
They are the ladies of the canyon
ローレル・キャニオン。 L.A.の繁華街から車で数十分に位置する、緑豊かな丘陵地のことです。60年代末からここに多くのアーティストが移り住み、互いに刺激しあいその化学反応によって多くのすぐれた作品が生み出されていったコミュニティ。そういった事を6月に記事にしました。 きっかけとなったのは、『ローレル・キャニオン 夢のウエストコースト・ロック』『エコー・イン・ザ・キャニオン』という2本の映画を観たことによってです。 少し間があきましたが、今回はローレル・キャニオンに移り住んだ女性アーティストの曲をいくつかということで。
JONI MITCHERLL / Ladies Of The Canyon (1970)
まずはこの人から語らなければということでジョニ・ミッチェルの曲を。 「レディース・オブ・キャニオン」、"キャニオンの女たち" と題された曲があります。
カナダ出身の彼女は、1965年にアメリカに移り住み活動の拠点にしています。そしてローレル・キャニオンに居を構えることに... 。 60年代にアコーステック・ギターを持って歌う女性フォーク・シンガーと言うと、ジョーン・バエズやジュディ・コリンズといった、モダン・フォークの女性シンガーを思い浮かべてしまいますが、ジョニ・ミッチェルは当初からそういった枠には収まらない人であったようです。
カナダ人であることと関係があるのか、歌声はさらっとしていて透明感もあります。ですが紡ぎ出す歌のメロディが予定調和的ではなく、予測の出来ない自由な展開。 ギターもオープン・チューニングというイレギュラーなチューニングで弾くために響きが少し違う。オープン・チューニングによって生み出された自由なメロディに、旅の詩、恋の詩、そして環境破壊にも鋭く切り込んだメッセージを持った詩たちが乗る。ごく簡単に言うとそういったところでしょうか。
同時代の女性シンガーたちに大きな影響を与えたという彼女は、女性に限定したことではなく、70年代にブームとなるシンガー・ソングライターの先がけのひとりであったということです。
画家でもあった彼女は、『Ladies Of The Canyon』のアートワークも手掛けています。
THE STONE PONEYS / Different Drum (1967)
1946年、アリゾナ州ツーソンで生まれたリンダ・ロンシュタッドは、ハイスクールに通う頃には兄、姉と共に地元でフォーク・グループを組んで活動。64年にはカリフォルニアに向かい、そこで、ポップ・フォーク・グループ、ストーン・ポニーズの一員としてプロとしてのキャリアをスタートさせています。
ロサンゼルスでクラブ・サーキットを始めたグループは、リンダの伸びやかな歌声と愛らしいルックスによって、正確にはリンダのみが注目を集めることとなり、66年にはグループとしてレコード・デビューに至っています。
リンダ・ロンシュタッドはソングライターではなくシンガーです。モンキーズのマイク・ネスミス作詞作曲によるナンバー、「悲しきロック・ビート」という邦題のついたこの曲を、ストーン・ポニーズはリンダの歌によって録音。68年に全米12位というヒットとなりグループに小さな成功をもたらしています。
70年代アメリカの国民的歌手へと成長していくリンダの、歌に瑞々しい命を与える歌手としての才能が花開き始めた頃の曲です。
THE CITY / Snow Queen (1968)
ニューヨークのブリル・ビルディングを拠点にして、作曲家として数々のヒットを飛ばしたキャロル・キングは、ビートルズ・デビュー前のレノン / マッカートニーも憧れたほどの才能を持ったアーティストです。
ソングライター・チームを組んでいた夫であるジェリー・ゴフィンとの離婚の後、キャロル・キングはローレル・キャニオンに移り住んでいます。ここから彼女はシンガー・ソングライターという新たなキャリアをスタートさせることとなります。1968年のことです。
彼女の所属するレコード会社がL.A.にあったことも移り住んだ理由のひとつですが、温暖な気候と美しい自然に囲まれ、多くの才能が集結したローレル・キャニオンに居を構えたことが、『つづれおり』をはじめとした名作群を生み出した力の背景にあることも忘れてはならない事実だと思います。
THE CITYは、ローレル・キャニオンに移り住んだ68年に、新しい夫でベーシストのチャールズ・ラーキー、ギタリストのダニー・コーチマーと共に組んだグループです。3人が残した唯一のアルバムが『夢語り (Now That Everything's Been Said) 』です。
3人はキャロルがローレル・キャニオンに居を構えた居間に集まり、曲を作り上げたそうです。佳曲の揃った『夢語り』は、キャロル・キングがソロシンガーとして飛躍するための大きなステップとなった作品です。
「不朽の名作 "つづれおり“ の種はここでまかれた」という、ダニー・コーチマーの言葉が残されています。

