沢田研二。 久々に話題の人となりました。 衝撃的でした。 ドタキャンが? 違います。 以前にもそんなことがあったし、若いころからけっこう問題を起こしていましたからね。
有名な「頭突き事件」 に 「いもジュリー事件」。 あの 「三億円事件」 だって、やったのは沢田だし、自宅で原爆を作って東京で爆発させたこともあるんだぞ! あ、いや、衝撃を受けたのは、あのジュリーのカーネル・サンダース化した姿にです。 嫌いな芸能マスコミ相手の会見だったので、コスプレしておちょくっているのかと、最初は思いましたよ。
う~ん、それにしても埼玉スーパーアリーナの大会場がスカスカの入りであったと言うけれど、7000人も集まったのにドタキャン。 沢田研二は 「今回はファンのみなさんに甘えさせてもらいました」。 で、会場にいたファンのほうも 「残念だけれどジュリーが決めたことなので」 と、概ね受け入れてしまっている様子。 70年代にあった「いもジュリー事件」 の頃からの、やんちゃなジュリーを知っている筋金入りファンからしたら、「またやったのね」 なのかも。
あっ「いもジュリー事件」って、新幹線の車内で沢田研二に絡んでくる客がいて、「いもジュリー」って言われたらしくて、ほっとけばいいのにそれに反応して、相手を殴ってしまったという事件ね。 これはもちろん、当時驚きましたよ。 毎日のように歌番組に出ていた、大スター ジュリーなわけですからね。
言った奴もまた、あのジュリーによく言ったなぁとも思います。 例えば今だったら、「おいフクヤマ、あんた最近劣化してねぇか?」 とか 「おっ キムラ、おまえ上げ底ブーツ脱げや」とか、本人の前で言えんでしょ。
昭和という時代は、現在より世の中がずっと大らかで、やんちゃなジュリーをかっこいいと思っていたひと、けっこういたんじゃないかと思います。 当時、流行っていたラジオの深夜放送の自分の番組では、テレビでの華やかな姿とはやや違い意外とあけすけ。「男っぽいひとなんだなぁ」と思った記憶があります。
60年代末のグループサウンズ・ブームが生んだ2大スターは、萩原健一と沢田研二。 萩原健一がショーケンで、沢田研二はジュリー。 ソロになってからも、二人は最高にかっこ良かったです。 子供の頃、ずっと年上のいとこのおねぇちゃんはザ・タイガースのファンで、そしてジュリーの大ファン。いつも「ジュリー、ジュリー」と言ってました。
KENJI SAWADA / Mon Amour Je Viens Du Bout Du Monde (1975)
フランスではラジオチャートで4位となるヒット。 フランス盤アルバム 『 rock 'n' rol childl 』 に収録。
そのジュリーは、ソロになってからフランスでもヒット曲を出しました。 イギリスでもアメリカでもなくフランス。 なんか "Julie" らしいですよね。 カーネルおじさんは、かつてフランスでも人気があったんですね。
ワタシね、ずっと後になって、レコード / CD の輸入会社に勤めていた時代に、会社の倉庫の奥で、フランスでリリースされた、もちろんフランス語で歌われている、『 Kenji Sawada / rock'n' roll child 』 というレコードを発見し頂いてきたんですね。まぁ珍盤の部類ではありますが、今でも大切にしています。
君はジュリーを見たことがあるか
沢田研二のライヴ、一度だけ見たことがあります。 単独のコンサートではなく、大みそから新年にかけて内田裕也が主宰するロックイベント、「ニューイヤー・ロック・フェステイバル」に出演時です。デビュー時から世話になってきた、裕也さんからの誘いということもあったのでしょう。
あのイベント、夜通しで明け方まで生中継でテレビ放映されていた時期があって、毎年すごく楽しみにして見ていたんですね。 で、80年代に入り、一度だけ浅草国際劇場まで見に行ったことがあります。 親に 「おまえ大みそかにどこへ出かけるんだ? 」なんて言われながらも。
目当ては、ARB、ロッカーズ、ルースターズ、子供バンド、SHEENA & THE ROCKETS といったところでした。あのイベントって、内田裕也一派の他に、彼がどっかで見つけた無名のバンドとかも出てきて、男臭くてアングラな雰囲気もあってで、浅草国際劇場でやっていた頃は好きだったんですよねぇ。
テレビの中のメジャーな音楽シーンとは少し違う、ちょっと危険な匂いの混ざったロック臭のする雰囲気の中、沢田研二が登場。 あのときの違和感、というか不思議な興奮、どう説明したらよいのか。 あの雰囲気のフェスティバルに、テレビの中の大スターが登場してしまったわけですからね。ちょっと前の時間には、NHKの紅白で歌っていたわけですからね。
「ストリッパー」 とか 「カサブランカ・ダンディ」 とか、自分のバンドとともに5~6曲演ったはず。月並みな言い方をすればオーラがありました。 ロック・ミュージシャン独特のエネルギーとは少し違う種類のものですが。
いろいろと理屈っぽい評論家、あの渋谷陽一も、沢田研二のことは 「才能が違うんだよ!」 のひとことで認めていましたからね。ジュリーはもともとロック体質を持っていた人とは言え、きっとそういうことなんでしょうね。
「危険なふたり」 「勝手にしやがれ」 「カサブランカ・ダンディ」 「時の過ぎゆくままに」 「TOKIO」・・・覚えたわけでもないのに、歌詞がポンポン出てきます。
一番好きな曲は。。。ソロデビュー曲の「君をのせて」ですかね。
GSブームが終わり、ショーケンらと結成したPYGは惨敗。厳しい状況の中での船出となったデビュー曲ですがセールス的にも不振。 そんなこともあって、当時からのファンたちにとっては思い入れのある曲のようです。
まぁ、そのことを抜きにしても、いい曲だと思うのですが。
現役のアーティストであることにこだわって、最近はかつてのヒット曲をほとんど歌わないそうですが、もう一度原点に帰ってこの曲から歌う、というのはどうでしょうかね。
でも会場でリクエストの声をあげると、最近は 「帰れ!」 とか言われるらしいです。
沢田研二 / 君をのせて (1971)