S.R.V. 1990 8. 27 | Get Up And Go !

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8月27日は、スティーヴィー・レイ・ヴォーンの命日です。 今から31年前の1990年、ライブ会場からの移動のさいの、ヘリコプターの墜落事故によって亡くなっています。 35歳でした。
現在までに明らかになっている当時の状況を、残された書籍や動画をもとに構成して記事にしてみました。


1990年8月26日。 スティーヴィー・レイ・ヴォーンは彼のバンド ダブル・トラブルと共に、その日の夕刻からアルパイン・バレーで行われた、エリック・クラプトンをメイン・アクトに据えたブルース・フェスティバルに参加しています。

アルパイン・バレーは、シカゴ市から80マイルほどにあるリゾート地。 そこに設営された野外会場で行われたフェスには、クラプトン、スティーヴィーの他にバティ・ガイ、ロバート・クレイ、そしてスティーヴィーの兄であるジミー・ヴォーンも参加しています。

この夜のライブは、若手ブルースマンとして人気急上昇の最中にあったロバート・クレイがオープニング・アクトを務めています。2番目に登場したのがスティーヴィー・レイ・ヴォーン & ダブル・トラブルです。 そしてエリック・クラプトンが、この夜のメインとして演奏を行いました。因みにこの夜のイベントのタイトルは 『AN EVENING With ERIC CLAPTON AND HIS BAND』 となっています。





クラプトンの演奏が終わりに近づく頃には日付はまわっていましたが、彼のバンドにスティーヴィーとロバート・クレイ、さらにバディ・ガイとジミー・ヴォーンも加わって、最後の最後にジャム・セッションが行われています。それがこの夜のクライマックス、ブルース・セッションの定番曲 「スイート・ホーム・シカゴ」 です。

この曲での演奏が、正真正銘 スティーヴィー最後の演奏となりました。



Sweet Home Chicago 1990 8. 27
スティーヴィー・レイ・ボーンのギター・ソロは 2::50 くらいから。


ステージがすべて終了となった真夜中、アルパイン・ヴァレーからシカゴへ向かう道路の渋滞を避けるため、出演者と主要スタッフ等はヘリコプターでの移動を始めます。

濃い霧の中を飛び立つヘリコプター。そのうちの1機、クラプトンのスタッフら3人と乗り合わせたスティーヴィーの乗ったヘリは山の斜面に激突。スティーヴィーは、最高の演奏を終えたあと、突然 天国へと旅立ってしまいました。





事故の4日後、ダラスにてスティーヴィーの葬儀は行われました。盛大となった葬儀の参列者の中には、スティービー・ワンダー、ボニー・レイット、ドクター・ジョン、ジャクソン・ブラウン等の姿もありました。





ギター
夏の終りになると必ず思い出します。オン・タイムで死のニュースを知ったアーティストとしては、ジョン・レノンと共にその時の自分の状況を鮮明に思い出すひとです。 衝撃時というのは、その出来事と共に個人的な記憶も強く刻まれるようです。「あの時どこにいて何をしていたか」というのは、よく聞く言葉です。

最晩年となった1990年のスティーヴィーは、キャリアの中でも絶頂期にあったそうです。 精神的にも肉体的にも健康体であったことを、兄であるジミー・ヴォーンが語っています。 とりわけあの夜のスティーヴィーのプレイが他を圧倒していたことを、共演したエリック・クラプトンやバディ・ガイも証言しています。

天に召される直前のプレイだったわけで、自らの領域を超えてしまったプレイは示唆的にも思えます。とりわけクラプトンは、その死の意味を考えざるを得なかったのではないでしょうか。やはり絶頂期に亡くなった、ジミ・ヘンドリックスやデュアン・オールマンとスティーヴィーを重ね合わせたことは容易に想像できます。 そしてまたしても自分が生き残ったことの意味も考えたはずです。

1990年8月26日は蒸し暑い夜だったそうです。集まった3万人の観客は、最後の目撃者となりました。



Little Wing
スティーヴィーが敬愛したジミ・ヘンドリクスの曲をインストでカバー。 スティーヴィーのテクニックの集大成とも言える曲です。 そのテクニックが “魂” と結びついています。











Stephen Ray Vaughan
Oct.3 1954 - Aug.27 1990