がまず先にくることは確かですが、それだけではあまりにも味気ない人生となってしまいます。そこで、生活に潤いを与えてくれるアートといったものが必要になってくるわけですね。音楽が使い捨てのようになっている現在、そのように思う方は少ないのですかね。

アート全般の中でも、僕にとっては音楽がとりわけ大切なものだということです。それは最も多感であった10代のころからずっと続いています。そちらにのめり込むあまりに失敗もあったし、人に迷惑をかけたこともありましたが。





デニー・レイン / DENNY LAINE
12月5日。 イギリスのロックバンド、ムーディ・ブルースのギタリストとして、ポール・マッカートニー率いるウイングスの創立メンバーとしても活躍した、デニー・レインさんが間質性肺炎のため亡くなりました。 79歳。

70年代のポール・マッカートニーの傍らには、リンダと共にいつもデニー・レインの姿がありました。当初リンダ・マッカートニーは、音楽的には素人同然であったため、ポールにとってはデニー・レインは良き相棒であったはずです。メンバーの脱退・加入を繰り返すウイングスにあって、81年のウイングス解散まで、ポール・マッカートニーを支え続けたのがデニー・レインです。

ウイングス時代のライヴではギターだけでなく、ポールがピアノに座って歌う時にはベースを弾き、あるいは自らが歌う際にはピアノを弾きと、ポール・マッカートニーも顔負けのマルチプレイヤーぶりでした。

ムーディー・ブルース在籍時に、デニー・レインが歌って全英1位となった曲「Go Now」は、ウイングス時代もライヴで歌っています。中学時代に買ったウイングスの3枚組ライヴ・アルバム、「ウイングス USA ライヴ!!」で聴いたのが最初です。名曲です。

ポールとデニーは長く疎遠の状態でありましたが、近年友情を復活させたとのこと。ビートルズとムーディ・ブルース。 それぞれのバンドのメンバーとして活動していた60年代に2人は出会い、やがて音楽が2人を結び付けたわけです。





ポール・マッカートニーの追悼コメントの一部を。

デニーは素晴らしい才能を持ち、ユーモアのセンスもあり、いつも人を助ける準備ができていた。彼はすべてのファンから惜しまれ、友人たちには心から愛おしく思い出されるだろう。彼の妻エリザベスとご家族にお悔やみとご冥福をお祈りします。

デニーに平和と愛を。あなたと知り合えてよかった。寂しくなります。

愛をこめて
ポール