シカゴ・ブルースと出会う | Get Up And Go !

Get Up And Go !

音楽を中心に、映画、文芸、スポーツ など・・・。

より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ







ブルース & ソウル・レコーズの最新刊 No.168 は、「特集 シカゴ・ブルースと出会う」。 私 1994年の創刊号から買っているのですが、正直 「またですか」 というのはあります。 創刊号 (No.1) の特集記事が 「シカゴ・ブルースの誕生」 となっていて、それから何度も切り口を変えながらシカゴ・ブルースの特集記事が掲載されてきたので。

若いブルース・ミュージシャンやその新譜ももちろん紹介している雑誌ですが (他のブルース周辺音楽やソウルミュージックも) 、ブルースの専門誌としては、チェスが象徴する50年代シカゴ・ブルース全盛のブルース黄金期の特集を定期的にやって新たなブルース・ファンを作り上げ獲得していかないと、おそらく雑誌自体が成り立たなくなってしまうというのはあると思います。 ジャンルはジャズですが、老舗の音楽雑誌「スイングジャーナル」が、2010年に休刊となったのを思い出したりするんですよね。

コアなブルース・ファンだけでなく、入門者向けに名盤紹介もされていて、この雑誌の姿勢には好感を持っています。写真も多く掲載されレイアウトも工夫が凝らされています。ブルースにこれから入っていこうとしている方がこの雑誌を手にとっても、敷居の高さをなるべく感じさせないようにという努力も感じるということです。今回は、日本のブルース・ファンが長年親しんできたブルース・アルバムが、解説と共に119枚紹介されているし、ブルースに興味のある方には薦めたい特集なので記事にしてみました。



MUDDY WATERS / Blow Wind Blow


ひとくちにブルースと言っても、カントリー・ブルース、モダン・ブルース、テキサス・ブルース、ジャンプ・ブルースなどなど色々なくくり方があるのですが、日本ではシカゴ・ブルーズをブルースの代名詞的に使う人もいます。 それだけシカゴ・スタイルに魅了される人が多いという事です。 シカゴ・ブルースの魅力は、ロックの原型とも言えるバンド・スタイルのサウンドに一番の魅力があるのは間違いないと思います。

このバンド・スタイルのブルースを作り上げた中心人物がマディー・ウォーターズです。ミシシッピー・デルタの農場で弾き語りスタイルで演奏していたブルースを、大都会シカゴに持ち込みエレキギターを導入し電化。 バンド・スタイルにして大衆化を図っていったわけです。 もちろん金に換えたいという狙いもあったと思います。

マディのバンドは、リトル・ウォルター、ジミー・ロジャーズ、ジェームス・コットンなどなど、後にピン立ちしてシーンを形成していくブルースマンたちを数多く輩出しています。メンバーにチャンスを与えて巣立ちをさせる、というのがボスとしてのマディのやり方であったようです。 シカゴ・ブルースの隆盛は、マディ・ウォーターズの器の大きさがあったればこそなんですね。





↑ 上がハウリン・ウルフ (CHESTER BURNETT) の墓。 その下がマディ・ウォーターズ (McKINLEY MORGAN FIELD) の墓。 97年にシカゴを旅した際に墓参りをし撮影しました。ウルフもシカゴのブルース・シーンではボス的存在ではありましたが、この大きさの違いはなぜなのだろう、とちょっと考えてしまいましたね。


First Time I Met The Blues
やっと本題『シカゴ・ブルースと出会う』。
今号は、シカゴ・ブルースとより良き出会いをするための、導きの書となるように組まれた特集とも言えます。

まず個人的な体験から。 僕が初めて動くマディ・ウォーターズを観たのは高校一年の夏休み、映画 『ラスト・ワルツ』 の中でした。まったく予備知識なしでした。当時は家庭用ビデオもまだ普及していない時代であったし、動画付きでブルースに接する機会なんてまずない時代。 僕の年代では、あの映画で初めてマディ・ウォーターズを知ったという人はかなりいるはずです。

ストーンズやエリック・クラプトン等、白人のブルース演奏者は既に聴いていましたが、黒人の、しかも本物中の本物とそこで出会ったわけですね。 他の白人ロック・ミュージシャンたちとは明らかに違う雰囲気の大物感。でも正直に言えば、目の前に差し出された "黒光りする立派なイチモツ" みたいな感じで、受け入れる器は自分にはまだなかった感じですね。

ウエスト・ロードの永井隆さんや塩次さんたちの年代は、NHKで放送された 『黒人の魂・ブルーズ』を観て、人生を決定づけるような衝撃を感じたわけですが、僕らの年代の『ラスト・ワルツ』のマディではちょっと弱かったということなのか。いやそれは、精神的にまだ子供であった僕自身の感性の問題であったような気がしています。永井隆さんは、あの番組を見てロックのレコードを売ってしまったそうです。

その伝説のテレビ番組 『黒人の魂・ブルース』(原題:CHICAGO BLUES) について、今号の特集ではやはり触れていました。1970年代初頭に、NHKで放送された1時間足らずのドキユメンタリー番組です。ちょうどブルースという音楽に興味を持ち始めた頃、永井さんたちはあの番組に出会ったのだそうです。永井さんの家で、塩次さんと服田さんも一緒だったそうです。あの番組から受けた影響については、入道さんからは直接うかがったこともあります。

80年代後半に、伝説のテレビ番組としてビデオ化されたさい、1度だけ見たことがあります。2000年代にはDVD化もされています。テレビカメラが、シカゴの黒人居住地区サウスサイドに入りこみ撮影されています。なぜシカゴと言う都市に南部から黒人が流入し、都市での生活の中でなぜ彼らにはブルースが必要とされたのか。その問いと共に、当時のシカゴの街並みとそこで暮らす貧しい黒人たち、その社会情勢を背景にして、マディ・ウォーターズやバディ・ガイ、ジュニア・ウェルズ等の演奏シーンが紹介されています。



BUDDY GUY / First Time I Met The Blues


2015年にB.B.キングが亡くなって以来、ただひとりのブルース・レジェンドとして、そしてシカゴ・ブルース最後の大物として現役を続けるバディ・ガイも御年86歳。 なんと新作アルバムを発表してくれました!

僕がブルースにのめり込んだきっかけは、90年代初頭にバディ・ガイのライヴを観てからです。 バディ・ガイは、それまでロックを聴いていた音楽ファンの多くをブルースのフィールドに引っ張り込んだ張本人です。

バディのライヴには緊張と興奮があり、一音でも聞き逃すことを許さないような迫力もありました。 それ以来ずっとファンです。 その後、97年にシカゴでのブルース・フェスティバルでもバディのライヴを体験したのですが、地元シカゴのライヴでも聴衆は興奮しステージ前へと押し寄せ、まるでロック・スターのような佇まいにただただ驚愕したのを思い出します。

当時、コアなブルース・ファンの中には、そんなバディ・ガイを批判するものも少なからずいたのですが、それが、僕が中央線沿線界隈のブルース・マニアたちを嫌いになった大きな要因です。ブルースという音楽は生き物であり、それが無くなったら博物館行きだ!と誰かがよく言っていたのを憶えています。

バディの新作、タイトルは 「The Blues Don't Lie」です。



BUDDY GUY / The Blues Don't Lie (2022)










バディ・ガイ。 シカゴ・ブルース・フェスティヴァル '97 で撮影