ジョン・レノン、ニューヨーク | Get Up And Go !

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☆ ジョン・レノン, ニューヨーク (原題: LENNONYC ) (2010 / アメリカ)
● 監督・脚本・制作 マイケル・エプスタイン
● 特別協力 オノ・ヨーコ
○ 出演 ジョン・レノン / オノ・ヨーコ / エルトン・ジョン / ジム・ケルトナー / ボブ・グルーエン / ジャック・ダグラス / デヴィッド・ゲフィン / クラウス・フォアマン / メイ・パン 他



9月8日はニューヨークの日 自由の女神
ニューヨークと言えば、現在ではあの忌まわしい 9. 11 を連想する人が多いかと思いますが、実は「ニューヨークの日」と言うのがあって、あの日の3日前の9月8日なのだそうです。1664年、イギリス支配下の時代に、ヨーク公に因んでニューヨークと命名されたとか。(詳しい経緯は省略)

ニューヨークを歌った名曲はたくさんあります。 有名なところでは、フランク・シナトラの 「ニューヨーク・ニューヨーク」 や、ビリー・ジョエルの「ニューヨークの想い」とか、あるいはアート・ガーファンクルの 「ハート・イン・ニューヨーク」 とか・・・。

でも、ジョン・レノンの 「ニューヨーク・シティ」 を挙げる人は少ないでしょうね。 そしてこの曲をテーマ曲のようにした映画 『ジョン・レノン、ニューヨーク』 という、ジョンがビートルズ解散後にヨーコと共にニューヨークに渡ってからの活動を綴ったドキュメンタリー映画もあります。



追い出す気なら暴れてやるさ
自由の女神が招いてくれた
最高の街だぜ、ニューヨーク・シティ

(New York City)



JOHN LENNON / New York City
70年代半ば、多くのベテラン・ロッカーたちがパンクスの攻撃対象となる中で、ジョンが標的にならなかったのはわかる気がします。


ビートルズ時代、人気の真っ只中にあって 「助けてくれ!」 (HELP!) と叫んでいたジョン・レノンは、やがてヨーコと出会うことで自身を救済。 「ヨーコと自分しか信じない」 (GOD) と歌ってビートルズを否定。 そして1970年 「ジョン・レノン」 を始めることとなります。

1971年、刺激に溢れた街・ニューヨークに移住することによって水を得たジョンは、自由な芸術活動、そして政治活動へと傾倒していきます。ベトナム戦争の最中であったアメリカでの反戦活動。 不当逮捕への抗議を曲に。 若者への影響力を持つジョンを恐れた時の政府からの弾圧によって、国外退去命令がくだりそれは裁判闘争へと発展していきます。

ヨーコとの別居による新生活と言う名の放蕩。 離れて暮らすことで互いの必要性を再認識したふたりはやがて再会。 ショーンという新しい家族も得て、アメリカの居住権も獲得。 家庭人となったジョンは生涯で最も安らいだ幸福な時を、ニューヨークで過ごすこととなります。

そしてアーチストとしても再スタートを切ってこれからという時に・・・






この映画を観たのは2011年8月。 もう7年も前のことです。 場所は、映画館というより大学の講義室の雰囲気に近い、恵比寿の東京写真美術館ホールでした。 飲食禁止のホールもたまにはいいな、なんて思いながら観たのを記憶しています。

おそらく僕がこれまで観た、ジョン・レノンのドキュメンタリー映像の中でも、最も興味深く観れた映画です。 初めて観る写真や映像も多かったし、初めて知ることとなった事実も多くあったので。 89年に観た 『イマジン』 という映画もかなり良かったのですが、それ以上かなと。

この映画の良い点は、こういった映画にありがちなナレーションによってアーチストの人生を "説明" するのではなく、当時ジョンの身辺にいたひとたち、ジャック・ダグラス、エルトン・ジョン、クラウス・フォアマン、ボブ・クルーエン、そしてオノ・ヨーコらのインタビューによる回想によって構成されているところです。





驚いたのは、ヨーコとの別居による <失われた週末> でおなじみの、ヨーコの秘書でジョンとは恋愛関係にもなったメイ・パンまで登場するところです。 ヨーコの特別協力によって作られた映画であることを考えると、かなり本気で作られたことがわかります。

メイ・パンの口から語られる <失われた週末> 時代のジョンの話がなかなか面白くて、ポール・マッカートニーが訪ねてきた際、ふたりには当時伝えられていた敵対関係など微塵もなく、兄弟のように仲が良かったというエピソードなども聞かせてくれます。

80年、ジョンはニューヨークの街中で、ジャック・ダグラスという、『イマジン』 でアシスタント・エンジニアを務めたプロデューサーと偶然再会し、音楽活動の再開を模索していたジョンはダグラスに業界の情報を求め、連絡先を書いたメモを渡します。

しかしダグラスは自分から電話することを躊躇したそうです。この話には少し感動したのですが、ダグラスは家族とともにいるジョンがあまりにも幸せそうだったので、くだらないことの多い業界に再び関わらせたくなかったこと、ジョンの幸福を邪魔したくなかった、といったことを当時を思い出して語っています。




JOHN LENNON / Woman
ヨーコが、ジョンとの思い出を振り返るといった内容の映像です。 セントラル・パークを歩く二人が幸せそう。



ジョンは生前 「僕はニューヨークに生まれるべきだった」 と語っていたのを何かの記事で読んだことがあります。 ニューヨークがとても好きだったそうです。 またニューヨークのことを 「常に刺激的だ」 とも語っています。

それなのに5年間も子育てに専念しての隠遁生活はなぜ? という疑問も湧いてきます。これはおそらくですが、ジョンにとっては日々成長する子供を見ることとなる子育てこそが、最も刺激的な活動であった、ということなのでしょうね。
 ピースマーク





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